第52話 クラリッサvsアンジェリカ 1

「ふぅ……」


 息を吸い、吐き、クラリッサ・アーネマンはゆっくりと闘技場へと続く扉を前に呼吸を整える。

 先程、この扉から出てきたのは敗北したカトレア、ウルリカの二人だった。元々、二期生と三期生が二人で出場している側の控え室に、何故か一期生の中で唯一クラリッサだけがいる状態である。

 まぁ、トーナメントでの戦いであるし、最初から控え室が逆側にある、という方がやりやすい。そもそも一期生は五人いて、試合は四組なのだ。一人が必然的に、こちら側へ来るのは当然である。

 そして、クラリッサの相手はアンジェリカだ。いくら訓練を一緒に行っているとはいえ、ガングレイヴ帝国の頂点に立つ存在である皇族が同じ控え室にいるよりは、クラリッサの方がまだ三期生たちが緊張しないだろう、という気遣いが窺える。


「くっそぉ……絶対に勝てると思ったのに……!」


「仕方ありませんわ。マリエルの方が一枚上手だったのだと思いましょう」


「でも、カトレア姐さん……!」


「わたくしたちに必要なのは、さらなる修練ですわ。そもそも二人掛かりで戦うという時点で、公平さに欠けているというもの。次は、わたくし一人でマリエルを倒すことができるよう、もっと鍛えねば……」


「どこまでもついていきます! カトレア姐さん!」


「……わたくし、それほどあなたに慕われている理由が分からないのですけど。わたくしが何をしましたの」


 はぁ、と小さく嘆息するカトレアと、そんなカトレアの後ろについていくウルリカ。

 勝負そのものは、決して悪いものではなかった。ウルリカを捨て石にして、その隙をついてカトレアが攻撃をするというその戦法は、決して悪いものではないだろう。マリエルは怒り狂っていたが、クラリッサからすれば予想のつく戦術の一つである。

 だからこそ、二対一の戦いになるだろうと、そう考えてシミュレートしていた部分も多くあるのだ。レティシアとケイティが相手の場合はこう、カトレアとウルリカが相手の場合はこう、など普段の訓練中においても、意識して動いていた。残念ながら、そんなクラリッサの相手となったのはアンジェリカなのだが。


「……よし」


 心を落ち着かせて、大きく深呼吸をする。

 今から観衆の前に出なければならない、という緊張は少なからずある。そもそも貴族令嬢であるとはいえ、社交界のパーティでは壁の花に徹していたクラリッサだ。人に注目されることには慣れていないのである。

 比べて、アンジェリカの方は元より皇族であり、当代皇帝の妹という立場だ。人前に出ることなど慣れているだろうし、注目されることなど毎日のことだと思う。そのあたり、アンジェリカに一日の長があると考えていいだろう。

 そんな中で、どうやってクラリッサが勝利を掴むか――そう悩みつつも、答えが出ない。


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせるように、そう呟く。

 クラリッサは、他の面々が一月の間しか受けることのできなかった、ヘレナ直々の訓練――それを、延長して受けてきた。毎日のように体を苛め抜いて、貴族令嬢にあるまじき力を手に入れていると自負している。

 ゆえに、クラリッサにできることは、自分を信じること。そして、ヘレナを信じること。


――断言しよう。


 クラリッサに向けて、そう言ってくれた師――ヘレナの言葉を思い出しながら。

 どれほど自信がなくとも、どれほど気弱であっても、それがヘレナの言葉であるのならば信じられるのだから。


――クラリッサは今、この後宮において私の次に強い。


 天才的なまでの弓の射撃を見せるフランソワよりも。

 才能の塊としか呼べない近接戦闘を誇るシャルロッテよりも。

 腕の延長として自在に操る棒術を持つマリエルよりも。

 縦横無尽に投擲を仕掛けてくるアンジェリカよりも。


 ヘレナは、クラリッサの方が強いと――そう、断言したのだから。


「選手、入場っ!」


 扉の外から聞こえた、そんな言葉と共に扉が開く。

 生温い風が髪を撫でると共に、目の前に光が広がる――それと共に目に映るのは、客席を埋め尽くす観衆と、そんな観衆たちが見つめる円形の闘技場。

 万雷のような喝采と共に、その視線はクラリッサ――そして、正面の扉から出てきたアンジェリカへと向けられる。

 クラリッサよりも拳二つ分は低い背丈に、訓練着ではなく派手でない装いのドレスを纏ったアンジェリカ。そして、その背中に抱えているのは大きな背負い袋だ。

 恐らく、あの袋の中に彼女の武器――石が、大量に入っているのだろう。


「クララ!」


「……ええ」


 闘技場の、端と端――そこに、クラリッサとアンジェリカがそれぞれ立つ。

 一戦目、フランソワがレティシア、ケイティの二人と戦いを始めたとき、お互いに闘技場の端から始めていた。それは弓による遠距離攻撃を主体とするフランソワにとっての最適な距離であり、レティシアとケイティがフランソワを罠にかけた距離でもある。

