第140話 結婚式

 ファルマスとヘレナの結婚式は、恙なく進行した。


 何度とないリハーサルをやってきたし、常に実践だと思ってやってきた。そんな、進行の全てを頭に叩き込んでいるヘレナにしてみれば、これは練習の延長線上にあるものだ。戦場のように不慮の事態など、決して起こりえないのだから。

 もっとも、かといって疲労しないというわけでもない。

 高位貴族たちに囲まれ、周辺諸国の王侯たちに囲まれ、視線を送られ、平気でいられるほどヘレナの神経は太くないのだ。視線の雨に晒される時間は、まるで神経がゴリゴリと音を立てて削れてゆくような気持ちすら覚えた。

 だが、問題ない。現状は、全く問題ない。

 ヘレナは、皇后をやれている。


「さて。ファルマスの着替えの時間だから、少しだけ休憩時間ね。ヘレナちゃん」


「はい。ありがとうございます」


「休憩時間だから、そんなに肩肘を張らなくてもいいわよ」


「いえ。どうせ、すぐに再開されます。そのとき、だらしない姿をお見せするわけにいきませんので」


 凜とした表情で、ヘレナはそう答える。そんなヘレナの答えを聞いて、ルクレツィアは満足そうに頷いた。

 まだ結婚式の段階であり、皇后としてのあり方を教えるのはまだ先だ。今はまだ、愛する者と結ばれたことを喜んでいい日である。

 だが、この新婦はどうか。

 既にその心には皇后となる己の未来があり、そして醜態を決して晒すわけにいかないという覚悟がある。公務のために私心を殺す。まさに、その言葉を体現しているようではないか。

 自分が結婚式を行ったとき、これほどの覚悟ができていただろうか。

 そんなヘレナの様子に、ルクレツィアは若き日の自分を恥じる。

 我が子ながら、改めてヘレナを己の伴侶として選んだファルマスは、やはり慧眼であったのだろう。


「……」


 ちなみに。

 当然ながらこれは、ヘレナの『特に何も考えていない状態が、真剣に物事と向き合っているように見える』という特性から来るものである。

 そして当然のように、現在のヘレナは何も考えていない。強いて言えば、ちょっと腹が減ったなぁ、と思っているくらいである。


「皇太后陛下、皇帝陛下の準備が整った模様です」


「ああ、いいタイミングね。それじゃヘレナちゃん、行きましょう」


「はい」


 ルクレツィアに手を引かれて、ヘレナは改めて覚悟を決める。

 これから行われるのは、リハーサルでも最後――『婚姻の儀』だ。ちなみにこの『婚姻の儀』に至るまで、『皇家先祖報告の儀』、『宣誓の儀』、『万民への通例の儀』など様々な儀を行ってきた。半分くらいはもう覚えてすらいない。

 だが、ようやくこれで最後だ。これが終われば、ヘレナに訪れるのは安寧である。


 貴族たちが見守る中、中央を切り裂くように真っ赤な絨毯が敷かれた道を、ルクレツィアと共に歩く。

 これは『先代の皇后が次代の皇后を送り出す』という意味合いのためであるらしい。普通の結婚式ならば新郎と新婦か、もしくは新婦と新婦の父であるはずなのだが、皇族の結婚というのはかくもややこしいものである。

 暫く視線に晒されながら歩みを進めて、その最後――神父の待つ祭壇へ。

 そこには既に、真っ白な衣装に身を包んだファルマスが立っていた。


「ヘレナ」


「はい、ファルマス様」


 ルクレツィアに引かれていた手を、差し出されたファルマスのそれに重ねる。

 そしてルクレツィアは祭壇に一礼をして、そのまま絨毯から逸れて観衆の一員と化した。

 ここからは、『婚姻誓いの儀』である。


「こほん」


 教本を携えた神父が、咳払いをする。

 それと共にファルマス、ヘレナは手を繋いだまま、揃って神父の方を向いた。

 その祭壇に置かれているのは、一対の指輪。

 ヘレナの給金では買うのに十年以上かかるであろう、高級そうな宝石のついた指輪だ。宝石が大きければ大きいほど魔除けの効果があると信じられているためだそうだが、ヘレナにしてみれば無駄遣い極まりないと思っている。

 これが、ファルマスと自分の結婚指輪――。


「新郎、皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ」


「はい」


 神父が、ファルマスのことを呼び捨てにすることも、ファルマスが敬意を表することに対しても、誰も何も言わない。

 ファルマスは神に対して敬意を表しているのであり、神父は神の言葉を代弁する者であるからだ。


「汝、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、幸せなときも、困難なときも、これを愛し、これを慈しみ、これを慰め、これを助け、貞節を守り、死が二人を分かつまで、真心を尽くすと誓いますか」


「誓います」


 神父の言葉に、ファルマスはそう即答する。

 そんな流れるように告げられた神父の言葉は、結婚式の常套句だ。この言葉を誓うことで、今後夫婦は共にある――そんな意味が込められた言葉である。

 だが、何と重いことか。

 どんなときも相手のことを想い、相手のことを全てとするこの言葉は、ただの一瞬で誓うには、あまりにも重すぎる言葉である。


 だが、今度はその質問がヘレナへとやってくる。

 そして、ヘレナはその質問に答える準備ができていた。


「妻、ヘレナ・レイルノート」


「はい」


「汝、健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、幸せなときも、困難なときも、これを愛し、これを慈しみ、これを慰め、これを助け、貞節を守り、死が二人を分かつまで、真心を尽くすと誓いますか」


 ファルマスに告げられた文言と、一言一句違わぬ言葉。

 そしてヘレナは、この言葉に答える準備ができている。


 弟子たちに告げられて、変わった自分の想い。

 ただの皇后になるのではなく、本当にファルマスを心から支え、そしてヘレナ自身も輝ける、そんな皇后にヘレナはなるのだ。

 ゆえに、答える言葉など決まっている。


「断る」


 そう、短い言葉を告げた瞬間。

 ファルマスの目が見開くと共に、会場全体に波打つように衝撃が走った。

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