第51話 閑話:ガルランドの『紅獅子』

「……ふぅ」


 闘技場における戦いを見ながら、ガルランド王国大将軍ゴトフリート・レオンハルトは小さく嘆息した。


 国外にも知れ渡るガルランド王国随一の武人、ゴトフリートの通称は『紅獅子』である。獅子はガルランド王国に伝わる神話における、最高神カーリーの侍従であると言われており、その横顔が国旗にも描かれているほどだ。そして、ガルランド王国の将軍としての鎧――その右胸に刻まれている印でもある。

 それが、ゴトフリートが戦場へ出れば、敵兵からの返り血で真紅に染まる。それを恐れた敵兵が、いつしか彼を『紅獅子』と称した。


 そんなゴトフリートは今、隣国であり大陸でも並ぶもののない強国、ガングレイヴ帝国の帝都にいる。

 その最大の理由は、彼の隣にいる人物――ガルランド王国第二王子、ラッシュ・アール・ガルランドの護衛のためだ。


「退屈かい? ゴトフリート」


「……いいえ、ラッシュ殿下」


「心にもないことを言わなくてもいいよ。きみのような一流の武人からすれば、この戦いは退屈だろうしね」


「……決してそのようなことはございません、ラッシュ殿下」


 ガングレイヴ帝国へやって来たのは、ラッシュの我儘ゆえだ。

 既にレイルノート家の三女、リリスと婚姻を結んでいる立場のラッシュではあるが、今回ヘレナ・レイルノートの主催で武闘会が開かれると聞いて、そのままゴトフリートだけを供としてここまでやって来たのだ。いくら同盟国であるとはいえ、一国の王子がそのように軽挙な行動をするのはどうだろう、と散々思ったことだが。

 もっとも、そんなラッシュの二つ隣――ガングレイヴ帝国当代皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴの隣で楽しそうに歓談している、ダインスレフ王国第一王子アーサーのことを考えれば、まだ大人しい方なのかもしれない。何せ、アーサーは供の一人も連れずに同盟国ですらないこの国へとやってきているのだから。


 だが同時に、ラッシュに言ったことも決して嘘ではない。事実、それほど退屈しているわけではないのだ。

 最初の戦い――弓と連弩による手数の試合で勝利したものはさておき、二回目の試合はそれなりに楽しめるものだった。二体一の戦いにおいて、片方を死兵として勝利を掴むというのは、決して悪い手段ではない。本当の戦場であるのならばまだしも、このように決して殺されることのない試合ということを考えれば、それは数の有利を最大限に利用したものとなるだろう。

 もっとも、その後にもっと連撃を仕掛けるべきだった。一人が腕と棒を封じている間に、もう一人が絶え間ない攻撃を仕掛けていれば、この勝負も分からなかっただろう。隠していた武器を出させるような隙を生じさせたことが、今回の敗因だと言える。


「僕は武術をやっていないから分からないけれど、今まで見た六人は、かなり強いと感じたよ」


「そうでしょうな。恐らく、武人を輩出した家の生まれなのでしょう。特に二戦目における、蹴りと棒の応酬は良かったと思います」


「特にどっちが?」


「棒の女ですな。才能もあるでしょうが、あの武技は研鑽した努力からくるもの。一朝一夕で、あれほどの技術は得られないでしょう」


「ふーん……ゴトフリートにも、そう感じたんだね」


 ふぅ、と小さく嘆息するラッシュ。

 意味深なそんな言葉に、ゴトフリートは思わず眉根を寄せる。

 まるで、ゴトフリートの知らないことを知っているかのような言い回しは、どことなく気になってしまうものだ。


「どういうことですか、殿下」


「ああ……まぁ、僕もリリスから聞いただけなんだけどね」


「ヘレナ殿の妹御ですな。何か便りを寄越していた、ということですか」


「まぁ、そんな感じ。あの娘……というか、今日出場してる女の子ね、全員、半年前までただの素人だったんだってさ」


「……は?」


 思わぬラッシュの言葉に、ゴトフリートは聞き返す。

 つい先程、ゴトフリート自身が「一朝一夕では身につかない」と言ったばかりだ。ゴトフリートも事実、彼女らの動きや武器の扱いを見て、幼い頃から修練しているものだとばかり思っていた。

 だというのに――。


「半年前は、まともに腕立て伏せもできないご令嬢だったらしいよ。全員が、後宮に集められた貴族令嬢だったらしい」


「なんと……」


「末恐ろしいよね。何が恐ろしいって、彼女らの才能も確かにあったのかもしれない。だけれどそれ以上に、指導者に恵まれたってことだろう。どのような才能でも、それが開花しない限りは誰にも認められない。ただの貴族令嬢だった彼女らは、指導者にその才能を開花させられることによって、この場に立っているんだよ」


