第133話 ダインスレフの使者
「陛下、ルーカス殿がいらっしゃいました」
「通せ」
玉座の間。
皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ。そして側に控える宰相アントン・レイルノートの二名、そして有事の際にすぐ動ける衛兵を十数名配置したそこは、基本的に貴族の謁見や他国の使者を迎える場所である。例外的に功績を挙げた軍人への恩賞を与える場合に使用されることもあるが、基本的には前述の二件のみだと言っていいだろう。
そして、本日の用件は後者である。
ぎぃっ、と扉が軋む音と共に姿を現すのは、白い服を着た一団だ。そしてそれぞれ、頭に布のようなものを巻いているのが特徴だろうか。
それは砂の国――ダインスレフ王国における、正装である。
「本日は、お時間を作ってくださりありがとうございます」
「ああ。こちらも待たせたことを侘びよう」
両手を組み、片膝をついて礼を述べる男――ダインスレフ王国の使者、ルーカス・マフマン。この座礼という風土も、またガングレイヴには存在しないものだ。
これまで全く国として交わっていなかったダインスレフ王国の文化は、どれを見ても驚くものばかりである。
そして本来、謁見の場における常套句は「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」である。されど、ルーカスの所属はダインスレフ王国であり、尊い存在とされるのはダインスレフに伝わる神のみであるという文化を持っている。そのため、礼は尽くしても謙りはしないという人種であるらしい。
「このようにお呼び出しいただけたということは、先日の件につきまして、良い返答をいただけるということでしょうか?」
「ああ……まぁ、時間をかけてすまなかった。こちらも色々と忙しくてな」
「いえいえ。小生はあくまで王の使いでございます。比べファルマス殿は皇帝陛下。ご多忙であることは重々承知の上でございます」
「ならば助かる。与えた部屋や食事は問題ないだろうか?」
「はい。一兵卒にまで過ぎた食事を与えてくださり、心より感謝しております」
まずは、世間話でお茶を濁す。
ここからファルマスがどう立ち回るかで、今後のガングレイヴとダインスレフの関係が決まるとさえ言っていい案件だ。急いて事をし損じるよりも、慎重すぎるくらいで丁度いい。
「砂の国は、我が国よりも大分暑いと聞く。そのような国で育った兵士たちだ。戦場ではさぞかし精強であろうな」
「兵の練度には自信がございます。されど、先日まで三方面と戦を行っていたガングレイヴの兵士に比べれば、いささか見劣りするかと。訓練と実際の戦場では、やはり覚悟も違いますから」
「その分、我が国は大事な国民を大勢失うことになった。優秀な指揮官もな」
「心より悼み申し上げます」
全く心のこもっていない言葉と、上っ面だけの笑顔。
短い返答は、「そんなことはどうでもいいから早く本題に入れ」ということだろう。
ファルマスは小さく溜息を吐いて、それから玉座の上で足を組んだ。
「それで、先日の件だが」
「はい」
先日の件。
それはルーカスより伝えられた、ダインスレフ王国とガングレイヴ帝国の友好を深めてゆき、同盟国として並び立つ件である。大陸でも比肩する国のない大国であるガングレイヴと、独自の文化と気候を味方にして威勢を保っているダインスレフ王国は、今まで友好的にも敵対的にも交わったことが一度もないのだ。
だがダインスレフ王国と国交を結ぶことができれば、ガングレイヴの実入りは大きい。鉱物や石材などはダインスレフ産のものが多いし、宝石などはほとんどがダインスレフ産だ。そのあたりの輸入を行うことができれば、それだけガングレイヴの懐も潤うというものである。
だが、そのために必要な条件が一つ。
それは、ダインスレフ王国の第二王女を皇族に嫁がせることで、家同士の結びつきを作りたい、というものである。
「余の記憶では……そちらの第二王女を、我が国の皇族に嫁がせるという話だったと思うが」
「はい、ファルマス殿。その通りでございます」
「残念ながら我が国には、皇族が三人しかおらぬ。余の母である皇太后と、余の妹である皇女、そして余だけだ。自然、第二王女を娶るのは余の役割となろう」
「おお。我が国の王女がファルマス殿に嫁ぐのであらば、これに勝る名誉はございません」
「ああ……」
最初からファルマスに嫁がせるつもりで提案をしたくせに、大仰に驚くルーカス。
皇族の人数など隠してもいないし、知っていて当然の情報だ。
「だが、問題が一つあってな」
「ほう。問題とは」
「余は、結婚を控えておる。既に日取りも決まっていてな……今更、それを覆すことができぬ」
「……」
ファルマスの言葉に、一瞬だけ眉を寄せるルーカス。
しかし刹那のうちにそれを貼り付けたような笑顔に変えて、頭を下げた。
「おお、そうでしたか。それはおめでとうございます」
「うむ」
「それで、ご結婚されるお相手というのは?」
「……」
副音声が、透けて聞こえるようだった。
暗に込められた意味は、「それはダインスレフの第二王女よりも格が上の相手であるのだろうな?」である。ここで下手な返答をしてしまえば、今後の国交にも差し支えてしまうだろう。
慎重に言葉を選びながら、ファルマスは続ける。
「我が国における、重鎮の貴族の娘だ。将来の国母として相応しいと考え、余が見初めた相手である」
「なるほど。そのように素晴らしいお相手と巡り会えた幸運、心より祝福いたします」
「それで、そちらの第二王女の件だが……余の第二夫人という形で考えておる」
「ほう……」
ルーカスの目が、鋭く細められるのが分かった。
皇族における第一夫人と第二夫人は、明らかに第二夫人の方が格下だ。第一夫人は皇后を名乗ることができるが、第二夫人はあくまで側室という扱いである。その持ち得る権限も、第一夫人と第二夫人では大きく異なると言っていいだろう。
つまりこのファルマスの言葉は、迂遠に「ダインスレフの第二王女より、我が国の貴族の娘の方が格上だと考えている」と答えているのだ。
「なるほど……ファルマス殿。そのお言葉、小生は一言一句違わず我が国の王に伝えましょう」
「ああ。良い返事を期待している」
「参考までに、ご結婚なさるお相手の名前を教えていただいても?」
「ああ、勿論構わん」
第一夫人でも第二夫人でも、ガングレイヴとダインスレフが交わったことに変わりはない。二国が結ぶ利点を考えれば、娘が第二夫人という形であったとしても、それほど強い反発はしてこないだろう。
そもそもダインスレフとて、『第二』王女を差し出してきたのだ。これでファルマスに正室がいるとなれば、そこまでうるさく言ってくることはない。
そこまで計算した上で、ファルマスは口を開く。
「ヘレナ・レイルノートだ」
「……」
「そこの宰相、アントン・レイルノートの娘だ。名前くらいは……」
「なるほど」
ルーカスが一瞬だけ目を見開いて、それからファルマスの言葉を遮ってそう発した。
本来、使者であるルーカスがそのような失礼な真似などするはずがないというのに。
その違和感に、ファルマスも眉根を寄せる。
「承知いたしました、ファルマス殿」
「ほう……?」
「小生より、国王陛下に具申いたします。アレクサンドラ・エル・ダインスレフ第二王女殿下は、ガングレイヴ皇帝陛下の第二夫人こそが相応しい、と。ええ。ええ!」
「へ……?」
何故かきらきらとした眼差しで、掌を返したようにそう言ってくるルーカスに。
ファルマスは、そんな間抜けな一文字しか返すことができなかった。
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