第36話 訓練終了

「はぁ……なんだか、すごく帝都が懐かしく思えますわ」


「長かった、ですの……」


「やっと帰ってこれました! 疲れました! 帰ったらぐっすりです!」


「私も、寝台に入ったらすぐ眠れそうだなぁ……」


「わたくしも寝るわ!」


「アンジェリカは、戻り次第七日間の教育の遅れを取り戻すための授業をすると言っていたぞ」


「そんなぁっ!」


 ヘレナと弟子たち五人は、ティファニーの手配した馬車で帝都まで向かっていた。

 密度の濃く、厳しい訓練だった七日間。それだけの成果は得られたはずだ。少なくとも、この訓練に出発したときよりも、顔つきが違うように思える。シャルロッテ以外は。


 ちなみに、シャルロッテは結局来なかったために、ヘレナの方から迎えに行った。目的地でもなく入り口でもない、何故か中間地点あたりでうろうろとしていたのは、方向音痴ゆえだったらしい。そして、エステルは何故かそんなシャルロッテを見ながら「ああ、お嬢様お可愛らしい……」と悦に入っていた。完全に護衛の人選を間違えたようだ。

 シャルロッテには二期生にサバイバル訓練を行うときに、補習としてもう一度行わせよう。


「さぁ……私も少しは疲れたな。さすがに、もう夕刻だ。各自、帝都に戻り次第、自分の部屋で休むように」


「はいっ、ヘレナ様!」


「それから……そうだな。明日にでも、打ち上げでもやるか。久々に鍋でもどうだ?」


「まぁ! それでしたらあたくし、最高級の材料を用意しておきますわ!」


「二期生と三期生は一緒に参加しますの?」


「お前たちだけ楽しむというのも彼女らに悪いだろう。たまには、羽目を外すのもいい。そうだな……クラリッサ、二期生と三期生に伝えておいてくれ。明日の夜にでも、鍋をすると」


「承知いたしました」


 ヘレナの指示に、クラリッサが頷く。

 ちなみにクラリッサを選んだのは、最も疲労が抜けているからだ。七日間という訓練の日程だったが、五日目に到着したクラリッサは、二日ほどしっかり眠っているのである。

 六日目の夜に到着したフランソワは疲れてうとうとしているし、七日目の朝に到着したマリエルもまた疲労困憊だ。アンジェリカはこのまま自室で家庭教師による授業が始まるし、シャルロッテは先程拾ったばかりなので色濃く疲れが見える。消去法で、結局クラリッサという形になった。

 それに、なんだかんだで五人の中心にいるのはクラリッサだと思う。誰に対しても自然体で話すクラリッサは、調停役みたいな形でこの五人を繋いでいるのだろう。そういう才覚も、また得難いものだ。


 まだ帝都が遥かに遠いが、見える。ここまで来て、ようやく一心地ついた、と五人が安心しているのが分かった。

 七日間もの厳しい訓練を抜けてきたのだ。ここは、厳しくするよりも優しくするべきだろう。


「そうだな……もう帝都まで僅かだが、お前たちに心得を示しておこう」


「はい、お姉様!」


「ご教授よろしくお願いします! ヘレナ様!」


「……わたくし、眠いですの」


「ああ、別に聞かなくてもいいぞ。ちょっとした、私の経験録を話すだけだ。そうだな……頭の片隅にでも残しておいてくれればいい」


「……聞きますの」


 ふぁぁ、とあくびを嚙み殺すシャルロッテ。

 まぁ、実際に少しばかり喋るだけのことだ。それほど大した話だというわけではない。

 だが、この七日間を経て成長した彼女らならば、ちゃんとした心得として理解してくれるはずだ。


「そうだな……フランソワ」


「は、はいっ!」


「お前は今、万全か?」


「ば、万全っ! い、いえっ、疲れています!」


「そうだ。今のお前たちは、決して万全というわけではない。コンディションで言うならば、最悪だと言っていいだろう。眠気、疲労感、創傷、疾病、緊張感……まぁ、色々な要因はあるが、戦場において万全の状態で戦えるということは、滅多にない」


 ヘレナの言葉を、黙って聞く五人。

 数多の戦場において、ヘレナは戦ってきた。そして今回、ゲリラ戦を想定した訓練を行わせたのも、その経験則からである。

 戦場において、万全の状態で戦えることなど、それこそ戦端が開いた初日くらいのものだ。戦場を走るぴりぴりとした緊張感に呑まれることもあれば、疲弊して足も立たなくなるほどに追い込まれることもある。矢傷の一つでも喰らえば、その傷を庇って戦わねばならないという事態すら発生するのだ。

 疲労は体の鈍さを生み、戦場において体の鈍さは、そのまま死に繋がる。


「だが軍においては、今のお前たちの状況で、そのまま戦場に出ることを強要されることもある」


「そ、そんな……!」


「戦場における空気は、僅かな差で変わる。その瞬間に出撃を行うことで、戦況を一気に覆すこともできるのだ。だが、そんな出撃命令を行なって、出撃したのが疲れ果ててふらふらの兵たちでは、戦況など全く動きはしない」


「た、確かに……」


 ヘレナの言葉に、マリエルが頷く。

 今のフランソワやマリエルを戦場に派遣したとしても、すぐに討ち取られる未来しかないだろう。少なくとも、眠気に足元をふらつかせている彼女らでは、敵の槍など避けようがない。


「だからこそ、だ。どのような状態でも、戦えるように己を鍛えておけ」


「ど、どういうことですか、ヘレナ様」


「三割の体力しか残っていないのならば、それと上手く付き合って戦いに赴け。疲れ果てて、眠気に狂いそうになるような状況でも、戦えるように己を磨け。それが戦場において生き抜く一つの術だ」


「この、状態でも……」


「そうだ。まぁ、要はハッタリだな。どれほど体力的に厳しい状態でも、それを表に出すな。自分は万全だと相手に思わせろ。戦場では、弱気を示した者からまず狩られるぞ」


「……」


「まぁ、心がけくらいのものだがな。さて……ティファニー」


「はっ」


 ヘレナたちの乗る馬車の御者をしているのは、『銀狼将』ティファニー・リード。彼女が、ヘレナの言葉に対して短く答える。

 ちなみに、残る銀狼騎士団の幹部たちやエステル、アレクサンデルなどの協力者は、別の馬車だ。

 ヘレナの言葉と共にティファニーが馬に鞭を入れ、ゆっくりと馬車が止まる。


「よし。では己の悪い状態と向き合ってみろ」


「へ……?」


「おや、お前たち。まさか、訓練がこれで終わりだとでも思ったか?」


「……」


 さーっ、と。

 五人の顔色が青くなってゆくのが分かる。

 帝都は、見えている。だが、見えているだけだ。

 まだ、彼女らの戻る場所である帝都は――遥かに遠く。


「さぁ、帝都まで街道を走れ! 最下位の者には仕置を与える!」


「もう、嫌ぁぁぁぁぁっ!!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る