第71話 密談

 時は僅かに遡る。


 一回戦を辛くも勝利したアンジェリカは、出場者全員での昼食を終えて花摘みに向かっていた。

 正直、勝ったつもりは全くない。石打ちという新たな技を編み出し、それを余すことなく繰り出し、その上でアンジェリカはフライパンを用いた近接戦闘という奇襲まで行っておきながら、クラリッサに敵わなかったと言っていいだろう。

 そこにあったのは、圧倒的な防御力。三度当たれば勝利という条件であったがゆえに、防御の上から当たったアンジェリカの石がカウントされたために、どうにか辛勝したというのが事実だ。


 これから、マリエルの予想が当たったならばヘレナと戦うことになる。

 だけれど、そんな風に勝利した気分になれないがゆえに、どことなくやる気を失っている自分がいるのが分かった。


「はぁ……」


 溜息を吐いて、花摘みを終えたアンジェリカはハンカチで手を拭きながら、元の部屋へと戻る。

 あとは、午後の試合に向けて英気を養うのみだ。既に石打ちという秘密兵器を出してしまっている以上、アンジェリカに隠し球はない。とにかく、普段通りの動きができるようにすればいいだろう。

 ヘレナを相手に、五人で戦うという形は既に決まっている。そして、その鍵を握るのは近接戦闘のシャルロッテ、遠距離攻撃のケイティの二人である。何せ『連弩』という謎の武器を繰り出すケイティの矢数は、両手で一つずつしか石を投げられないアンジェリカに比べて、膨大なのだから。

 多少の援護射撃を行う程度でいいだろう。そのくらいに、低いモチベーションでアンジェリカは午後を迎えようとしていた。


 アンジェリカのモチベーションが低いその理由は、もう一つある。

 兄であるファルマスの提示した、『優勝者は将軍にする』という言葉だ。事実、それによりマリエルは若干ながら奮起している様子でもあるが、アンジェリカは違う。

 そもそもアンジェリカは皇族であり、将軍にはなれないのだ。それが例え、お飾りの禁軍将であろうとも。

 何故なら、ガングレイヴの皇族は産まれながらにして、将軍と同等の指揮権が与えられているゆえである。もしも有事の際、八大将軍の一人が戦死したという報でもあった場合、それを急遽率いる役割を行うのが皇族なのだ。だからこそ、将軍という立場には最初からなることができないのである。

 ゆえに、アンジェリカにとってファルマスの言葉は、褒美でも何でもない。むしろファルマスから『お前は優勝するな』とでも言われているのと同義である。

 だからこそ、モチベーションは全く上がらない。最終戦を辞退して、クラリッサに譲った方がいいのではないかと思うほどに。


 だけれど、そんなアンジェリカの元に。

 やってきたのは、シャルロッテとエカテリーナの二人だった。


「アンジュ」


「……どうしたのよ、ロッテ。それにエカテリーナ」


「こんにちはー」


「少し、花摘みに出てきましたの」


「ああ、それならこの道をまっすぐーー」


「まぁ、それは出てくるための言い訳ですよー」


「わたくしたち、実はあなたに相談事がありますの」


「……相談?」


 シャルロッテからそんな風に言われるのは珍しい。そう、アンジェリカは小さく眉根を寄せた。

 そもそも接敵距離の違いから、シャルロッテとアンジェリカがこんな風に話すことは滅多にない。武の研鑽であるならば、アンジェリカよりもカトレアやウルリカといった近接戦闘の者と話すのだから。

 そこにエカテリーナまで加わっているのだから、より謎である。


「わたくしも、ヘレナ様は次の戦いに出てくると思いますの」


「間違いないですよねー」


「……ええ、わたくしもそう思うわ」


「ですが、わたくしたちがどれほど連携をしたところで、ヘレナ様を相手にするには力不足と思いますの」


「それは……」


 確かに、一度たりともヘレナが負けた姿は見たことがない。

 基本的にヘレナを相手にする場合は、二対一で戦うのが普通だ。例えばシャルロッテとフランソワの二人であったり、クリスティーヌとアンジェリカの二人であったりだ。多い日は三対一で戦うこともあるけれど、今日のように五対一という戦いはやったことがないのである。

