第143話 初夜に向けて

「ではヘレナ様、準備の方は万端でございます」


「……しくしく」


 アレクシアとマリアベルの二人により念入りに念入りに『湯浴みの儀』とやらを行われて、物凄くつやつやになったヘレナは、用意された服に着替えた。

 肩や胸の谷間を強調する、薄手のドレスだ。真っ白であるのは、やはりそういう儀式に使われる装束だからだろう。ちなみに儀において決まっているらしく、下着は履いていない。

 そして案内されるのは、離宮の頂上だ。塔の最上階の部屋で初夜が執り行われるのが、代々のしきたりであるらしい。


「これより、『子宝悲願の儀』に移ります。わたしたちが付き添えるのは、扉の前までですので」


「……物凄く不安なのだが」


「ひとまずは、ファルマス陛下と食事を共にするだけとお考えください。いつもやっていることでしょう」


「まぁ、うん。そうだな」


 確かアレクシア曰く、精の付く料理をファルマスと一緒に食べることだとのことだ。

 夕餉や朝餉は一緒に食べることもあるし、それが少々精の付く料理に変わっただけのことである。そう考えれば、別に緊張する必要はないだろう。

 両開きの扉の、右側をアレクシアが、左側をマリアベルが開く。

 そして、その扉の向こうにいたのは――。


「待っていたぞ、ヘレナ」


 ヘレナと同じく、白い衣装に身を包んだファルマスだった。

 部屋の中央に置かれたテーブルの上に、並んでいる様々な料理。そして、部屋の端で微笑んでいるルクレツィア。

 他に、使用人らしき人物もいない。既に人払いをしているのだろう。


「それではヘレナ様、ごゆるりと」


「あ、ああ……」


 ぎぃっ、と音を立てて扉が閉まる。

 そして部屋の中に残されたのはヘレナ、ファルマス、ルクレツィアだけだ。ファルマスは既に椅子の上に腰を下ろしている。

 なんとなく張り詰めた空気に呑まれそうになりながらも、ヘレナもまた一歩踏み出し、ファルマスと対面となる椅子へと座った。


「ヘレナ」


「は、はひっ!」


「そういえばこのように、そなたの方から余を訪ねてくるのは、初めてだな」


「……は、はぁ」


 そうだったっけ、と記憶の引き出しを開ける。

 だが確かに、ヘレナの方からファルマスの部屋を訪れた記憶はない。玉座で謁見をしたことはあるが、それくらいだ。部屋の中で待つファルマスと訪れるヘレナという構図は、確かに初めてである。

 もっとも、部屋の端にはルクレツィアがいるけれど。なんでいるのだろう。そういえば、介添人がいるとか言ってた。


「まぁ、食べよう。残念ながら、酒はないがな」


「そうなのですか?」


「一応、これも儀式の一つだ。余にしてみれば、正直意味の分からん儀式の連続だが、皇族の婚姻というのはこういうものらしい」


「……」


 考えた奴、死ねばいいのに。一瞬そう考えてしまうが、恐らくこれを考えたのは皇族の祖先だ。つまりもう死んでいる。

 だがテーブルに並んでいるのは、確かにご馳走だ。鰻や貝、肉や葉野菜などが、様々な調理法で作られて並んでいる。ヘレナは『精の付く料理』とやらを全く知らないが、こういうものなのだろうか。

