第82話 第一王子アーサー

「ふぅ……」


 ファルマスとの舞踊を終え、ヘレナは広間のバルコニーで小さくそう溜息を吐いた。

 基本的にファルマスの後ろについていくものかと思っていたが、何故かファルマスからは「そなたの好きにすると良い」と言われたため、伝えてあった者たち――ヘレナの弟子たちの保護者に対して、挨拶をすませることにした。


 本来、上位である皇族(仮)から挨拶をするというのは、マナー違反となることだ。

 だが、ヘレナがまだ正式に皇后の儀を済ませているわけではないこと、そして後宮にいる友人の実家であるという二点で、ファルマスからは許可を貰ったのだ。もっとも、挨拶した者たちは軒並み焦っていたけれど。

 後宮に入れた自分の娘と皇后(仮)に繋がりがあるのだから、そこを利用しようと阿ってくる者もいた。ケイティの生家である武器商人のネードラント家や、レティシアの生家であるシュヴァリエ商会の者といった家格の低い者たちは当然のこと、既に莫大な財を築いているのであろうマリエルの生家アン・マロウ商会の者たちなど、「是非我が娘を乳母として」と権力への関心を隠そうともしていなかった。

 例外と呼べるのは、フランソワの生家レーヴン伯爵家だろうか。最初から最後まで、「うちの馬鹿娘が本当にお世話になっております!」と恐縮した様子だった。


 まぁ、そんなこんなで挨拶回りを終えて、ようやくひと心地つけるとヘレナはバルコニーに出て、夜風を浴びながら小さく溜息を吐いている次第である。

 あくまで仮の身分でしかないというのに、既に周りからは皇后と思われているあたり、随分と心労が増えてゆくものだ。


「失礼」


「む……」


 とん、とバルコニーの小さなテーブルの上に、グラスが置かれる。

 中に入っているのは、琥珀色の酒だ。ダインスレフ王国産の蒸留酒である。酒精は強いが飲みやすく、様々な料理に合うということで高値で取引されているものだ。

 ちなみに、初めて後宮入りをしたときに訪れた、ファルマスに提供したのもこの酒である。


「久しいな、ヘレナ嬢」


「……アーサーか」


 そこにいたのは、アーサー・エル・ダインスレフ。

 隣国ダインスレフ王国の第一王子であり、かつてヘレナと戦場において面識のあった男だ。

 ダインスレフ王国自体は、ガングレイヴ帝国と矛を交えたことがない。だが、かつてガングレイヴが諍いをしていたとある隣国との戦において、敵国と盟を結んでいたダインスレフ王国が参入してきたことがあったのだ。その際、ダインスレフの軍勢を率いていたのが、このアーサーである。

 そして、ガングレイヴから赤虎騎士団を二隊に分け、その一隊を率いていたヘレナとアーサーは矛を交えたのだ。

 もっとも、その後のことは思い出したくもないが。


「おっと……そんな目で睨むのはやめてくれ、ヘレナ嬢。ここは戦場でないし、俺も戦地に訪れたつもりはない」


「……それもそうか」


「いや、まさかこんな風に再会するとは思わなかったがな」


 くくっ、と僅かに笑みを浮かべるアーサー。

 初めて会ったのも戦場で、最後に会ったのも戦場。

 ヘレナとアーサーが矛を交えたのは僅かに三度だが、それでも印象に残る出会いであったことは間違いない。

 だからこそ、アーサーが隣国の第一王子という立場にあれど、ヘレナは軍人として接する。あくまで皇后という立場ではなく、戦場で出会った一人の男として。


「あのときと同じことを言おうか。『世界中を敵に回しても君が欲しい』」


「それをすれば、どうなるか分かっているのか?」


「ははっ……さすがに、ガングレイヴを敵に回すつもりはない。あの日の出兵も、あくまで盟を結んでいたがゆえの、義理に過ぎない。だからこそ、俺が指揮官に抜擢されたのだろうがな」


