第142話 いざ、初夜へ
その日のうちに、ガングレイヴ帝国全土に新たな皇后が誕生したことが流布された。
田舎の村にさえ、「なんかめでてーことがあったんだってよ」くらいに知られるほど、それは早急に流布された。そこに、何かの団体の作為を感じないでもない。ただ少なくともガングレイヴ帝国全土で、そして隣接する他国全てに、この吉報は知れ渡った。
そして、夜。
全ての儀を終えたヘレナは、くたくたの体で離宮――これから自分が暮らす場所へと戻ることとなった。
「お久しぶりです、ヘレナ様」
「ああ……アレクシア、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「はい。おかげさまで壮健です。今後、ヘレナ様の……皇后陛下の直属侍女はわたし、アレクシア・ベルガルザードが務めさせていただきます」
「頼りにしている」
短くそう答えて、ヘレナは自室のソファに体を埋める。
用意された部屋は、随分と広い。今まで後宮で住んでいた、広いと思えていた部屋のゆうに三倍はあるだろう。こんなにも広いというのに、ろくに家具などは置かれていない。
せいぜい、ソファとテーブル、それに豪華な寝台くらいのものだろうか。
「……広すぎて落ち着かんな」
「本来、皇后となられるお方ですから、それなりの荷物を用意してやってこられます。ですので、これほどの部屋が必要なのです」
「ふむ。私には縁がないな」
何せ、身一つでやってきたヘレナである。
後宮から荷物こそ運び込まれているものの、そもそも入宮した時点で荷物などほとんどなかったのだ。服だって数枚の着回しているものだし。
存在感を重厚に放っているのは、そんな豪華な部屋に不釣り合いの大剣くらいのものだろうか。
「何かお飲みになりますか?」
「いや、いい。今日は疲れた。もう休ませてもらうとしよう」
「わたしとしましては、わたしが後宮を出てからのお話などお伺いしたいのですが」
「また後日でいいだろう。どうせこれから、長い付き合いだ」
ヘレナの言葉に、アレクシアも確かに、と頷く。
ほんの一月ほど、アレクシアが先に離宮に入っていただけであって、この人事は既定路線だ。最初から、アレクシアがヘレナの侍女になることは決まっていたのである。
そしてヘレナ直属侍女であるアレクシアとは、今後長く付き合うことになるだろう。話をする機会などいくらでもある。
「なるほど。ですがヘレナ様、わたしの方から助言を一つ」
「うん?」
「本日は、結婚式が執り行われました。ヘレナ様が何やら言い出したために、ちょっとした騒ぎになったとは伺いましたが」
「あー……うん」
恐らく、あの「断る」発言のことだろう。
もっとも、ファルマスには好意的に受け止められたようだが。後で聞いた話、アントンはあの発言のせいで顔が真っ赤になるほど怒り狂っていたらしい。衛兵に止められながらも、「あの馬鹿娘を止めなければならぬっ!」と叫んでいたほどに。
だが、それがどうしたというのか――。
「ということは、本日は『初夜』でございます」
「――っ!!!」
「結婚式の日の夜。その意味はヘレナ様もご存じだとは思いますが」
「う、うっ……!」
あまりにも認識していなかったアレクシアの助言に、ヘレナは言葉を詰まらせる。
確かに、言われてみればその通りだ。今日は結婚式が行われた。その結婚式の夜ということは、つまり初夜である。その意味が分からないほど、ヘレナは物を知っていないわけではない。
初夜――それは。
初めての、夫婦での夜の営みを行う時間だ。
「まぁ、今まで毎夜のように陛下が訪れておられたヘレナ様ですし、初夜というのも今更なことだとは思いますけれども」
「……」
「ただ、これが皇家のものとなると、事情が変わってきます。まず、『湯浴みの儀』を侍女二人と共に行っていただきます。その後、初夜装束に身を包んでいただきます」
「何それ!?」
「それから、『初夜誓いの儀』になります。勿論、これについてはわたしがサポートいたします」
「全く聞いていないのだが!?」
ヘレナが聞いていたのは、結婚式までだ。
だが確かに、結婚式でさえ様々な儀式を行ってきた皇家の婚姻である。その初夜にも、何かしらの制約があると考えて当然だろう。
だが、そんなことはルクレツィアでさえ一言も――。
「マリアベル、湯所の準備は」
「完了しております。いつでも『湯浴みの儀』に入ることが可能です」
「よろしい。そのまま適温を保つように」
「はっ!」
「怖いくらいに準備万端だな!?」
物陰から現れた、いつだったかルクレツィアの側に控えていた侍女――マリアベルが頭を下げる。
どうやらヘレナが知らないうちに、全ての準備は整えられているらしい。
「ではわたしの方から、これからの儀について説明させていただきます」
「拒否とか」
「できません。まず、わたしとマリアベルの二人でヘレナ様への『湯浴みの儀』を執り行わせていただきます。初夜衣装の方は、既に湯所の方に運んでおりますので、『湯浴みの儀』を終え次第そちらにお着替えください」
「……」
ちょっとした抵抗も、にべもなく断られる。
別にヘレナとて、嫌というわけではないのだ。ただ、もう二十九年も男を知らない体に、いきなり初夜と言われても困惑してしまうというのが本音である。
ファルマスに、これから抱かれる――想像するだけで、頭が爆発しそうだ。
「初夜衣装にお着替え次第、『子宝悲願の儀』に移ります。これは訪れた陛下と共に、まず夕餉を召し上がっていただきます。そちらが、できる限り精力を強める食材によって作られたものとなっております」
「果てしなく余計なお世話だな!」
「その食事を終え次第、『剔抉の儀』に移ります。これは花嫁であるヘレナ様が何も武器の類を身につけていないことを、介添人が確認することになります。ですので、ヘレナ様は陛下の前にまず介添人の前で裸になっていただきます」
「全力で嫌なんだが!?」
「ああ、ご安心ください。介添人はルクレツィア皇太后陛下です」
「安心できる要素がない!」
なんでわざわざ、ルクレツィアの前で裸にならればならないのだ。
そりゃ確かに、武器とか寝所に持ち込んじゃ駄目だからってことは分かる。分かるけど、分かるけど、でも大剣置いてある部屋に何度も来てたじゃないかファルマス。
「最後に、『床入りの儀』――まぁ、いわゆる本番ですね」
「言い方!」
「こちらは、介添人のルクレツィア皇太后陛下が最初から最後まで見届けますので」
「……」
……。
…………。
………………。
「……………………………………え?」
「はい、ヘレナ様。それでは『湯浴みの儀』を開始いたしますので、湯所へご案内いたします」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
珍しく、そんな女らしい悲鳴を上げながら。
ヘレナはアレクシアに引きずられて、部屋の外に連れていかれることになった。
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