 だから、アンジェリカにはそう簡単に返答はできないが。


「わたくしと組んで、ヘレナ様と戦ったこと……何度かありますの。覚えていますの?」


「そりゃ、ね。毎回、わたくしが先に倒されてたわ」


「ヘレナ様はー、まず遠距離攻撃を行う敵からー、先に潰してきますからねー。フランやアンジュはー、最初から隙を突いて狙われますよー」


「ええ。わたくしやマリーがどれほど囮になったところで、間違いなくヘレナ様はそんな包囲網なんてすぐに抜けて、アンジュとケイティを潰してきますの」


「……確かに、そうね」


「マリーの作戦は、愚策ですの。少なくとも、わたくしはあの作戦に乗るつもりはありませんの」


 確かに、シャルロッテの言う通りだ。

 だが、かといってアンジェリカに何ができるというのか。

 それに加えて、今ここにいるのは既に敗退したエカテリーナだ。少なくとも、エカテリーナと共に戦うことはできないだろう。


「そこでー、わたしから作戦を提示させていただいたのですよー」


「作戦?」


「そうですー。名付けてー、もう負けたと思った相手が実は死んだふりでした作戦なのですよー」


「……」


 長っ。

 そう心の中で思うけれど、何も言わない。


「開始早々に、わたくしが裏切りますの」


「そしてー、ロッテさんとヘレナ様が戦うのですー。わたしがー、どこに攻撃が来るか助言しますしー」


「その際に、わたくし以外の全員を無力化しますの。まずケイティの意識を落として、同時にアンジュも落としますの」


「……え、わたくし落とされるの!?」


「そういう、振りをするだけですの。実際のところ、わたくしはアンジュには触れませんの。あなたには、死んだふりをしてもらいますの」


「……どういうこと?」


「わたくしは、それっぽい理由をつけてヘレナ様と一対一で戦えるように持っていきますの。アンジュは死んだふりをしながら、ヘレナ様が油断するまで耐えますの。わたくしがどうにか、ヘレナ様の注意を引きますの」


「さすがにヘレナ様もー、死兵が石を投げてくるとは思わないでしょうしー」


「……」


 なるほど、大筋は理解できた。

 本当に上手くいくのかは謎だが、やってみる価値はあるかもしれない。


「この作戦の肝は、三つですの。『わたくしが裏切る』『わたくしがエカテリーナと組む』……ここまでをヘレナ様に開示して、最後の大事な『アンジェリカが死んだふりをする』という点だけを隠しますの。ヘレナ様にとって、予想外のことを二度起こすことで、最後の詰めだけは隠す……それで、確実な奇襲が行えますの」


「なるほど、ね……」


 確実に勝利するための道筋は、ここにある。

 だが、難点が一つある。

 それは、この作戦が上手く行った場合、優勝者がアンジェリカになってしまうという点だ。

 ガングレイヴの皇族は、将軍になれない――その事実が、今度は枷となる。


「やってもいいわ」


「おー、本当ですかー」


「でも、一つ条件があるわ。それを呑んでくれるのなら、わたくしも協力してもいいわよ」


「おやー。その条件とはー?」


「ええ……」


 アンジェリカは、己の条件を述べる。

 恐らく、これが最善だ。アンジェリカの枷も外すことができ、帝国も未来も明るい。

 エカテリーナは物凄く渋い顔をしたけれど、仕方ない、とばかりに渋々頷いた。













 そして、場面は戻る。

 アンジェリカは死んだふりを続け、シャルロッテとの戦いに集中するヘレナの背後で、ゆっくりと立ち上がり。

 その右手に持った石を、思い切り振りかぶって。


「うりゃああああああああっ!!」


 驚きの表情と共に振り返ったヘレナの無防備な背中へと向けて。

 思い切り、投げつけた。

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