第14話 地獄の幕開け
「よく揃った、諸君」
ガングレイヴ帝都から、少し離れた草原。
街道を横に、広がるその草原は今のところ人の手が入っていないものだ。どうしても農地というのは都市を中心に広がっているため、都市から離れた場所というのはこうして放逐されている場合が多い。
たまに畜産をしている者が草を食ませにやってくるらしいが、それも一応、軍からの布告ということで一時的に止めさせている。
これから半年、この草原で行われること。
それは――
「まず、自己紹介をしておこう。私はヘレナ・アントン=レイラ・ガングレイヴ。当代皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ陛下の妻であり、皇后という立場にある」
そんなヘレナの前に集まっているのは、二千五百人の禁軍兵士たち。
特に事前説明を行うこともなく、将軍であるクリスティーヌから全軍に触れをだし、この草原へと集めたのである。そのため、ほとんど統制は取れていない。ただ、そこに集まっているだけだ。
中には、「ひゅー、あの人が皇后か!」「元将軍なんだろ?」「なんか見たことあるぞ?」などと雑談をしている連中もいる。
これが軍か――そう、落胆の気持ちを隠せない。
だが、ヘレナは約束した。
半年後には、まともな軍に仕立ててやると。
「静粛にっ!!」
ゆえに、ヘレナは。
まず鬼の形相で、そう全軍へ向けて告げた。
戦場において指揮官の役割というのは、全軍に対して指示を出すことだ。そのため、ヘレナの声は万の軍勢であっても届くものである。
特にそれが騒がしい戦場でなく、怒声ともなれば尚更だ。
へらへらと談笑を続けていた者が、そんなヘレナの一喝で雑談を止める。
「私が良いと言うまで、その口は塞げ。質問は許さん。文句も許さん。お前たちがこれからすべきことは、私の質問に対して無言のイエスを答えるだけだ」
「……」
「よろしい。では、話を続けよう」
どこか弛緩した雰囲気のあった禁軍兵たちが、黙り込んでヘレナの言葉の続きを待つ。
まともな訓練を受けていないということは、同じく上官からの恫喝も受けていないことと同じだ。何故なら、彼らに恫喝することができる立場というのも、また存在しないがゆえである。
最も家格の高い者では、侯爵家の子息も入隊しているという禁軍。
ある意味彼らが禁軍に入っているのは、彼らを軍が持て余したというのも一つの理由なのだ。
「今、この場においてお前たちの実家は、何一つ関係ない。お前たちは総じて役立たずであり、総じてクズだ。民の血税から給金を貰っている立場にありながら、一人前の兵士としての自覚もない、帝国におけるお荷物に過ぎない」
「――っ!」
兵士たちから、声なき声が上がる。
彼らに、軍としての指導ができない理由――それは、純粋に彼らを指導するべき立場の者が、彼らよりも家格が低いことが上げられる。
例え将軍位であっても、与えられる爵位は名誉男爵であり、あくまで一代限りの貴族位でしかない。そして、彼らの実家は侯爵家をはじめとした高位貴族だ。
分かりやすく言うと、彼らには「俺たちに傷の一つでもつけてみろ。実家に言うぞ」が使えるのである。
「だが今回、お前たちをクズから兵士にしてやる。ありがたく思え。だが、私一人では手に余る。そのため改めて指導するにあたり、指導する人員をこちらで用意した」
「……」
「この人員たちが行う指導は、私が行うものと同じだ。そこに対する不満は、同じく私に対しての不満となる。それを声高に叫び、実家に言える者がいれば好きに言え」
「……」
ヘレナの言葉に、黙り込む兵士たち。
逆に言うならば、この兵士たちを指導することができるのは、唯一ヘレナだけだと言っていいだろう。
