第99話 将軍への道

「ああ、全く頭の痛い……」


「お疲れ様です、ファルマス様」


 夜。

 後宮にとっては比較的通常営業の、ヘレナの部屋へのファルマスの訪れがあった。この一月ほどリリスに任せて鍛えられた体は、細かった以前と比べて一回り大きくなっている。はち切れそうな筋肉の鎧――と呼ぶほどのものではないが、並の兵士よりは完成された体だと言っていいだろう。

 ファルマスは結局、中庭での試合を経て一旦宮廷に戻り、溜まっている執務をある程度済ませてきたのだという。将来的にはファルマスが不在であっても宮廷が回るように改革をしているらしいが、現在はまだ改革の途中だ。ファルマスが確認しなければならない案件も多いらしい。

 特に、外交関係などは。

 実際のところ目の回るような忙しさらしいが、それでもファルマスは必要最低限の案件だけを済ませて、夜になりこうして後宮へとやってきていた。

 一応、一月の新兵訓練ブートキャンプを終えた記念ということらしい。


「まさか、余の不在の間に、これほど執務が溜まっているとはな……特にリファールの外交の使者など、余が不在の間に二度も我が国を訪れていたらしい」


「また、戦となりそうなのですか?」


「いや……すぐには動かぬだろう。戦火は次第に、収束に向かっている。もしもあやつらが動くとすれば、我が国とダインスレフあたりが諍いを起こしたときだろうな。リファールに、一国で我が国と戦うほどの兵力はない。せいぜい、我が国の隙をつくだけの弱国よ」


「なるほど」


 確かに、弱国と罵られて当然かもしれない。

 ガングレイヴが二正面作戦という無茶をしているとき、『暴風』ガゼット・ガリバルディに率いらせて帝都を攻めてきた軍は、当時偶然帝都に滞在していたヴィクトルとヘレナにより防がれた。そして続く戦争により疲弊している状況で、『紅獅子』ゴトフリート・レオンハルトの裏切りという偽報が流れた折に奇襲を仕掛けてきたときも、後宮にいたヘレナが率いた軍により防がれた。

 二度も、窮地にあるガングレイヴを相手にすることができなかったのだ。そんな状況で、リファールが簡単に攻めてくることはないだろう。

 折角ヘレナが将軍になれそうだというのに、戦の気配は遠ざかってゆく。それが残念でならない。


「そのような顔をするな、ヘレナ」


「えっ……」


「そなたは、嘘のつけぬ女だな。『せっかく将軍になれるのに、戦争終わるのか……』と、まるで顔に描いているようだぞ」


「そ、そんな……お、お恥ずかしい……」


 かっ、と頰が熱くなる。

 そう思ってしまったのは事実だが、まるで心の奥を見透かされたような気持ちだ。そんなにも顔に出やすいのだろうか。

 いかんいかん、と気を引きしめる。自分でも気づかないうちに、緩んでしまっていたらしい。


「いや……恥じる必要はない、ヘレナ」


「へ?」


「余も、それは同じ気持ちだ。ヘレナに将軍位を与えると約束しながら、戦争は終着に向かっている。出来うるならば余も、ヘレナの戦場における活躍を見たいと思うのが事実だ」


「……」


「無論、余にはまだそなたと轡を並べて戦うほどの力はない。リリス嬢に鍛えられた身ではあるが、そなたに勝てる余は想像できぬ。いつかは、そなたの隣に並び立つ男になりたいとは思うがな」


 ファルマスが、小さく溜息を吐く。

 一月の新兵訓練ブートキャンプを経て、ファルマスの気持ちにも変化が生じたのだろうか。

 ヘレナとしては、「あのような虎の穴に余を突っ込みおって!」と叱られる予定だったのだが。


「ふっ……しかし、あまりにも濃密な一月だった」


「妹が……リリスが失礼なことばかり申し上げたこと、遅すぎますが謝罪させていただきます」


「構わぬ。余は、むしろ心から感謝したい。あの一月がなければ、余は未だ惰弱な皇帝のままであっただろう。改めて執務を行い、自分の変わった部分に驚いた。今後は余の考える政策も、民のための政治も、より良いものを提示することができるだろう」


「……」


 リリスは、これほどファルマスの考えが変わる何をしたのだろう。

 本人に問い詰めたいが、ファルマス曰く既にラッシュと共に国に帰ったらしい。アーサーも同じくである。

 さすがに国の重鎮である王子が、一月も離れ続けているのは問題なのだとか。


「ああ、それでだ。少しばかり順序を変えようと思っておる」


「……順序?」


「ああ。本来、余とそなたの結婚を発表した上で、そなたに『紫蛇将』を賜ろうと考えていた。だが、少しばかり事情が変わってな……先に、将軍位の発表から行うべきだと考えたのだ」


「おぉ……!」


 ファルマスの言葉に、ヘレナは目を見開く。

 ファルマスとの結婚というのは、まだ完全に受け入れられていない部分はある。だけれど、自分が将軍になるのだというシミュレートは何度も完璧に行った。

 紫蛇騎士団の面々については知らないが、それでも次代の『紫蛇将』として戦う覚悟は、既に決めてある。


「来月、発表を行う。そなたにも、その際には式典に出てもらうことになるだろう」


「承知いたしました。新たな将軍として、期待に応える働きをしたいと思います」


「うむ。期待しておるぞ、ヘレナ」


 ようやく、亡き母との約束を果たすことができる。

 とんとん拍子に副官まで上り詰めながら、一時は閉ざされたはずの未来が。


 やっと、ヘレナは将軍になれるのだ――。

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