「……」


「本国にすれば、俺は是非とも死んで欲しい人間なのだから」


「……はぁ」


 アーサーの笑みに、小さく嘆息する。

 戦場で突然求婚してきたこの男は、その頃から『ダインスレフの変わり者』と言われていた。

 それも当然で、第一王子という立場にありながら王族とは思えぬ行動で周りを翻弄し、放蕩の限りを尽くしていたのだという。

 だが、それもアーサーの出生を考えれば当然なのかもしれない。


 アーサーの母は、平民だ。

 現在のダインスレフ国王が若い頃、愛妾としていた踊り子――それが、アーサーの母である。王族に嫁ぐには身分が低く、しかしダインスレフ国王と愛し合った踊り子は、特例としてダインスレフの後宮に入ることを許されたのだとか。

 その後、国王は本妻との間に四人の子を設けるが、全体の長子はアーサーであり、後宮に入っている者との間にできた息子ということで、第一王子の座を与えざるを得ない状態なのだとか。


「敵対しているわけではないが、友好的というわけではない。そのような隣国を訪れるにあたり、護衛の一人もおらぬ。俺など早く死んでほしいという、そんな想いが伝わってくるようではないか」


「……」


「まぁ、俺がガングレイヴを訪れていることなど、本国の人間は誰も知らんだろうがな」


「……まったく」


 アーサーがダインスレフ王国の第一王子であることには変わりない。

 だが、もしも現在のダインスレフ国王が急逝し、アーサーがその王位を継ぐことになれば、内紛は避けることができないだろう。平民との間に生まれた第一王子よりも、本妻との間に生まれた第二王子こそが王位に相応しいと声高に叫ぶ者さえいるらしいのだ。


「なぁ、アーサー」


「む?」


「お前はいつか、ダインスレフを背負って立つ身となるのだろう」


「ああ、そのつもりだ」


「陛下はお前と友誼を結ぶことができたことを喜んでいる。お前がダインスレフの王となれば、ガングレイヴとの友好を深めることもできるだろう」


「俺もそのつもりだ。俺が王となった暁には、ガングレイヴと国交を深めてゆく方向となるだろう」


「うむ」


 アーサーは、変わり者だ。

 ダインスレフ王国自体が、他国との交流を嫌う面がある中で、アーサーだけはガングレイヴとの交流を進めていった方がいいという考えの持ち主である。それがダインスレフ王国を潤し、ガングレイヴとの友誼を深めることになるのだから。


「アーサー、一つ聞きたい」


「どうした」


「お前は、どれほど国を離れることができる?」


「俺が一月二月離れようと、本国には何の差し障りもない。さすがに三月も離れれば、俺が死んだとでも流布されるかもしれんがな」


「そうか……ならば良い」


 くいっ、と琥珀色の蒸留酒を喉に流し込む。

 焼くような強い酒精が喉を通り、ヘレナは大きく息を吐いた。


「暫し、ガングレイヴに滞在するといい。私から陛下の方には伝えておく」


「ほう」


 ヘレナは軍人だ。国交や、隣国との交流について詳しく知っているわけではない。

 だが、将来的にアーサーが国を継いたそのとき、ファルマスとの間に深い絆があれば、それは国同士の交流にあたっても役立つだろう。

 ならばヘレナにできることは、ファルマスとアーサーの間に、絆を生むことだ。


「これから、面白くなるぞ。楽しみにしておけ」


「ああ、楽しみにしておこう」


 人と人を結ぶ絆は、それが極限であればあるほど強く深くなる。

 つまり、地獄のような新兵訓練ブートキャンプを共に耐え抜くことで、そこに生まれる絆は強固な代物となるだろう。

 今、この瞬間。

 隣国の第一王子アーサー・エル・ダインスレフの名が、新兵訓練ブートキャンプの参加者としてヘレナの頭の中に記された。

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