第81話 突然のダンス
厳かな宮廷音楽隊による、演奏が奏でられる。
ヘレナはこの音楽が何という題名であるのか知らない。だけれど、前回の夜会の際にも始まりはこの音楽だった。もしかすると、ガングレイヴ帝国の栄光を讃える音楽とかそういうものなのかもしれない。さすがに国歌と違うことくらいは分かるが、特に音楽に対して造詣のないヘレナからすれば、綺麗な音楽だな、という何の変哲もない感想しか浮かばない。
しかし、問題はそこではない。
この音楽に合わせて、今からヘレナは踊らなければならないのだ。
「さぁ、ヘレナ」
「う、うっ……」
貴族たちが見守る中央で、ファルマスが手を差し出す。
男性がダンスを誘い、女性がその手をとることが、夜会におけるダンスのマナーである。そのくらいはヘレナも覚えていたし、こんな風にファルマスと共に踊った記憶も当然ある。
だが問題は、ダンスなどあの夜会以来全くやっていなかったということ。
ただでさえ、付け焼き刃で叩き込んだようなものである。ルクレツィアに厳しく指導され、ティファニーを相手にしてひたすら頑張った。部屋にいるときにも、時折ステップを踏んで練習してどうか叩き込んだようなものだ。
一般的に、どのような芸事においても反復練習が大切とされる。
ヘレナが常人を超える武を持っているのも、武人として日々己に鍛錬を課しているからだ。人間というのは不思議なもので、どれほど練習したものでさえ反復練習を怠れば、すぐに忘れてしまうのである。
そんなヘレナは、あの日以来ダンスを練習したことなど一度もない。
つまり、その叩き込まれた記憶は、全くヘレナの中に残っていないということである。
「ヘレナ」
「は、は、はい……」
ダンスなど踊りたくない。
しかし状況はそう言い出すことを許してくれず、ヘレナはファルマスの手をなかなか握ることができなかった。
本来、この儀は夜会の開催と共に行われるものであるというのに。
おずおずと、ファルマスの手を取る。
ことここに至っては、もう逃げることなどできない。全てを諦めると共に、ヘレナは体の力を抜く。
どうせ、名ばかりの皇后代理だ。アントンから何故か「ヘレナ・アントン=レイラ・ガングレイヴ皇后陛下」などと呼ばれはしたが、ヘレナがこの座を遠くない未来に失うことは分かっている。
ならば、ヘレナが簡単に退陣できるように、むしろ状況を整える方が良いのではなかろうか。
開き直りのようなものだが、それで少しばかり落ち着いた。
別に、失敗を恐れる必要などないのだ。
むしろ、皇后として適しない行動をすることで、ファルマスがより自然にヘレナ以外の皇后を選ぶことができるようになるだろう。
なんだ、話は簡単ではないか。
「では、ファルマス様。失礼します」
「うむ」
流れる音楽と共に、ヘレナは足を動かす。
それは以前に教わったダンスのステップではなく、普段のヘレナの動き――剣舞を模したものだ。
ダンスはさっぱり覚えていなくても、剣舞は体が覚えている。あとは、その剣の舞をファルマスと共に行っているようにすればいいだけのことだ。
「――っ!」
だが、問題は相手をしているファルマスである。
ヘレナが初歩のステップだけは覚えている。そう認識していたはずのファルマスの戸惑いは、ヘレナにも分かるものだった。
これでファルマスが合わせようがなく、ヘレナが転ぶ――そんな醜態を見せれば、この場で退席することも可能だろう。
流麗に紡ぐヘレナの剣舞に、ファルマスは最初こそ戸惑っていたものの。
「ふっ……」
僅かに微笑むと共に、ファルマスはヘレナの動きに己を合わせてきた。
基本のステップと共に踊る、二人による
絶えずステップを踏み、動きを途絶えさせることのないヘレナに合わせて、黒子のように完璧なリードをする――まるでファルマスが、ヘレナの動き全てを知っているかのように合わせてくるのだ。これにはヘレナも、僅かに驚いた。
だが驚いたとはいえ、動きを止めるわけにはいかない。
優雅でありながら、しかし流麗――かつ荒々しくも繊細。そんな二人の舞踏に、周囲の貴族たちは目を奪われていた。
「おぉ……」
「なんという荒々しさ……しかし、同時に美しい……」
「新たな皇后は武人とのことだが、やはり……」
「これほど、完璧なダンスは見たことがない……!」
周囲から、次々と贈られる賞賛の声。
ヘレナにしてみれば計算外だ。失敗し、無様に転んで、失望されるつもりだったというのに。
まさか、ヘレナが普段の剣舞をアレンジして行っているだけのステップに、これほど完璧に合わせてくるだなんて。
だが同時に、ヘレナの口元にもまた笑みが浮かんだ。
この皇帝は、ファルマスは――本当に、底知れない。
「さすがだな、ヘレナ」
「ファルマス様こそ、さすがです」
「いいや、余はそなたに合わせているだけだ」
ふっ、とヘレナの口から笑いが漏れる。
余程の手練れでなければ、ヘレナの剣舞に合わせることなどできないというのに。
それを自然に行うことができているのは、やはりファルマスの皇帝として培ってきた経験ゆえだろうか。
いや。
これぞ、ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴという男が持つ、真の才。
「ファルマス様」
「ああ」
ふふっ、とお互いに笑い合う。
ダンスという形ではあるが、ファルマスの持ち得る才を知ることができた。
皇帝という立場上、そう簡単に動くことのできない身ではあるだろうが、方針は決まったと言っていいだろう。
本人の希望もあるし、いつかはやらねばならないと考えていた。
なんとなく延ばし延ばしにされている部分はあるけれど、ちゃんとヘレナも計画しているのだ。
いずれ一ヶ月間、ファルマスには休みをとってもらう。それは、決定事項だ。
「これから、楽しみですね」
「そうだな」
さぁ。
今ファルマスに見せてもらった才を、ヘレナが伸ばしてみせようではないか。
いずれ来る、地獄の
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