第15話 かつて乗り越えた者たち

「なんだか、あの日々を思い出しますわね」


「……思い出したくないですの」


「わたくし……今思い出しても、はぁん……」


「変態は黙ってなさい」


 ヘレナが、禁軍に対する新兵訓練ブートキャンプのために訪れている帝都の外れ。

 そこでヘレナの指導を見ながら、そう呟いたのは四人だった。

 現在、「将来的にわたくし、お姉様の和子を乳母として育てたいですわ」と言って譲らず、ファルマスは疎んじていたにもかかわらず現在も変わらず後宮にいるマリエル。

 逆にさっさと後宮を出て、「闘技場なんて楽勝ですの」と言いながら、毎日闘技場で拳闘士を相手に戦い続けているらしいシャルロッテ。

 そして禁軍の後見人という形ではあるが、ほとんど手は出していない皇女アンジェリカ。

 最後に、対外的には禁軍の将軍であるクリスティーヌである。


 アンジェリカとクリスティーヌの二人は、そもそもヘレナに対して禁軍の指導を頼んできた。そのため、この場に同席するのは当然である。

 それと共に、ヘレナはシャルロッテとマリエルの二人に声を掛けたのだ。純粋に、指導教官として同席するようにと。

 ちなみにフランソワは既にバルトロメイに嫁いでいるわけだし、クラリッサはレイルノート侯爵家の養子になって毎日勉強の日々であるらしいため、敢えて声は掛けなかった。そして、二期生以降はまだ実力不足ということで呼んでいないらしい。

 シャルロッテはそんな風に声を掛けられて参加こそしたが、見れば見るほど自分たちに与えられた新兵訓練ブートキャンプの日々を思い出していた。


「わたくしたちの頃は、ハリセンでしたの。正直……あの頃から鞭で打たれていたら、わたくし心折れていたかもしれませんの」


「それは、確かに思うわ。ハリセンでも痛かったのに、鞭とか考えたくないもの」


「あたくしも、さすがにお姉様の愛とはいえ受けたく……はっ! もしやこれは愛の鞭!?」


「寝言は死んでから言いますの」


「あたくし死ななければいけないの!?」


 シャルロッテの言葉に、マリエルがそう声を上げる。

 そんな風に喋っているシャルロッテではあるけれど、禁軍の兵士たちからは一切の言葉が出ない。ヘレナの持っている笞杖の効果は凄まじく、誰一人として声を発さないのだ。そして兵士たちの目が恐怖に染まっているのが分かる。

 マリエルたちからすれば、ハリセンでさえ恐怖の対象だったのだ。それが実際に痛みを与えるものとなれば、逆らう気も起きないだろう。


「では次! 最後尾の者は先頭に向けて走れ!」


「――っ!」


 そして今、兵士たちはひたすらに走っている。

 朝から既に日は中天に上っているにもかかわらず、やっていることはひたすら走っているだけだ。朝一番でヘレナが恐怖をすり込み、その後走り込みを行うと告げてからずっとである。

 二千五百人が二百五十人ずつの集団になり、地面に刺された二つの剣――その間を、ひたすらぐるぐる走り続けるだけだ。そしてたびたび、最後尾にいる者が先頭まで全員を抜き、先頭を走るという形にしている。

 恐らく、既に彼らの足腰の感覚は狂っていることだろう。

 ふらつき、倒れる者も出ている。だが倒れた者は別の者が肩を貸し、なお走らされ続けるという拷問である。泣いている者も少なからずいた。

 そんな姿を見ながら、シャルロッテは小さく呟く。


「……軍人というのは、もっと鍛えているものと思っていましたの」


「奇遇ね、あたくしもそう思うわ。たかだかこの程度の走り込みでへばるなんて、確かに鍛え方が足りないのも頷けますもの」


「午前中いっぱい走るくらい、割といけるもんね」


 シャルロッテ、マリエル、アンジェリカのそんな呟きに、周囲の指導教官たちは眉を寄せていたが、彼女たちは気付かない。

 そもそも貴族令嬢と皇女の集まりである彼女らが、軍人なみに鍛えている時点でおかしな話である。


「よぉし! 休憩っ! ただし、座ることは許さんっ!」


 ヘレナのよく通る声に、二千五百人の動きが止まる。

 ぜぇ、ぜぇ、と誰もが疲れ切って、今すぐにでも寝転がりたい思いだろう。しかし逆らえば飛んでくる鞭に全員が恐怖し、一人も腰を下ろそうとしない。

 中には、ふらついている隣の者に肩を貸している者もいる。無論、これは「隣が支えないからこうなるのだ!」と連帯責任を背負わされるからである。

 ぱん、ぱん、とヘレナは手で笞杖を叩きながら、さらに告げる。


「これより昼食を配給する! しっかり食い切れ! 残した者は、鞭打ち二十回とする!」


「……」


 指導教官が用意した大鍋には、人数分のスープが用意されている。さらに、日持ちのする黒パンが隣の布の上に用意されていた。

 全員が嫌そうな表情でスープの皿を受け取り、各自黒パンを受け取っていく。その様子から、恐らく食欲は全くないだろうと思えた。

 そもそも全力で体をいじめ抜かれ、その上で満足に食事が摂れるわけがないのだ。シャルロッテの知っている限り、それができるのはフランソワただ一人である。


「全員に行き渡ったか。ならば食べて良し! 座ることを許可する!」


「……」


「昼食を終えたら、再び走り込みを行う! 全員、体をしっかりほぐしておくように! また、水は各自補給しておけ!」


「……」


 さらに、禁軍の兵士たちの間に流れる淀んだ雰囲気。

 午前中いっぱい走り込みを続け、午後からもさらに走り込みと言われたのだ。もう動きたくないと考えている者ばかりだろう。

 その気持ちは、とても分かる――そう思いながら、シャルロッテは兵士たちを見て。


「すごく今更ながら、思うことがありますの」


「どうしたのよ、ロッテ」


「ヘレナ様は……わたくしたちには、割と優しかったのだな、と」


「……」


 シャルロッテは、一応ヘレナに厳しく鍛えられてきたと思っていた。

 だが、実際のところは新兵訓練ブートキャンプ自体も一月程度であり、ヘレナの武器はハリセンだった。そして今、兵士たちに向かって叫んでいるほど、理不尽ではなかったと思う。

 それこそ、シャルロッテたちが受けた訓練では、無限走り込みが行われたのは四日目くらいだったと思うし。あれが初日だと考えると、逃げ出したくなると思う。


「……ただ、同時に思うことがありますの」


「ええ」


 しかし、その考えはあくまで、今この訓練を見ているから言えることである。

 そしてシャルロッテたちは軍人というわけではなく、当時は後宮の側室。軍人レベルの訓練を受ける理由が、そもそもない。

 だからこそ、ヘレナなりに手加減をした上での訓練だったのだと思う。


「……優しくてアレかぁ、と」


「……そうね」


 しかし。

 残念ながらその『手加減をした優しい訓練』であっても。


 かつてのシャルロッテたちにとっては、地獄と同じだった。

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