 もそもそと食べ始めるファルマスと、それに続くヘレナ。そんな食べる二人を、ルクレツィアはただ部屋の端で微笑みながら眺めているだけだ。


「うむ、美味い」


「……ええ、そうですね」


「だが確かに、これは精が付きそうだ。ただでさえ催しているというのに、このようなものを出されるとはな……」


「催している?」


 ファルマスの言葉の意味が分からず、そう聞き返すヘレナ。

 何を催しているのだろう。尿意だろうか。


「……言わせるな。その格好は、少々目の毒だ」


「えぇっ!」


「結婚式でのドレスは清楚だったが、こう……なんだ。そういった格好を見ると、色気の方が際立つ」


「そ、そんな……」


 確かに、これほど肌を露出させることはあまりない。

 特に胸の谷間など、これほどまでに強調させた服など着たことがないのだ。ファルマスがどこか目を泳がせているのも、ヘレナの格好が理由だったのだろう。

 戦場にいた頃には、邪魔だとばかり思っていたのだが。


「え、ええと! お、美味しいですねっ!」


「うむ……そうだな」


 なんとなく変な空気になってしまい、ヘレナはとりあえず食事を再開した。

 だが変に気を遣った結婚式といい、項垂れるほど疲れた『湯浴みの儀』といい、正直あまり腹が減っていないというのが本音である。それでも無理矢理、一緒に出されていた飲み物で流し込むようにヘレナは料理を食べた。

 ファルマスの方もそれは同じらしく、どこか落ち着きのない様子で食べている。


「ふぅ……」


「もう満腹だ。さすがに作りすぎではないか……?」


「明らかに、二人で食べる量ではないですね……」


 ヘレナの方も満腹になっているが、まだテーブルの上には大量に料理が残っている。

 そんなヘレナとファルマスのやり取りに、ルクレツィアがうふふ、と微笑んだ。


「好みのものだけ食べればいいのよ。残りは使用人に割り振る予定だから」


「そんな、食べかけを……」


「皇族の口にしたものですもの。皆、喜んで食べるわよ。我先にね」


「はぁ……」


 そんなものなのだろうか。

 だが、食事は終わった。終わってしまった。つまりこれで、『子宝悲願の儀』は終わったのである。

 そして次は、アレクシア曰く『剔抉の儀』に移るわけなのだが。

 これは、ルクレツィアを相手に全裸となり、武器の類いを身につけていないか確認されるというもの――。


「それじゃ、ヘレナちゃん」


「は、はひっ!」


「次は『剔抉の儀』に移るわ。これは、花嫁が初夜に暗器を持ち込んで、皇帝を害することを防ぐための儀。だからわたくしが、ヘレナちゃんの身体検査を行うんだけど」


「は、はいっ……!」


 ルクレツィアを相手に裸になるのは、さすがに恥ずかしい。

 勿論、無駄毛とかは全部、『湯浴みの儀』でアレクシアとマリアベルに処理されているけれど。あれも恥ずかしかった。

 だがそんなヘレナに、ルクレツィアは苦笑した。


「武器とか持ってないわよね?」


「え、ええ、勿論ですが……」


「じゃ、いいわ。これで『剔抉の儀』は終わりね」


「……え?」


 ルクレツィアのそんな言葉に、ヘレナはただ口を開くことしかできない。

 それでいいのだろうか。


「それで、ファルマス」


「はい、母上」


「これから、『初夜誓いの儀』に移るわ。あなたたちの交わりを、わたくしは介添人として見届ける必要があるの」


「はい」


 ファルマスも身を固くして、そう返答する。

 アレクシアから先に聞いていたことではあるが、やはり抵抗がある。せめて初めてくらいは、二人きりでと――。


「ただ、ね。ファルマス」


「はい」


「わたくし、少し眠くなってきたわ。あら、そういえば一階下の部屋にいい寝台があったわね。わたくしは少しそこで眠らせてもらうことにするわ」


「承知いたしました」


「……へ?」


 ルクレツィアの言葉に、特に動揺もせずに頷くファルマス。

 ヘレナはそんな二人を交互に見ながら、ただただ顔に疑問符を浮かべることしかできない。一体どういうことなのか、と。


「ではヘレナ、俺たちは向こうの部屋に行こう」


「へ? あの? 一体どういう?」


「それじゃ、ごゆっくりね」


 ルクレツィアが一人で、扉を開けて出て行く。

 それをファルマスは笑顔で見送って、ヘレナは戸惑いながら見送って。

 ただ、現状の理解が追いついていないヘレナに。


「あ、あの、これはどういう……」


「ヘレナ」


「は、はいっ……?」


「愛している」


 ヘレナの続く言葉は。

 感極まったとばかりに告げられた言葉と、塞がれた唇によって、その先を紡ぐことができなかった。

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