第132話 結婚準備

 話は、とんとん拍子に進んだ。


 翌日に元『紫蛇将』アレクサンデルに再び、一時的に『紫蛇将』の任に就くように通達がなされ、それに伴ってヘレナの行おうとしていた紫蛇騎士団全体の改革も、一時中断することになった。具体的には、謎の人形を作っていることとか。アレクサンデルが再就任することになった以上、あの人形作りは続けられることだろう。

 アレクサンデルがそのように軍へ戻ったことによって、次の宰相をアレクサンデルにと考えていたアントンも同じく多忙になったらしく、屋敷に帰らない日も出てきたらしい。せめて宮中侯だけでも誰か継がせられる者はいないだろうかと目下悩み中らしいが、長男は今日も軍で忙殺されているそうだ。

 ヘレナの――というかファルマスの我儘に振り回されているような彼らであるものの、かといってファルマス、ヘレナ両名も忙しかった。


「はぁ……」


「お茶ですの」


「ああ……」


 今日も今日とて、朝から訪れてくる客の相手を何度も重ねて、ヘレナはげんなりしていた。ここのところ毎日、来客の相手をし続けて全く鍛錬ができておらず、午前中の中庭にも顔を出せないでいる状態である。

 既に昼餉の時間が訪れたというのに、全く部屋から出ることができていない。

 ちなみに、そんなヘレナにお茶を提供しているシャルロッテは、午前の側仕えをエステルに丸投げして、一人で午前の鍛錬に行っていたりする。いい汗をかいて軽く体を拭いたシャルロッテは、まだ僅かに頬が上気している状態だ。


「……午後からの予定は?」


「レージー商会の宝石商と、先日採寸をしたドレスの下地ができたということでグランマ服飾店の店主が訪れてくる予定ですの」


「……もう、これ以上何もいらん」


「わたくしにそれを言われても困りますの」


 シャルロッテの返してくる正論ですら、どこか癇に触ってしまう。お前は女官の仕事をさぼっているくせに、と言いたい気持ちを、どうにか堪えた。

 代われるものならば代わりたいが、これはヘレナにしかできないことなのだから。


 正直に言って、ヘレナは『皇族の結婚』というものを甘く見ていた。

 ファルマスが「できれば準備に一年は欲しかった」と言っていたのを、軽く「ふーん」くらいで流してしまっていたのだ。むしろ、一年もかけて何をやるのかなぁ、くらいには思っていたものの、それ以上何も聞かなかったのだ。

 だが現実、それが自分に訪れて、よく分かる。

 これは、準備に時間をかけないと無理だ、と。


 結婚式にあたっての国内貴族の招聘、周辺諸国への通達。

 結婚式における食事、酒の設定。

 皇帝の結婚にあたっての民への特赦。

 結婚への祝福という形での民への振る舞い。

 まず、このあたりをクリアするために内政官たちはひーひー言いながら激務をこなしたらしい。


 そしてヘレナもヘレナで、やることが異常に多い。

 皇帝の結婚式とはいえ、やはり結婚式の主役といえば女である。ヘレナには実に、五度ものお色直しが用意されていた。されてしまっていた。簡単なタイムスケジュールを確認してそれを見て、軽く絶望すらしてしまった。

 そして、その五度全てに一級品のドレスを用意しなければならないし、それに合う宝飾品も用意しなければならない。そのあたり、皇室御用達の店は存在するものの、他の商会もこれを機にと皇室に売り込んでくることが多いのだ。勿論その全てにヘレナが応対するわけではないが、それでもその数が尋常じゃないほど多いのである。


「まぁまぁ。これも仕方ないことよ。何せ、将来の皇后を発表する場ですもの」


「……ルクレツィア様」


「わたくしも、結婚式前は忙殺されたわよー。ヘレナちゃんみたいに後宮にいるわけじゃなかったから、自称親戚とかたくさん来て困っちゃった記憶があるわね」


「はぁ……」


 そして何より、ここのところ毎日、ファルマスの母にして皇太后ルクレツィアがこの部屋を訪れているのである。

 ヘレナに宝石の善し悪しなど分からないし、ドレスの善し悪しも分からない。せいぜい、布の素材を見て「すぐに破れそうだ」と思ってしまうくらいである。いつぞや、宮廷の夜会でちょっと体を捻っただけでびりっ、と絶望的な音がしたのも記憶に新しい。結局、自分ではどこが破れたのか分からなかったが。

 だから、せめて破れないような素材を――と思ってしまうが、見た目が良いに加えてさらに丈夫なものをと考えるとお値段が跳ね上がるのである。ファルマスは「値段なぞ気にするな」と言ってくれるものの、そのあたりを色々考えてしまうのも仕方ない。だって元々、貴族としての自覚などないに等しいし。


「とりあえず、明日は全部の予定を外しているから大丈夫よ。朝から夜までは、ひとまず来客はなし。午後からの商会にも伝えなきゃね」


「はい。承知いたしました」


「今のところ、予定では二十五日後だからね。そんなに急ぐ必要はないかもしれないけど、時間は押してるから。ひとまずは、明日一日でみっちりね」


「……はい」


「はい。明日は一日、皇太后陛下からのヘレナ様へのマナー指導の時間になっていますの」


 シャルロッテが補足してくるように、明日は一日マナーの指導だ。

 今まで後宮で気楽に生きてきたし、紫蛇騎士団では軍人として振る舞っていた。そこに何の無理もしていなかったのだ。

 だが、今回は違う。結婚式に、『次代皇后』として出席しなければならないのだ。それこそ、いつぞやの夜会のように『最も寵愛している側室』でもなく『皇后候補』でもなく、決定事項としての『次代皇后』としてだ。

 これでヘレナがマナーを全く考えない振る舞いをすれば、周辺諸国からささやかれるだろう。宮廷のことを何も知らない野蛮な女が皇后になった、と。

 ゆえに、三日に一度はルクレツィアのマナー指導の時間になっているのである。


「ああ、そうだ。丁度いいわね」


「……はい?」


「マリアベル」


「は。お側に」


 ぱちん、とルクレツィアが指を弾くと共に、現れる侍女。

 マリアベルと呼ばれたその淑女は、凜とした立ち振る舞いに気品を持った、侍女の鑑と言えるであろう挙措のしとやかな女性だった。

 おぉ、と思わずヘレナは声にもならない声が漏れる。

 様々な侍女を見てきたが、今まで見てきたどんな侍女よりもザ・侍女という感じだ。ここまで侍女としての品格を持った者など、ヘレナはアレクシア以外に知らない。

 やはり皇太后に仕える侍女は、それだけ侍女としての教育を受けてきているのだろう。


「わたくしの食事も、ここに持ってきて」


「承知いたしました」


「丁度いいわ。時間もあまりないことだし、今日のお昼は食事のマナー指導にしましょう。皇后たる者、変な食べ方を見せちゃいけないしね」


「は、はぁ……」


 ぴくぴく、と口角を引き攣らせながら、どうにか頷くヘレナ。

 ひとまず、分かったことは一つ。


 今日は、昼食すら休むことはできない――。

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