「……」


「開花させたのは誰でもない、ヘレナ・レイルノートだ。まったく、父上の英断には感激するよ。ヘレナ殿がこの国の皇后になるらしい、って情報を得た瞬間に、臣従することを家臣全員に宣言したんだから。国力ではそれほど差があるわけじゃないのにね」


「あのときは、陛下の正気を疑ったものですが……確かに、納得です」


 末恐ろしい――思わず、ゴトフリートの背筋にも寒いものが走る。

 ただの半年で、あれほどまでに戦える兵士を作り出した、その手腕だ。少なくともゴトフリートは、貴族令嬢を鍛えろと命令されたところで不可能だと答える。自尊心の塊であり、家の名にしか誇りを持たない彼女らを戦士とすることなど、不可能だとしか思えないからだ。


「それにさ、ゴトフリート」


「は」


「『ヘレナ様の後ろに続く会』、知ってる?」


「……噂程度は。ガングレイヴの帝都に根を張る、秘密組織のようなものだとか。そのヘレナ様とやらが、ヘレナ・レイルノート殿だと伺いました」


「うん。ガングレイヴにおける、最大の組織だよ。あまり大きな声では言えないけどね」


 ちらりと、ゴトフリートはラッシュの隣――ファルマスを見やる。

 もう一つ隣に座っているアーサーと話が盛り上がっているようで、こちらに注意を向けている様子はない。もっとも、ラッシュの言葉も隣にいるゴトフリートでぎりぎり聞き取れるほどの声音しか出していないため、ファルマスからは話しているとも思われないだろう。注意をすべきはヘレナだが、そんなヘレナは現在、八大将軍が並んで座っている席で何やら話をしているため、こちらに注意は向けていない。


「それから、これは国外秘の事実だけれど」


「……え」


「父上も――ルシウス陛下も、『ヘレナ様の後ろに続く会』の一員だ」


「――っ!」


「ちなみに、『ヘレナ様の後ろに続く会』の代表は向こうにいる『銀狼将』ティファニー・リード。僕の情報網では、ここまでの情報を手に入れるだけで精一杯だったよ。何か他にも情報があればと思って来たんだけどねぇ」


「そんな……」


 ゴトフリートの仕える、ガルランド国王ルシウス・アール・ガルランド。

 まさか、一国の王がそのような謎の組織に入っているなんて――。


「僕も、色々と調べてみたんだけどね……リリスも、詳しくは知らないって言ってたよ。ただ、ガルランド王国の重鎮たちも、『ヘレナ様の後ろに続く会』に入ってる人物が多いんだ。大体、ゴトフリートよりも年上の人ばかりがね」


「何故、そのような組織に……」


「分からない。それを調べることで、ガングレイヴの国力を削ぐことにも繋がるかと思ったんだけどね……僕が思っていた以上に、この国の最奥に根を張っているんだ。これ以上は、藪を突いて蛇を出すことにも繋がる」


「……国に戻った際には、陛下を諌めておきましょう。そのような組織に入ることは、国としての誇りを……」


「ただ、ね」


 はぁ、と小さくラッシュが嘆息した。


「『ヘレナ様の後ろに続く会』は、以前は『レイラ様の後ろに続く会』という名前だったんだ」


「……え」


「ヘレナ殿の母御である、レイラ・カーリー様を母体とした集団だったらしい。それがレイラ様の死と共に、次代の英雄であるヘレナ殿を担ぐことに変わり、名前も変わったんだって。まぁ、レイラ様はガルランドでも英雄だけどさ……」


「……」


 ゴトフリートは、思い出す。

 自分がまだ若い頃、たった一度だけ手合わせをしたことのある相手――レイラ・カーリー。

 最強無敵と称された彼女に、ゴトフリートは一手を交えることで認めてもらうことができた。


――ゴトフリート、ルシウスを任せたよ。


 にかっ、と快活に笑った彼女の笑顔を、ゴトフリートは今でも忘れることはできない。


「……御前を失礼いたします、ラッシュ殿下」


「……ん? どうしたの、ゴトフリート」


「少し、所用ができました」


 ゴトフリートは立ち上がり、そのままファルマスとアーサーの前を通り過ぎ、八大将軍たちが座っている席へと向かう。

 そこでは不在の三将軍以外の五人、そしてヘレナが、どことなく楽しそうに言葉を交わしていた。

 そんな中にいる、まるで童女にしか見えない姿――『銀狼将』ティファニー・リードの前に立ち。


「失礼、ティファニー・リード殿」


「……あなたは、ゴトフリート・レオンハルト殿ですね。何か私に御用でしょうか」


「ええ」


 ゴトフリートは、そのままティファニーへと頭を下げる。

 ようやく、自分の探していたものが見つかったかのような、そんな歓喜と共に。


「私を、『ヘレナ様の後ろに続く会』の末席に加えさせてください」


「良いでしょう。新たな会員を我々は歓迎します」


「どうしたのゴトフリート!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る