第38話 久しぶりの夜
「来たぞ、ヘレナ」
「お疲れ様です、陛下」
森における七日間のサバイバル訓練を終えて、ヘレナは後宮――自分の部屋へと戻ってきていた。
何故かアレクシアにお説教を食らうという
そして、そんなヘレナの部屋へと訪れてくる相手――それは、ファルマスである。
「ようやく戻ってきたな」
「お待たせいたしました。陛下のお許しあって、皆良い戦士に育つことができました」
「ほう……ノルドルンドを相手にした後宮の戦においても、類稀なる戦士であると感じたがな。ヘレナにしてみれば、あれでも戦士ではないというのか」
「いえ、十分な戦士と名乗れるだけの技術は、あの時点でも積ませております」
「ほう……どういうことだ?」
不思議そうに、ファルマスがそう尋ねてくる。
戦士という言葉は、その意味が広い。それこそ、生まれたての赤ん坊でない限りは、誰だって戦士を名乗ることができるだろう。
だがヘレナの求める戦士は、そんな口だけの戦士ではない。どのような戦闘環境にも順応し、どのような相手に対しても恐れることはなく、どのような体調であっても十全に戦うことができる――そんな戦士だ。
少なくとも、シャルロッテを除く一期生には、それだけの教育ができたと思う。
「少なくとも……武の道に高みはあれど、頂点はありません。私とて、未だ武の高みを目指す途中でしかないのですから」
そして、ヘレナの求める戦士。
列挙こそしてみたけれど、ヘレナが事実そのような万能の戦士だという実感はない。武の道に終わりはないのだ。己の命がある限り、頂上の見えない山を登り続けるようなものである。
そしてヘレナにとって、最強の存在は己の母――レイラ・レイルノート。
一撃が城塞を壊し、踏み出す足が大地を割り、怒号だけで万の兵士が逃げ去る――そんな伝説にも残る母を、未だ超えることができたとは思っていないのだから。
だが、そんなヘレナの言葉にファルマスは薄く笑った。
「くくっ……」
「どうなさいましたか?」
「いや……余は以前、そなたを評したことがあったと思ってな。そなたは、欲のない女だと」
「はぁ……」
言われただろうか。
薄い記憶の、どこかにある気がする。確かあれは、一緒に遠乗りをすることになった前の晩だっただろうか。
我儘を言うようで気が引けたけれど、いざというときにファルマスを守るために、取り回しの容易な剣を求めた気がする。そのときに、確か言われたはずだ。
そなたは欲がないな、と。
「余は、貴族令嬢の欲しがるものなど、貴金属や価値も分からぬ装飾品、無駄な細工ばかりの調度品、異常に甘すぎる甘味くらいのものだと思っておった。ゆえに、そなたが剣を欲することに、欲がないと感じたのだ」
「はぁ……」
事実、そんなものヘレナは全く必要ない。
貴金属など興味もないし、装飾品で自分を飾りたいとは全く思わない。部屋は物がない方が広くて良いと思うから調度品も必要ないし、甘味にも別に興味はない。そもそも甘いものよりも肉が食べたいのがヘレナという女である。
だが、そんな風に首を傾げるヘレナに対しても、ファルマスは可笑しそうに笑った。
「だがそう聞けば、そなたは……これ以上ないほどの強欲よの」
「へ……えぇっ!?」
「そうであろう。求めているのは遥かなる高みだ。金で手に入れることのできない、己の手でしか掴むことができないものだ。そして、そなたは生きている限り、強くなろうとするのだろうよ……そこに、果てはどこにもあるまい」
「……」
「果てのないものを求め、そこに至ってもさらに高みを求めるのだろうよ。それを強欲と呼ばずして、どうする」
確かに、その通りかもしれない。
だけれど、強欲と呼ばれるとなんとなく気分が悪いものだ。せめてこう、飽くなき執念とか、そういう風に飾ってくれはしないものだろうか。
「それで、そなたの弟子はどれほど強くなったのだ? まさか八大将軍を超えるとは言ってくれるなよ。我が国の軍事力の均衡が、完全に崩れてしまうからな」
「さすがにそこまでは……」
ファルマスの言葉に、ヘレナは苦笑を浮かべる。
確かに彼女らは強くなった。それに加えて、才能もある。飽くなき執念もある。弛まぬ修練もある。これからも、さらに高みを目指してくれることだろう。
だが、まだヘレナ一人でも五人を相手にできる。多少苦戦はするだろうけれど、それでも負けはしないだろう。
そんな彼女らが、八大将軍の域に至っているというのは、さすがに言い過ぎだ。
「ですが、間違いなく強くはなりました。少なくとも、銀狼騎士団の補佐官でさえ苦戦する程度には」
「凄まじいな。一度、どれほど強いのか見てみたく思うが……」
ファルマスが腕を組み、考える。
最近は午前に、訓練に参加しているファルマスだ。だが、あくまでファルマスの前で披露しているのは、ただの訓練に過ぎない。
ならば訓練ではなく、本気の戦いを見せる機会があっても良いのではなかろうか。
「ファルマス様。では……ひとつ、提案があるのですが」
「ほう?」
「私も一度、彼女らには本気で戦わせるべきだと考えていました。序列を決定するのはあまり好きではありませんが、競争というのは強さを求めることにも繋がります。そこで……彼女らが一対一で戦う、試合のようなものをセッティングしてはいかがかと」
「良いのではないか? 余も是非、見てみたいものだ」
「ありがとうございます。陛下が観覧に参られるとなれば、彼女らもやる気が溢れることでしょう」
「近いうちにやる、ということか?」
前々から、考えてはいたのだ。特に、一期生と二期生にはもっと真剣に戦わせよう、と。
「はい。そこで、陛下に一つお願いがあるのですが」
「言うてみよ。そなたの望みならば、叶えよう」
「では……何か、彼女らのやる気を鼓舞する賞品を、用意していただきたいのです」
飴と鞭という言葉があるように、厳しいばかりでは誰もついてこない。
そこで飴――勝利の際の賞品があれば、きっと真剣に戦うことだろう。誰もが求める垂涎の代物であればあるほど良い。
だけれど、ヘレナにはそんなもの用意できない。何を用意したところで、その持ち得る財力はマリエルの方が遥かに高いのだから。
「そんなもの、簡単だ」
だけれどファルマスは、そんなヘレナの言葉に。
自信満々に薄く微笑んで、言った。
「優勝した者だけが、ヘレナと真剣に戦うことができる――それを謳い文句にしてみよ。誰もが必死にやるだろうよ」
「へ……?」
別に、真剣に戦えと言われれば、いつだって戦うけれど。
ファルマスの言葉に、そう思いながらヘレナは首を傾げた。
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