第131話 エカテリーナ風雲急

「はへー」


 後宮。

 自分の部屋に届いた二つの文を確認して、エカテリーナ・スネイクは無表情のままでそう言った。その手に持っている二つの文は、片方が羊皮紙で作られた高級そうなもので、もう片方が竹簡である。どちらも、正式な書類として用いられるものだ。

 その両方に、全く真逆のことが書いてあることが非常に疑問なのだが。


「どうすればいいのでしょー」


「珍しいですね、お嬢様がそんなに驚かれているなんて」


「そりゃー、これは驚きますよー」


 特に何の感慨もなさそうな無表情だが、エカテリーナは実は全力で驚いていたりする。他の者には分からないかもしれないが、唯一幼い頃からエカテリーナに仕えている侍女のカサンドラには分かっているらしい。

 そんなカサンドラも同じく、二つ届いた文の内容に眉を寄せていた。


「そういえば、本日はドラフト会議の日でしたか」


「わたしもー、話は聞いていたのですけどねー。まさかわたしが選ばれるとはー」


「いつぞやの武闘会を思い出せば、納得の出来事ではありますけれども」


「しかし困りましたー」


 エカテリーナは再び、自分の手元にある二つの文を交互に見る。

 竹簡で書かれているのは、『軍部統括官マリア・アッカーマン』ならびに『紫蛇将ヘレナ・レイルノート』の名前が刻まれた、正式な要請書である。それは今春より紫蛇騎士団に仕えるにあたっての契約金や年俸が書かれたものだ。そしてエカテリーナが知る限り、今までドラフト会議で上位に選ばれた戦士に与えられるものに相違ない。

 そしてもう一方は、『皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ』の印章が押され、その隣に『禁軍将クリスティーヌ・ハイネス』という人名が刻まれている羊皮紙だ。外交における大切な書類に使われる羊皮紙であるようで、四方に金細工が刻まれている高級感溢れる代物である。禁軍将クリスティーヌ、という謎の文章は書いてあるけれども。いつの間に将軍になったんだあの女。

 もっとも、問題はそんな皇帝印章の押された正式な書類が、エカテリーナを禁軍副将軍として迎えたいと書いてあることなのだが。


「役職だけでしたら、禁軍の方が待遇が良さそうですね」


「別にお金はー、そんなに必要ではないのですよー」


「私どものような庶民には、とても言えない言葉ですね」


「こう見えて伯爵令嬢ですからねー。えへんー」


 事実、禁軍副将軍の立場として貰える契約金、年俸は、紫蛇騎士団の三倍近いほどのものだ。どう考えても破格の条件だと言っていいだろう。

 だが、エカテリーナは腕を組む。


「そもそもー、禁軍は戦場に出ない軍なのですよー」


「そうなのですか?」


「そうなのですー。主に宮城の警備や帝都の警邏が仕事なのですよー。記録では-、以前の大戦の際に-、二度ほど出撃があったみたいですけどもー」


 禁軍は戦場に出ない。

 それは情報収集に優れたスネイク家の令嬢であるエカテリーナならずとも、割と市井で広まっている事実だ。

 そもそも八大騎士団という武の要が存在するこの国において、禁軍というのは特殊な軍である。ガングレイヴ帝国は、権力の頂点に座する皇帝と、軍部の権益を完全に分離させているのだ。ゆえに他国との戦争が起こることになったとしても、皇帝から軍部に出撃を要請する形となる。そして法令により、軍部はこの要請を断ることもできると決められている。もっとも、長い歴史の中でも皇帝の要請を無視した事例などは存在しないが。

 そんな皇族が唯一、自分の指揮下として操ることができるのが、禁軍とされているのだ。


 ちなみに、エカテリーナの知っている『二度の出撃』というのは、いずれも突然攻め込んできたリファール軍に対して、急遽ヘレナが指揮したものである。


「そんな禁軍の副将軍なんてー、お飾りもいいところですよー」


「そうなのですか」


「そうなのですよー」


 エカテリーナは知らなかったわけだが、将軍にクリスティーヌが就任しているわけだし。将軍と副将軍として、それぞれ見目麗しい女を置いて客寄せをしようと考えているのだと思われる。

 そんなお飾りの副将軍など、真っ平御免だ。


「ただー、紫蛇騎士団からの要請というのも気になるんですよねー」


「それはどうしてですか?」


「簡単ですよー」


 カサンドラの問いに、エカテリーナはちっちっ、と指を振る。


「つまりこれはー、ヘレナ様が『紫蛇将』に就任されたことでー、ドラフト会議でわたしを指名したということなのですよー」


「はぁ。それは普通のことのように思いますが」


「それが違うのですよー。ただドラフト会議で要請を受けただけならー、まだいいのですー。ですがー、ヘレナ様からの要請ということでー、身内贔屓を疑われるのですよねー」


「なるほど」


 エカテリーナは、ごく一般的な貴族令嬢だ。実家が情報収集に優れたスネイク家だというちょっと変わった部分はあるが、極めて普遍的な貴族令嬢だと考えている。

 そんな、たかが貴族令嬢でしかない自分を軍の幹部に要請するなど、どう考えても身内贔屓としか考えられない。


「実力で入るのならまだしもー、依怙贔屓で入隊するとなればー、他の軍人からも風当たりが強いでしょうしねー」


「そういうものなのですか」


「これはー、ヘレナ様に真意を聞いてみましょー」


 よいしょっ、とエカテリーナは立ち上がる。

 せめてこれが、紫蛇騎士団ではなく銀狼騎士団とかなら良かったのになー、と思いながら。ちなみにそんなエカテリーナは、ヘレナとティファニーの競合によって選ばれたなど微塵も考えていない。いくら情報収集に優れたエカテリーナであったとしても、さすがにそこまで理解しろというのは無茶である。


「もう夜も更けておりますが」


「ヘレナ様はお部屋におられますよー」


「はぁ。でしたら先触れを……」


「ちょっとだけ話を聞くだけですからー。まー、行きましょー」


 カサンドラの言葉を無視して、エカテリーナは自室を出て、『三天姫』の部屋がある方へと向かう。

 今となっては、多分誰も使っていない呼称だと思うけれど。ヘレナが『陽天姫』であることを、今でもちゃんと覚えている者はいるのだろうか。むしろ、ヘレナが『陽天姫』であるより『紫蛇将』であることの方がよく知られているかもしれない。

 そんな風に考えながら、ヘレナの部屋――その扉に到着すると。


 中から、耳を澄まさずとも会話が聞こえてきた。


「ヘレナ、結婚しよう」


 思わず、扉を叩こうとする手を止める。

 向こうから聞こえてくる声は、間違いなく皇帝――ファルマスのものだったからだ。


「本来、一年は準備に……だが、こうなっては……少し順序を……余とそなたの結婚式からまず……」


 途切れ途切れにしか聞こえない言葉だが、その内容は察することができる。

 どう考えてもこれは、ファルマスからヘレナへのプロポーズだ。既に婚約状態ではあったのだろうけれど、ようやく話が進むということである。

 一歩退いて、エカテリーナはにやりと唇を吊り上げ。


 それから、本来の目的とは違う扉を、叩いた。


「誰? こんな時間に一体……あら、エカテリーナ? 一体どうしたの?」


「ええー、マリエルさんー」


「?」


「いい情報を買いませんかー? 主にヘレナ様に関することなんですけどー」


「お入りなさい」

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