第20話 命を喰らう

 ヘレナは五人と共に、野犬の屍を抱えて近くの水源――川までやってきた。

 勿論、野犬を解体するためだ。基本的に、こういう解体においては水が必要不可欠なのだ。少なくとも内臓を取り出し、その腹の中をしっかり洗わなければならないのだから。

 そして現場に到着すると共に、ヘレナは袋の中から取り出したものをマリエルへと手渡す。


「ひとまず、代表としてマリエルに渡しておく。今後はそれを使うように」


「は、はいっ! お姉様!」


 マリエルに手渡したもの――それは、大ぶりのサバイバルナイフである。

 本来、後宮に刃物を持ち込んではいけない。だがここは後宮の外であり、このナイフもアレクシアに頼んで手配してもらったものだ。そして、後宮の側室が何かを調達することを求めた場合、最終的には皇帝からの許可が必要になるらしいのだが、ファルマスは苦笑しながら許可の印を押したらしい。

 ヘレナならば妙なことには使わないだろう、という信頼がそこにある。

 ちなみに、五人のための一本と、ヘレナのための一本で合計二本だ。


「では、まずやり方を教えよう。まずは腹を切り裂く」


「うっ……!」


 野犬の腹へとナイフを入れて、そのまま切り裂いてゆく。

 それと共に血が噴き出し、同時にだらりと内臓の一部が下がった。一番この野犬を食べることに意欲的だったフランソワでさえ、顔を青くしているほどだ。それだけ、食肉の解体というのは難易度の高いものなのである。

 何せそれは――命を喰らうのだから。

 ヘレナの個人的な意見として、初心者は蛇から入る方が良いと思うのだけれど。


「まず、内臓を引きずり出す。内臓はそのままにしておかず、きっちり処分することが必要だ。そうでなければ、血の臭いを嗅ぎつけた他の野生動物が現れるかもしれない」


「は、はいっ!」


「一番簡単な方法としては、近くに穴を掘っておけ。そして、全てが終わったらその穴の中に食べられない部位は全て入れ、土をかぶせることだ」


「うっ……! は、吐きそう、ですの……!」


 ヘレナは己の手が血に濡れることを厭わず、無表情で解体を進めてゆく。

 案外、食べられる部位というのも少ないものだ。この一匹だけでは、一人だけでも三日も保たないだろう。

 そんな手際の良いヘレナの解体を見ながら、最初に後ろを向いたのはアンジェリカだった。

 最近は大分皇族らしさが失われてきたと思っていたが、やはりこれほどにグロテスクな解体を見続けるというのも限界だったのだろう。


 だが、ヘレナがそれを許すはずがない。


「アンジェリカ、こちらを向け」


「……う、ぅっ」


「私は教えると言った。お前が見ないならば、これ以上教えはしない」


「ああっ! もうっ! うぷっ……」


 アンジェリカが、眉根を寄せながら再びこちらを向く。

 真っ青な顔色で、今にも吐きそうだ。だが、それでもいい。ヘレナだって最初から平気だったわけではないのだから。

 ヘレナが最初に解体したのは鹿だったけれど、何度も吐きそうになりながら、噎せ返るような血の臭いにくらくらしながら、必死に解体した。今となっては慣れたものだが、そんな可愛い新兵時代もあったのだ。

 だからこそ、厳しいということを分かっていても、今教えておかねばならない。

 最初から逃げていては、その後もずっと逃げることになるのだから。


「次に、頭を落とす」


「うっ……!」


「頭に食べられる部位はない。世の中の奇食好きには脳髄を食べる者もいるらしいが、あまりお勧めはしない」


「そうなの、ですか?」


「一般的に、食肉として流通していないものは食べない方がいい。何故食肉として流通しているのかは、その味が確かだからだ」


「なるほど……」


「まぁ、犬は流通していないがな。その理由は、食べれば分かるだろう」


 ヘレナの言葉に、それぞれが頷く。

 当然のことだが、一般的に食べられている部位というのは、それが美味しいからこそなのである。ヘレナが知らないだけで頭にも美味しい部位があるのかもしれないが。そして、食肉として流通していない犬の肉は、癖が強く臭みが強い。

