第13話 赤虎将との会談

「久しぶりだな、ヘレナ」


「ええ、ヴィクトル。変わりはありませんか?」


「うちは特に変わりねぇよ。お前の方は、随分と状況が変わったみてぇだが」


「まぁ、そうですね」


 赤虎騎士団。

 帝都の南に位置するそこは、青熊騎士団と併設されている詰所だ。基本的には」東西南北にそれぞれ二つずつの騎士団が配備されており、赤虎と青熊は南方を担当している。

 ヘレナは軍に入隊し、後宮に召されるまでずっとこの赤虎騎士団で過ごしていた。

 だから、郷愁というか懐古というか、どことなく奇妙な感覚だ。

 もっとも、今いる『赤虎将』の将軍執務室は、ヘレナが副官に昇進するまでほとんど入ったこともなかった場所だ。

 こうして来客用のソファに自分が座っていて、目の前にヴィクトルがいるというのは、なんとなく違和感がある。


「バルトも、状況が随分変わったみてぇだがな」


「おや、そうなのですか?」


「お前が仕組んだんじゃねぇの? あのおっさん、随分若ぇ嫁さんを貰ったらしいが」


「……」


 ヴィクトルがそう言ってくることに、心当たりしかない。

 きっと今日も、フランソワは持ち前の不器用さで空回っていることだろう。彼女が望んで嫁いだわけだから、基本的には放置しようと考えているヘレナである。


「まぁ、バルトロメイ様なら上手くやるでしょう。今日来たのは、別件です」


「おう。ま、皇后……なんかお前を皇后って呼ぶの、すげぇ違和感があんだけど」


「奇遇ですね。私も未だに慣れません」


「お前は慣れろよ……まぁ、わざわざ皇后がここまで来たんだ。それなりの用件なんだろ?」


 ヴィクトルが目を細めて、ヘレナにそう尋ねる。

 アンジェリカ、クリスティーヌの両方から禁軍の現状を聞いたヘレナは、すぐに動いた。八つの騎士団全てに使者を派遣し、将軍と会見する機会を設けたい、と。

 そんな八大騎士団の中で、最も早く都合がついたのが『赤虎将』ヴィクトル・クリークだった。

 ヘレナとしても古巣であるということで、何の気負いもなくやってきたわけだが。


「訓練施設と、教官を数名借りたいんです」


「……訓練施設って、赤虎騎士団のか?」


「ええ。今は特に新兵訓練ブートキャンプも行っていないでしょう?」


「まぁ、空いてはいるが……」


 ヘレナの言葉に、眉を寄せるヴィクトル。

 ガングレイヴ帝国において、最も就職する敷居が低いとされているのが軍だ。槍を持つことができれば、文字を書けなくても入隊できると評判である。

 だがその代わりに訓練は過酷で、入隊した者は三ヶ月の間みっちり基礎体力訓練、集団行動訓練を、それぞれの騎士団に併設された訓練施設で行うのだ。これが、軍への一斉入隊が行われる春先から夏場までの出来事である。

 そして秋に入ろうかとしている今の時期は、訓練施設を使っていないのだ。


「何をするつもりだ?」


「脆弱な禁軍を鍛え直してやろうかと。私の義妹が、禁軍の後見をしていまして」


「……あー、アンジェリカ皇女殿下か。そういや、ちらっとそんな話聞いたわ」


「ええ。それにあたって、訓練施設と教官を数名お借りしたいんですよ」


「なるほどな……」


 うぅん、とヴィクトルが腕を組む。

 禁軍は唯一、皇族が動かすことのできる軍事力であり、八大騎士団とは異なる独立した組織だ。そのため、そもそも軍との関わりがないのである。

 だがヴィクトルは、そんな禁軍を率いたことのある数少ない将軍の一人だ。


「確かに、クソみてぇな練度だったからな、あいつら。まともに指導受けたのかって思うくれぇに」


「そんな連中を率いて、よくリファールを止められたものです」


「ほんと思うわ。俺すげぇよな」


「……はいはい」


 ヴィクトルが言っているのは、ヘレナが後宮に入る直前。

 二正面作戦を強いられていたため、帝都に兵力がほとんどなかった状態で、リファール王国が急襲してきたのだ。そこに、報告のために偶然戻っていた『赤虎将』ヴィクトル、そして元副官ヘレナの二人に対して、禁軍を率いてリファールに対抗するようにと命令が下された。

 あまりの練度の低さに嘆きながら、どうにかリファールを撃退したのは、まだ記憶に新しい。


「なるほどな。そういうことなら、分かった。訓練施設は好きに使え」


「ええ、ありがとうございます」


「あと、訓練教官か。うちの方で数人、見繕って送ればいいか?」


「そうしてくれると助かります。技量は特に問いません」


「お前の方で、訓練指導もしてくれるんだろ。将来有望な奴を送ってやる」


「そういうことになりますね」


 話が早い。

 そう思いながら、ヘレナは笑みを浮かべる。

 戦場に出た経験もない新兵を育成するには、少なくない時間がかかる。だがそれ以上に、彼らを育成する側を育成するのには、さらなる時間がかかるのだ。

 良い指導者がいれば、それだけ新兵の質も上がる。逆に指導者の質が悪ければ、新兵もまたろくな教育を受けることができない。そして新兵の指導という役割を任される者は、大体その後も出世して役割が増えていくため、自然と指導者の方が人数不足になってくる。

 これが、全ての騎士団においてまだ表在化していない問題の一つだ。


 だから、これはヘレナから出せる交換条件でもある。

 元赤虎騎士団の副官であり、数多の新兵を育成してきた鬼教官であるヘレナ。そんなヘレナから、直々に指導を受けることができるのだ。まだ指導者としては未熟な者に、禁軍に対する指導という妙な形式ではあるけれど、ヘレナの監督付きで訓練指導の実践を行うことができる。

 この条件ならば、使っていない訓練施設を貸すことに対しても、好意的に受け止められるだろう――そう考えていた。


「それで、いつから始めるつもりだ?」


「禁軍の方の準備がありますので、来週あたりからですね」


「分かった。うちの方でも、軽く片付けだけしとくわ」


「お願いします」


 ヘレナが右手を差し出し、それをヴィクトルが握る。

 かつては将軍と副官という立場から、今は将軍と皇后という立場に変わった、ヘレナとヴィクトルの関係。

 今後、ヘレナがヴィクトルの隣で指揮を行うことは、未来永劫ないと思うけれど――。


「……」


「……」


「……おい、ヘレナ」


「ぐ、ぅ……相変わらず、ゴリラのような腕力を……」


「てめぇ、も……相変わらず、女と思えねぇ……」


 互いに、力一杯に握りしめた握手に。

 未来永劫、友という関係は変わらないだろう――そう、思えた。

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