第138話 もやもやした気持ち

 マリエルの言葉に驚き、ヘレナは一瞬何も言えなくなる。

 本当にファルマスのことを愛しているのか。

 そんな質問などされたことがなかったし、される想定もしていなかった。とんとん拍子に決まった結婚に、そんなことを考えている余裕もなかった。


「それ、は……」


「わたくしも、以前から疑問でしたの」


「シャルロッテ……?」


 シャルロッテが、小さく溜息を吐きながらマリエルの言葉に続く。

 一体、何を疑問に――。


「愛する殿方との婚姻が決まったというのに、ヘレナ様は一つも嬉しそうではありませんの」


「えっ……」


「むしろ、辛そうにすら見えましたの。早く結婚という義務を終わらせたい――そんな様子すら窺えましたの」


「……」


 シャルロッテの言葉に、何も言えない。

 確かに、ヘレナ自身ファルマスとの結婚を、喜んだ覚えはない。プロポーズされたときには嬉しかったけれど、着々と進んでゆく結婚の話を、どこか他人事のように聞いていたことは否めないのだ。

 それに事実、襲いかかってくる日々のやるべきことを、ただただ消化していくだけの毎日だった。

 シャルロッテが、そのように考えてしまうのも仕方ないことなのだろう。


「わ、わたしは、バルトロメイ様との結婚を、陛下が後押ししてくださったことを、心から感謝しています!」


「フランソワ……」


「毎日、バルトロメイ様にお会いしたい気持ちでいっぱいです! フランは、バルトロメイ様のお嫁さんになるためなら、どんな努力だって惜しみません!」


「……」


「ですが、ヘレナ様は……!」


「いや、それ以上言わなくていい」


 フランソワの言葉を、遮ってそう言う。

 確かに、フランソワがバルトロメイに対して抱く愛の大きさと同じくらい、ヘレナがファルマスを愛しているのかと問われると疑問だ。

 だが、貴族令嬢たる者、本当に心から愛している者と結ばれる者など一握りだ。フランソワはその僅かな一握りである。


「事実、私からもそう感じました」


「クラリッサ……」


「私も、リクハルド将軍のことを心からお慕いしてます。リクハルド様がいかに素晴らしい人物か、夜通しフランに語り続けたこともあります」


「……」


 そんなにも、夜通し語るほどの魅力がある兄だろうか。

 良いのは顔と外面くらいのものだと思うのだが。


「ですが、ヘレナ様から……失礼ながら、陛下のそういった評を聞いたことがありません。確かに陛下のことですし、あまり口に出して言うことでもないでしょうけど……」


「……そう、だな」


「それでも、ヘレナ様から一度たりとも、『陛下はこういうところが素晴らしい』という評すら聞いたことがないとなると……どうにも、疑問です」


「確かに……」


 素晴らしい人物だとは、思っている。

 ノルドルンド侯爵によって傀儡として扱われながら、その実、この国を統べる皇帝としての心構えを見せていた。あのとき、ヘレナはファルマスのことを一角の人物だと評していた。だが、残念ながら誰にも言うことはできなかったのだ。ファルマスが自身を愚かな王と演じている限り。

 だがノルドルンドが失脚し、ファルマスがその権力を取り戻した今となっても、確かに弟子たちにファルマスの話をした覚えはない。


「ですから、あたくしたちは疑問に思ったのですわ。本当に、お姉様は陛下を愛してらっしゃるのですか?」


「……」


「勿論、愛なく結ばれる夫婦など、腐るほどいます。政略結婚など当たり前のこの国で、そんな風に愛する殿方と結ばれるなど、贅沢だとは思いますわ」


「ああ……」


「ですが、今のお姉様を見ていると……失礼を承知で言わせていただきますわ」


 きっ、とマリエルが真剣な眼差しでヘレナを見据える。

 その気迫に、その気勢に一瞬、気圧されてしまった。


「陛下が、あまりにも哀れです」


「……」


「お姉様のことを愛していることは、誰にだって分かりますわ。陛下が参加する必要もない午前の鍛錬に参加しているのは、誰よりもお姉様に認めてもらいたいから。陛下が毎夜のようにお姉様の部屋を訪れているのは、誰よりもお姉様に会いたいから。そんな陛下の持つ愛は、あたくしたちにさえ伝わるものですわ」


「……」


「それが一方通行だなんて……あまりにも……」


 マリエルの言葉に、目を閉じる。

 確かに、ファルマスからの愛は感じている。そして同様に、そんなファルマスのことを優しく見守りたいという母性のようなものもヘレナの中にあるのだ。決して、ヘレナとしてファルマスのことを愛していないわけではない。

 だが、生涯の伴侶として愛しているかと問われると、疑問だ。本当にヘレナはファルマスのことを愛しているのだろうか。


「そう、か……」


「お姉様……」


「お前たちの気持ちは、分かった。どうやら私も、自分の気持ちと折り合いがついていなかったようだ」


 改めてこのように考えたからこそ、気づけた。

 気づくきっかけを弟子たちが与えてくれなければ、それこそ婚姻を結んでからも気づくことがなかっただろう。

 この心のどこかにある、小さなしこりを。


「だが残念ながら、賽は投げられた。私は、皇后になる道しか残っていない」


「そう、ですわね……申し訳ありません。出過ぎたことを申して……」


「いいや、構わんさ。おかげで私も、初心を思い出すことができた」


 ふふっ、とマリエルに向けて微笑みを返す。

 この一月の間で、一番頭がすっきりしていた。心が晴れ渡っていた。

 そうだ。

 ヘレナが伴侶に求めることなど、一つしかない。


「そもそも私は昔から、『私より強い男ならば結婚してやってもいい』と告げていた」


「……え?」


「陛下にも、それを求めるとしよう。それで万事解決だ」


「……………………はい?」


 かつて母が、自分の結婚相手に求めたという条件。きっとファルマスならば、それをいつかクリアすることができるだろう。


 ファルマスならばきっと。

 いつか、ヘレナよりも強い男になってくれるはずだ――。

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