第21話 訓練再開

「では全員、元の位置まで戻れ」


 ヘレナの指示と共に、五人が川べりから移動する。

 ここまで連れてきたのは、純粋に肉の解体方法を説明するためだ。そして、その役割が終わった以上、この場に長居する必要もない。

 何より、一応穴を掘って犬の内臓を埋めはしたけれど、野生の獣の嗅覚というのは敏感だ。この場に漂う残り香に誘われて集まらないとも限らない。

 そのあたりの安全は、一応考慮してのものだ。

 恐らく五人にとっては、命令だから戻る、というだけだが。


 暫し歩み、元の場所まで戻る。

 やや拓けており、周囲の観察がしやすい場所だ。拓けているがゆえに、野犬との大立ち回りもすることができたのだろう。これが足場の悪い場所であれば、シャルロッテのような近接戦闘を主体として戦う者は足をとられて窮地に陥っていたかもしれないのだから。

 そのあたりの、場所の見極めについては合格点を与えるべきか。


「さて、それでは次の試練を行う」


「へ……?」


「五人が一体となり、行軍する試験については終わりだ。元より、ゲリラ戦の訓練においてこうして五人で行動するということはそうそうない。初日は、あくまで慣れるための訓練だ」


「……」


 さーっ、と五人の顔から血の気が引くのが分かる。

 そもそも五人には、この訓練の内容について何一つ説明をしていないのだ。これからどのような試練が降りかかるか、どのような困難が待ち受けるか、それを全く知らないのだから。

 その上で、次の試練を与えられる――。


「なに、次の試練はそれほど難しいものではない。だが、純粋にこれは順位を競う」


「じゅ、順位ですか!? わたしたちが戦うということですか!?」


「仲間割れではない。だが、競争相手であることは間違いないな」


 フランソワの言葉にそう答えて、ヘレナはその腰に挿してあった長剣――その先端を、彼方へと示す。

 この長剣は、かつてファルマスと遠乗りをした際に下賜されたものだ。勿論後宮への持ち込みは禁じられているが、その代わりに後宮から外出をする際には帯剣を許されているのである。

 もっとも、こんな風に遠出することなど、今後ほとんどないだろうけれど。一応正妃であり皇后になるわけだし。


「マリエル、地図を出せ」


「は、はい」


「よろしい」


 マリエルに預けていた、地図を受け取る。

 価値としては貴重なものだ。こんな風に地形をしっかりと描かれた地図というのは、あまり世の中に出回っているものではない。そもそもアルベラから無理を言って譲ってもらったものなのだから。勿論、相応の対価は払っているために、返す必要はない。

 そんな地図を、全員に改めて示して。


「お前達が向かう場所は、覚えているな」


「は、はぁ……」


「シャルロッテ、答えろ」


「は、はいっ! い、一本杉ですの!」


「よろしい。お前たちはこれから、この地図に示してある一本杉に向かってもらう。ただし、全員に別行動をしてもらう」


「――っ!?」


「聞いていませんわ!」


「そんなっ!」


 マリエル、アンジェリカから不満の声が上がる。

 確かに、突然そんな風に言われてもなかなか納得はいくまい。だが、ヘレナとしても彼女らを一流の戦士に仕上げるためには、仕方のないことなのだ。

 こんな風に、連れ立って仲良しこよしで行軍することなど、まずありえないのだから。

 ゲリラ戦において必要なもの――それは、個人個人のスキルであり継戦能力なのだ。


「では問おう。そうだな……クラリッサ」


「は、はいっ!」


「お前はこれから、深い森で迎撃をしようとする敵軍を討伐しなければならない。その場合は、どうすればいい」


「そ、それは……」


 勿論、何も言うことなくそれが分かるはずもあるまい。

 ヘレナは、そんなクラリッサへ向けて指を一本立てる。


「一つ、全員で一つの塊となり、前と後ろに注意を払いながら行軍する」


 そして、続いてもう一つの指を立てる。


「二つ、全員が散開し、包囲を狭めながら行軍する」


 はっ――そう、目を見開いたのはマリエルとシャルロッテだ。

 アンジェリカは意味が分からないと首を傾げ、フランソワはきょろきょろと周囲の反応を見ている。

 そして、問うた先――クラリッサは、ヘレナのそんな言葉に体を震わせた。


「……二つ目、です」


「その通りだ。ではマリエル、一つ目は何だと思う?」


「……お姉様」


 ヘレナの問いかけの意味を、根底から理解したのはマリエルだけだろう。

 マリエルには、唯一この五人の中で優位に立っている部分がある。それは――彼女が、本当の戦を経験しているということだ。

 波のように押し寄せる敵軍。

 それを対処し、時に大胆に攻める自軍。

 そして、戦場においてどのような行動を行うのが適切であるのか――それを、肌で理解しているはずだ。


 真の命の奪い合いを行った後宮の戦にこそ参加していないけれど、それはマリエルだけが知っている。

 そして、それを理解できる程度の経験はさせたはずだ。

 怒涛のように押し寄せる敵軍という絶望を。

 窮地より脱し、攻勢に回る自軍という希望を。

 勝ち負けの決まった戦の、その後を。

 彼女は、通して見ている。


「……逃亡戦、ですわ」


「その通りだ。定められた退却点まで集団で辿り着くことこそが、逃亡戦における目的だ。前と後ろに注意を払いながら、追いかけてくる敵軍の対処を行うことこそが、逃亡戦において最も必要なこととなる」


「……」


「お前たちは今まで、逃げていた。そしてこれから、お前たちは攻める側へと回る」


 そう。

 ただヘレナは、『定められた場所に行け』とだけ伝えた。

 そして野生の獣、ここにいるとされる『山賊国』の蛮族、そういう相手に注意を払いながら定められた場所へと向かうそれは、逃亡戦の訓練である。

 ヘレナは、やっと理解した五人――そこへ向けて、剣の先端を示し。


「私はこれから、攻めてくるお前たちを迎撃する。お前たちは私の迎撃を抜けて、敵の本陣たる一本杉を目指せ。戦場において功は待ってくれない。だが、純粋に一番に到着した者が一位というわけでもない。そのあたりは全体の貢献度で決める」


 そう、これが最後の試練。

 ゲリラ戦において、どのようにヘレナという一人の暴力に対処することができるか。

どうやって、ヘレナに察されることなく脇を抜けられるか。どうやって、ヘレナを足止めして仲間を送ることができるか。

 それをこれから、考えなければならないのだ。


「作戦は、自由に決めるといい。だが……五人が塊になって抜けられるほど、私は甘い壁ではないぞ」


 くくっ、と笑って。

 ヘレナのそんな言葉に絶望する五人への――最後の試練が始まった。

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