第141話 一つの結末

「え……い、今、何と……?」


「花嫁が、断る、と……?」


「こ、これは一体どういうことなのだ……?」


「ヘレナ、あやつっ……!」


 ざわざわと、参列者たちの騒ぐ声が聞こえる。

 それも当然だろう。この場は結婚式――それも、皇族の倣いに従って幾つもの儀をこなした後の最後、『婚姻誓いの儀』であるのだから。

 参列しているのも他国の要人から国内の有力貴族をはじめとして、高い地位にいる者ばかりである。そして『婚姻誓いの儀』は、あくまで形式的なものに過ぎないのだ。神父の言葉に対して、ただ「誓います」と告げるだけでいいのだから。

 だがヘレナは告げた。「断る」と。


「ヘレナ……?」


 参列者たちの中から、「ヒューッ! それでこそ俺の妹だ!」という叫び声が聞こえる。それに対して「落ち着きなさい!」「何を言っているのですか!」と周囲で阻んでいる声。あの兄の妹好きも、もう少し落ち着いてくれないものだろうか。

 また、姿は見えないが「あいつは絶対何かやると思っていた……!」と言っているのはアントンだろう。どうやら、悪い意味で信頼されているらしい。

 だがヘレナは、己の言葉を覆すつもりなどない。


「ファルマス様」


「あ、ああ……ヘレナ、一体どういう……」


「ファルマス様は、どのような伴侶をお望みでしょうか。皇帝の妻としてファルマス様の庇護を受け、離宮にて安寧の暮らしをする、そんな女をお望みでしょうか」


「え……」


「神父の言葉を、繰り返されていただきます。『汝、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、幸せなときも、困難なときも、これを愛し、これを慈しみ、これを慰め、これを助け、貞節を守り、死が二人を分かつまで、真心を尽くすと誓いますか』――ファルマス様は、神父にそう問われました。そして、誓われました」


「あ、ああ……」


 その文言も、リハーサルで何度となく聞いていたのだ。一言一句全てを覚えている。

 だが常に、その言葉に対して誓うファルマスに、不満があった。この言葉は結婚式の常套句であり、世の既婚者は全てが誓っている言葉であるからだ。

 それが平民であっても貴族であっても、皇帝という立場にあれど、誓う言葉は同じ。


「守ってもらいたい女を伴侶に求めるのならば、私は違う。私はあなたが望むならば、この国の剣となろう。この国の盾となろう。皇帝たる者、その心を示すべき相手は民であるべきだ」


「……」


「その愛する気持ちも、慈しむ心も、守る力も、慰めることも、私には必要ない。皇帝たる者、そのお気持ちは常に民に向いているべきだ。ただ一人の女に向けていいものではない」


「……」


「ただそのお気持ちの、僅かに一片――そこに私があれば、それでいい」


 ヘレナの言葉に、ファルマスは答えない。

 結婚式をぶち壊しにする一言を放ち、その上で皇帝に対して敬意の欠片もなく話し、あまつさえ説教のような真似をする――そんな花嫁は、今までいないだろう。

 ファルマスがふるふると拳を震わせて、それから目を伏せた。

 どのような言葉も、どのような罰を受けることも、覚悟している。


 そうでなければ、皇后――国を背負う重責など、この身で受け止められるものか。

 ヘレナは、ファルマスに愛されるだけの傀儡になるつもりなどない。共に背負い、共に築き、共に学び、共に生きるのだ。それが皇后として君臨する、ヘレナなりの覚悟。

 これで拒絶されるのならば、それでいい。

 そのときはただ、皇帝に捨てられた女として、再び軍へ戻ろう。


「ああ、もう……」


「ファルマス様、私は……」


「もうよい。まったく、お前は……!」


 ファルマスが頭を抱え、そして顔を上げた。

 怒りに満ちた表情かと思いきや、その口角は僅かに上がっている。まるで、この場を楽しんでいるかのように。


「ヘレナ、お前はっ……お前はっ!」


「はい」


「なんていい女なんだっ!」


「…………………………………………はい?」


 斜め上からのファルマスのそんな言葉に、ヘレナは開いた口が塞がらない。

 完全に、結婚式をぶち壊しにするような宣言をしたヘレナに、何故そのようなことが――。

 しかしファルマスは破顔して、そして真正面からヘレナを抱きしめた。


「えっ……!」


「ああ、ああ! その通りだ! どうやら俺には、まだ皇帝としての自覚が足りなかったらしい! まさか、このような場でそれを教えられるとは思わなかった!」


「ふぁ、ファルマス様っ……!?」


「その通りだ! 俺が最も愛するべきは、この国を支える民だ! 俺が最も守るべきは、この国に住まう民だ! 信じてもいない神になど、誓う必要などない!」


「あ、あの……?」


 神父が、変貌したファルマスの様子にあんぐりと口を開けている。

 神を信じているであろう神父の前で、その言い草はどうなのだろう。だがファルマスは、興奮しているようにヘレナを抱きしめたままだ。こんな衆人環視の場で、ちょっとヒートアップしすぎではなかろうか。


「ゆえに、俺はここで誓おう! この場にいる全員が、俺の誓いを聞け! そして受け入れるがいい! ガングレイヴ帝国当代皇帝、ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴはここに誓おう!」


 ヘレナを抱きしめたままで、ファルマスは儀式のためにと腰に佩いていた剣を、鞘から抜き出す。

 それを高々と掲げて、そして参列者の全員を睥睨するように示し、そして叫んだ。


「俺はこの国の全てを愛する!」


「お、おぉ……!!」


 まるで、それは波であるかのように。

 誰かから始まった拍手が、まるで全員がそれをしなければならないと感じたかのように。

 大広間を埋め尽くすほどの強大なものとなって、ファルマスを讃えた。


「皇帝陛下! 万歳!」


「ファルマス陛下、万歳!」


「ガングレイヴ帝国、万歳!」


 次々に、湧き上がる賞賛の声。

 その一部に、「皇后陛下、万歳!」とも聞こえる。何故、と全力で問いたくなるが。

 だがその代わりに、ファルマスはヘレナの頬へ口づけすると共に、耳元へと口をあててきた。


「だが、ヘレナよ」


「は、はい……?」


「お前は、その次に愛している。二番目だが、許してくれ」


「……」


 そんなファルマスの言葉に。

 ヘレナは頬を染めながら、ただ頷くことしかできなかった。

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