後宮にいた頃は、あくまで侯爵家の娘であり軍の一員だったヘレナだが、その立場は今大きく変わっている。何せ、皇后だ。この国において、皇帝の隣に並び立つことのできる唯一の存在である。
彼らの実家がどれほど高位貴族であったとしても、ヘレナに逆らうことはできないのだ。
「お前たちには、これから特別な訓練を受けてもらう。向こう三ヶ月間、家に帰ることはできん」
「えぇっ!?」
「ほう」
ぎろり、とヘレナは全軍を睥睨する。
ヘレナの言葉に対して、不満の声を上げた者がいた。言葉を止める理由は、それだけだ。
軍にとって、最も必要なのは規律である。そしてこの場において、規律とはヘレナだ。上官であり指導役であるヘレナが、「私が良いと言うまで、その口は塞げ」と命じたのである。
その命令に対し、声を上げた――つまり、それは命令違反だ。
「今、声を出したのは誰だ」
「……」
「私は言ったはずだ。私が良いと言うまで、その口は塞げ。お前たちがこれからすべきことは、私の質問に対して無言のイエスを答えるだけだ、と」
「……」
「先、声を上げた者。出てこい」
「……」
ヘレナの言葉に、誰も答えない。
代わりに、軍の周囲に置いていた人員――それぞれの騎士団から選出された、今回の指導役である――が兵士たちの中に割って入り、その声の主を探した。
程なくして一人の指導役が、兵士たちの中から一人の首根っこを掴んで出てくる。
そして無言で、その男をヘレナの前に放り投げた。
兵士は、恐怖に震えながらヘレナを見て。
「ひっ……!」
「声を出したのはお前か」
「ひぃっ!? そ、その、お、おれは……」
「私はまだ、口を開いて良いと言っていない」
「――っ!」
言い訳に対して、鋭い眼差しでそう告げる。
先程声を上げたことにも、ヘレナの言葉に慌てて答えようとしたことにも、「口を塞げ」という命令を認識していないことが分かる。
気付いたその男が自分の口を塞ぐが、遅い。
当然――規律の違反に対しては、厳しい罰が伴うものだ。
「ぬんっ!」
「ぎゃあっ!?」
男の尻を、思い切り叩く。
当然、手ではない。ヘレナが手に持っている、
赤虎騎士団の詰所に行った際、貰い受けた折れた弓――その柄だ。よくしなり、耐久性の高い弓の柄は、折れた場合はこうして鞭の代わりに使われる。
勿論、あくまで弓の柄であるため、大した殺傷力はない。代わりに、鞭打というのは激しい痛みを与えるものなのだ。
「う、あぁぁ……!」
「ほう。私は口を塞げと言ったはずだ。どうやらまだ分かっていないらしい」
「えっ!?」
「ふんっ!」
「うぎゃあぁっ!?」
再び、ヘレナは男の尻に笞杖を打つ。
勿論、尻に向かって打つのは、後遺症を残さないためだ。尻というのは固い筋肉に覆われており、鞭の一撃で骨が折れるということはない。
ゆえに――同じく、遠慮もない。
「まだ叫ぶ元気があるか。ならば、お前が口を塞ぐまで続けよう」
「ひっ……!」
びしぃっ、と。
再び、男の尻に笞杖の一撃が入る。無論、ヘレナもできるだけ加減した一撃だ。ヘレナが本気を出せば、笞杖の一撃で肉を裂けるところを、痛みだけに留めているのである。
都合、七度。
それが、ヘレナが男の尻に向けて笞杖を振るい、叫び声を出さなくなるまで続けられた。
「……っ、……っ!」
「よろしい。では列に戻れ」
「……」
「さて、諸君。同じ目に遭いたくなければ、なるべく口を塞いでおくことが賢い選択だ」
顔面を蒼白にしながら、目の前で起こった拷問を見届けた兵士たち。
同時に、彼らは理解した。
「でなくば、私の武器がもっと鋭利なものに変わるぞ」
自分たちが。
地獄へやってきたのだと。
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