第137話 仕合
ヘレナは大剣を投げ捨てる。
さすがに、弟子と手合わせを行うにあたって相応しい装備ではない。この大剣はあくまでヘレナの鍛錬のために用いるものであり、戦場では斧槍を、こういった仕合の場では徒手格闘で臨むのがヘレナの流儀だ。
そして横一線に並んだ弟子たち――フランソワ、マリエル、シャルロッテ、クラリッサ、アンジェリカの五人を相手に、胸の前で拳を突き出して構える。
「さぁ、かかってくるがいい!!」
気迫と共に告げ、足を一歩踏み込む。
大地を揺らすような震脚。それに一歩身じろいだのはフランソワとアンジェリカか。そして涼しい顔をしているのはシャルロッテ、マリエルの二人。
そして最後――クラリッサは、不敵なまでの笑みを浮かべた。
「さぁっ――」
クラリッサがそう大きく息を吸い込むと共に、横一線に並んだ五人の中央から。
まっすぐに、ヘレナへ向けて駆け出した。
「いきますっ!!」
「来いっ!!」
クラリッサを先頭に、右手にシャルロッテが、左手にマリエルが展開する。
やや身じろいでいたフランソワも僅かに右へ移動し、弓に矢を番える。そしてアンジェリカはフランソワと逆方――左の方へ移動しつつ、恐らく投げやすいと判断したのであろう石を集めている。
後方に意識を集中してしまえば、前衛の三人に蹂躙される。かといって前衛にばかり意識を割けば、数多の矢弾が飛んでくる。これも日々の鍛錬からなるものだろうが、五人の連携もまたぴったりと合っているのだ。
「はぁぁっ!!」
ヘレナから最も近い位置で、その攻撃を受け止めようと突出してくるクラリッサ。
彼女は五人の中で、最も『防』において優れている戦士だ。
棍棒のような振り抜かれる拳の一撃を、ヘレナは髪を一房薙がれるだけで躱す。
「ふっ!!」
「甘いっ!!」
クラリッサの一撃を避けた先で、ヘレナはさらに体を沈ませる。そんなヘレナの頭上を、風を裂くような一閃が走った。
一瞬でヘレナへと肉薄し、そして放った裏拳の一撃。シャルロッテは、この五人の中で最も『速』において優れている戦士だ。背後に回ってくる気配に気付かなければ、この裏拳は的確にヘレナのこめかみを襲っていたことだろう。
走り込み、駆け続け、無駄な肉を削ぎ落とし、ただひたすらに速きことに重きを置いて鍛え抜いた体。服を着れば痩せてすら見えるその体は、戦場では敵兵の首を狩る一陣の風と化す。
「やぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そして二人と徒手で相対していれば、その隙をついて襲いかかってくるのがマリエルの棒だ。
棒をまるで己の手足のように使うマリエルは、この五人の中で最も『攻』に優れている戦士だ。棒術であるがゆえのリーチを余すことなく使い、敵に接近させることなく突きの壁を作り出す彼女は、一対多数であっても蹂躙するだけの働きをするだろう。
突かば槍、払えば長刀、持たば太刀――その言葉通り、マリエルはまさに棒を七色の武器として使い分けることだろう。戦場においても、乱戦において彼女の価値は計り知れないものだ。
そんなマリエルの棒を払い落とし、距離を詰め、ヘレナはその胸へと的確に肘を――。
「くっ!」
「いきますっ!!」
当てようとして、一歩退く。
そんなヘレナの頭があったはずの場所を、一瞬で二本の矢が通っていった。何も考えずに攻めていれば、間違いなく眉間に当たったであろう位置に。
これがフランソワの恐ろしさ。針の穴を貫くような的確な狙撃は、まさに彼女にしかできないものだろう。特にマリエルから贈られたと言われている大弓は、一度見せてもらったがまさに職人による逸品だった。
五人の中で、最も『技』において優れているフランソワ――彼女が後ろで狙撃してくれているというだけで、前衛はどれほど心強いことか。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃあああああああっ!!」
「ふっ――」
そして、僅かに退いたヘレナへと襲いかかってくるのは、まるで雨霰のように襲いかかってくる石の群れである。
中庭を走り回り、集めたのだろう石――それがアンジェリカの強肩によって、一個一個が敵を貫く兵器と化す。投石という古来からある戦術において、たった一人で投石機並の働きをする彼女は、戦場において悪夢のような存在だろう。
フランソワの矢も、シャルロッテの拳も、クラリッサの肉体も、マリエルの棒も――彼女ら五人が及ばない、彼女の最も優れているもの。それは『量』なのだ。
腕を回して、こちらを襲う石を弾き、さらに襲いかかってくるクラリッサに相対する。
「はははっ――!」
成長した五人の弟子と、こうして仕合うことができる喜び。
本当に強くなった彼女らと、こうして戦うことができる悦び。
されど。
「だがっ! まだまだ、甘いっ!!」
彼女らを一人前の戦士と認めた上で、ここを戦場だと想定した上で。
戦場を駆ける武姫は、嗤う――。
「はぁ、はぁ……」
「ぜぇ……もぉ、無理、ですの……」
「お姉様、さすが、ですわ……」
「疲れ、ましたっ……!」
「こ、このくらいにっ、してあげるわっ……」
クラリッサ、シャルロッテ、マリエル、フランソワ、アンジェリカ――どれほどの時間戦っていたか分からないが、一人ずつ疲労の限界を迎えて倒れてゆく。
ヘレナからすれば、いつまでも戦っていたかった。もっとも、最近鍛え方が甘かったヘレナも、倒れ込みたいくらいに疲労していたが。
それでも自分には敵わない、と倒れ伏している弟子たちの前で、ヘレナが倒れるわけにいかない。
「強くなったな、お前たち」
「お姉様……」
「いや、私も危ういと思ったほどだ。これからも精進しろ。お前たちならば、もっともっと強くなれる」
「はい、ヘレナ様……」
ふぅっ、と大きく息を吐く。
こんな風に弟子たちと仕合えるのは、今日で最後だ。
明日からヘレナは皇后となり、皇族の一員となる。この国の頂点に座する一員となるのだ。
皇后が何の仕事をするのかまだよく分かっていないが、今までのように自由な時間など与えてはくれないだろう。
それが、心に影を落とす――。
「お姉様……」
「どうした、マリエル」
「一つ、聞かせていただきたく……」
「言ってみろ」
ヘレナもそろそろ休みたい――そう思いながら、マリエルを見ると。
マリエルはこちらを射貫くような、真剣な眼差しで、ヘレナを見据えていた。
まるで、是非を問う――そんな審問であるかのように。
「お姉様は」
「ああ」
「ファルマス陛下のことを、本当に愛していらっしゃるのですか?」
「……」
そんなマリエルの問いに。
ヘレナは、すぐに答えることができなかった。
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