 ゆえに、アンジェリカが始めるとするならば、この間合い。

 いつ開始の号令がかかろうとも即座に動くことができるよう準備を整えて、クラリッサはアンジェリカを見据える。


「残念だけど、二回戦には進ませないわ! 勝利するのはわたくしだもの!」


「そうとも限らないですよ、アンジェリカさん」


「わたくしの、新必殺技を見せてあげるわ! 初公開よ! 謹んで受けなさい!」


「……」


 何故、最初から隠している技があると公言するのだろう。

 そういうのは黙っておいて、良い機会を得た瞬間に披露するものではないのだろうか。奇襲にも繋がるし。

 だが、そんな風に隠そうともしないのがアンジェリカの良い点でもあるのだろう。

 お互いに力の限り、全部を出し尽くして勝負する――そういうつもりなのだ。多分。きっと。


「……」


 少しだけ考えて、「ないわー」と結論づけた。どう考えても、苦しすぎる言い訳である。

 多分、アンジェリカはそこまで考えてない。


「さぁ、いくわよクララ!」


「……ええ」


「はじめっ!」


 クラリッサとアンジェリカがそれぞれ、戦闘態勢に入る。

 それと共に、遥かな高みから告げられる開始の合図――それが耳に伝わると共に、クラリッサは動いた。


 今回の戦いにおいて、クラリッサは武器を持っていない。

 近接戦闘において、決して才能があるわけではないのに、だ。恐らくクラリッサの持つ近接戦闘の技術など、シャルロッテの足元にも及ぶまい。

 だというのに、武器を持っていないこと――それには勿論、理由があってのことだ。


「うりゃりゃりゃりゃりゃーっ!!」


 まず武器というのは、それを十全に扱うことができてこそ一流。

 そしてクラリッサは、武器を用いることに才能があると言えない。一応棒術や剣術も習いはしたけれど、半人前の誹りを受けて当然と言うべき代物だ。そんな、自分が本当に信じられないものを戦場における相棒として、戦いを行うことなどできないだろう。

 だからこそ、クラリッサの持つべき武器はただ一つ――己の体だ。


 アンジェリカの投げる石を避けながら、クラリッサは駆ける。

 確かに投石は脅威であるし、一撃を食らうだけでも危険なものだ。そしてアンジェリカの正確無比な投擲は、間違いなくクラリッサを狙ってくる。

 だが、結局のところアンジェリカに投げることのできる石は、一度に二つだ。

 投げられたその石が、クラリッサに当たる前に避ける――それはクラリッサの鍛えた脚力をもってすれば、容易いことである。距離が近付けば難しいかもしれないが、現状のように互いの間に十分な距離があれば、十分可能だ。

 そして距離さえ近付けば、それはクラリッサに有利な間合いとなる。


「はぁぁぁぁっ!!」


「ここでいくわよっ! 隠し球っ!」


「――っ!」


 そう叫んだアンジェリカが、背負い袋の中から取り出したのは。

 恐らく金属製だろう、アンジェリカの頭ほどもあるフライパンだった。

 取っ手のついているそれは、本来料理に用いられるものだろう。だが、こんな戦いの場で使うべきものだとは思えない。

 フランパンで、何を――そう、クラリッサが疑問に足を止める。

 それと共に、アンジェリカは己の持つ石――それを、軽く頭上へと放り投げた。


「ふぅんっ!!」


 アンジェリカはそう叫んで、フライパンを思い切り振り抜く。

 底の平らなフライパンは、タイミングを合わせ放り投げたのであろう石を。

 思い切り、打ち抜いた。


「――っ!!」


 瞬間――クラリッサの目の前へと、石が迫る。

 思わず目を見開き、慌てて首を曲げて回避する。それでも完全に避けることはできず、石がクラリッサの頬を掠めた。

 投擲とは、全く違う速度――。


「ふふんっ! これがわたくしの新必殺技! 石打ちよ!」


「……」


「さぁ、弾丸はいくらでもあるわ! わたくしの石であなたを沈めてみせるわよっ!」


 アンジェリカの勝ち誇った言葉と共に、クラリッサは思った。

 どうして、アンジェリカにはこんなにも、羨ましくない才能が溢れているのだろう。

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