第70話 ヘレナvsシャルロッテ 3
「はぁ、はぁ……」
息が荒い。
両腕が痛い。
足が動かない。
ヘレナを相手に余力を残すことなどできず、最初からフルスロットルで戦い続けてきたシャルロッテの体力は、ほとんど限界に達していた。
だけれど、まだだ。
まだ倒れるわけにはいかない。
目標が、超えねばならない相手が、ここにいるのだから。
「さぁ、まだ動くようならば私が引導を与えてくれよう!」
「くっ……!」
ヘレナの連打を防御した腕は、ろくに動いてくれない。速度は、通常時の二割程度といったところか。
当然、その程度の速度で捌けるほど、ヘレナという相手は甘くない。客席から聞こえる「おなかですよー」という声と共に、第六感を働かせて回避する。
どうにか回避しながら一撃を入れたいけれど、動かない両腕は攻撃に至ることもなく、不恰好によろけるような回避で終わった。
「ぜ、ぜぇ……」
呼吸が戻らない。
そもそも、落ち着くことなどできないのだ。相手は、ヘレナなのだから。
対峙するだけで恐怖に支配されるような、そんな相手なのだから。
じりじりと、シャルロッテは移動しながらヘレナを見据える。
左腕はまだ動く。右腕は、もう駄目そうだ。仕方なく右腕をだらりと下げ、左腕だけで戦意を示す。
ただでさえ強すぎる相手だというのに、腕まで駄目になっては、そこに勝ち目を見出すことなどできない。
「ふむ……何か策でもあるのかと思ったが、特にないようだな」
「……」
「エカテリーナの補助があるとはいえ、一人で私を倒せるつもりだったのならば、それは傲慢だ。お前は確かに強くなったが、その実力は未だ中隊長程度だ。いずれは昇華するかもしれんが、今、私を倒せるほどの腕はない」
「……」
「それは、誰でもないお前自身がよく分かっているだろう」
「……」
分かっている。
ヘレナと一対一の模擬戦をやって、勝ったことなど一度もないのだ。むしろ、ヘレナに全力を出させたことすらない。
そんな相手と、この大舞台で戦うなど、自殺行為でしかない――そんなことは、シャルロッテにだって分かっている。
「ふ……当然ですの……」
何故か、シャルロッテの口元には笑みが浮かんだ。
そこに何の感情もなく、ただ笑みが浮かんだだけだ。歓喜もなければ絶望もない。ただ、この必然を受け入れたかのように。
ああ、ここで負ける――それを、自然と受け入れたがゆえに。
「ヘレナ様は……何年、戦場にいましたの……?」
「十五から軍に入り、それからずっと戦場だ。十三、四年程度は最前線で戦っている」
「わたくしは、十六歳ですの。後宮に入るまで、戦ったことなど一度もありませんの」
「ああ」
「十三年間も戦い続けてきたヘレナ様を相手に、勝てるなんて最初から思っておりませんの」
「む……?」
ヘレナが眉根を寄せる。
最初から、勝つつもりなんてなかった。それはシャルロッテの本音である。
勝てるはずがない、と言うのが正しいか。まだシャルロッテは、ヘレナから戦い方を教わって半年にも満たないのだから。
それで中隊長程度の戦闘力が手に入っているのだから、その成長速度はおかしなものがあるけれど。
「だから、せめて……」
「ああ」
「わたくしは、ここで全力を賭して、ヘレナ様と戦いますの!」
「良かろう。潰してくれる」
「はぁぁぁぁっ!!」
だっ、と大地を蹴る。
連打を受けた衝撃は足まで来ていて、とても自在には動かせない。
だけれど、それでもシャルロッテは戦う。
左腕一本でも、せめてヘレナの急所を一撃入れることができるように。
「ヘレナ様」
「む?」
シャルロッテの、左腕一本での連打。
さすがに片腕ではろくな速度も出ることなく、ヘレナによって捌かれる。
代わりにカウンターで与えられるヘレナの右拳が、思い切りシャルロッテの腹へと突き刺さった。
「う、ご、ふっ……!」
「どうした」
「が、はっ……」
思わず、膝をつく。
込み上げてくる嘔吐感を必死に払い、腹部の鈍痛に耐える。
思い切り
そう。
ヘレナは優しい。
弟子であるシャルロッテを「潰す」とそう宣言しながら。
未だその攻撃に手心を加える程度には、優しいのである。
その優しさこそが、付け入る隙――。
「ルールを……がふっ……確認、いたし、ますの……」
「なんだ、いきなり」
「致命傷ならば、一撃。そうでなければ、三撃。当たれば、勝ち……ですの……」
「それは私が伝えたルールだ。今になって何故それを言う」
「ふっ……」
この会場にいる誰も、気付いていなかったのだろうか。
それを判定すべき立場であるヘレナでさえ、戦いに集中していたがゆえに気付かなかったのだろう。
だが、このルールが絶対であるのならば。
「わたくしは……ヘレナ様の連打を受けた時点で、負けていますの」
「あ……」
「防御の上からでも……三度以上当たれば、その時点で、負けですの……」
「……気付かなかったな。すまない、私が止めるべきだったというのに」
「ふふ……」
ヘレナの背後で。
ゆらりと立ち上がる影を見ながら、シャルロッテは微笑みを浮かべる。
さぁ。
お膳立ては整えた。
これで、シャルロッテの仕事は終わりだ。
「ルールの上では、わたくしはもう敗北……ヘレナ様に顎を打たれたマリエルは、一撃当たっているから敗北ですの。レティシアも、わたくしが顎を打ったから敗北ですの」
「ああ……それがどうした?」
「アンジェリカとケイティは、わたくしが首筋に手刀を落としましたの。これも一撃で敗北ですの」
「……だからどうした。お前たち全員が敗北という」
「ですが」
だけれど、もしも。
ヘレナの想定外のところで、そのルールが破られていたのならば。
それはヘレナにも察知できない、最高の奇襲となるだろう。
何せそれは、死人が蘇るような――そんな攻撃であるのだから。
「わたくしは……アンジェリカに触れてすらいませんの」
「――っ!?」
ばっ、とヘレナが振り返ったその瞬間には、既に遅く。
無防備なヘレナの背中へと。
「うりゃああああああああっ!!」
アンジェリカの投げた石が、迫った。
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