 ヘレナでも、こんなサバイバル状況でなければ食べたくない代物だ。蛇は日常生活でも食べていいと思えるくらいに美味しいのだけれど。


 ふぅ、とヘレナは血まみれの両手を川の水で洗い、そのまま解体を進める。

 最初は吐き気を堪えていた様子の面々だったが、それが野犬の死体から一般的によく知る調理前の肉へと変わっていったことで、どうやら少しばかり耐性がついたらしい。

 皮さえ剥けば、ただの肉なのだから。


「よし……あとは、食べやすい大きさに切ったら終わりだ。以上……何か質問はあるか?」


「……あ、あの、ヘレナ様!」


「どうした、フランソワ」


「こ、こちらは、お塩を振って焼けば良いのでしょうか!」


「うむ……」


 フランソワの問いに、僅かに眉を寄せる。

 あまりお勧めはできない。正直、本当に癖が強く臭いがきついのだ。いざというときのために、予備として持っておくのがお勧めである。

 だが、今回は敢えて食べさせてみよう。


「そうだな、食べてみれば分かるだろう……クラリッサ、火を熾してくれ」


「は、はいっ!」


 ヘレナの指示と共に、クラリッサが火を熾し始める。やはり手際が良く、クラリッサのおかげですぐに焚き火ができた。

 さすがに生で食べられる部位はない。食肉は加熱して食べるのが基本だ。

 適当な枝に、適当に切り分けたそれを突き刺し、軽く塩を振って火の近くに置く。

 ある程度経って、良い感じに焼けてきたと思えた頃に、五人へとそれぞれ手渡す。


「では、食べてみるといい」


「は、はいっ! お、お肉っ! お肉ですっ!」


「あぁ……お姉様が手ずから作ってくださったお肉……」


「久しぶりの、食事ですの……」


「い、いただきます……」


「食べるわよー! もうお腹ぺこぺこなんだから!」


 五人がそれぞれ、串に刺さったそれを口に運び。

 もっしゃ、もっしゃ、と咀嚼しながら、首を傾げた。

 最初に顔を青くしたのは、マリエルである。


「う、うぇっ……」


「く、くさい……」


「お、美味しくないわっ!」


「まぁ、犬の肉はサバイバルでも、よほど切羽詰まっていなければ食べないからな。だが、お前たちが殺した責任だ。己の手で殺した命なのだから、せめて食べてやることが礼儀だろうよ」


 事実、犬の肉は正直食べられたものではない。

 ゲリラ戦では肉を調達する係がいるのだが、最も喜ばれるのが猪、次に鹿、鴨といったところで、野犬は調達係が怒られるほどの肉なのである。そんな肉を何故解体したのかは、自分たちが殺した野生動物の責任をとってもらうことが第一だ。何故かフランソワだけは「お肉ですっ!」と言いながらむっしゃむっしゃ食べているけれど。

 あと、犬の捌き方を知っていれば、そのまま猪も鹿も解体することができるだろうし。


「うげっ……じゃ、じゃあ、これ……」


「全部、食べないと……?」


「ああ。各自、火を通してからしばらく腰にでも下げておけ。丸一日も経てば、良い干し肉になっているはずだ。味は全く同じだが、それでも保存の利く肉をいつでも食べられる状態というのは大きい」


「うぅっ……おうち、帰りたい……」


「まともなものが、食べたいですの……」


 そう、自分たちの窮状にさめざめと泣き始めた令嬢たちに、ヘレナは笑みを浮かべる。

 勿論、これからも地獄を味わってもらうのだ。この程度で終わるはずがない。


 まぁ、その代わり。

 この新兵訓練ブートキャンプが終わったら、また鍋パーティでも開いてやろう――そう、思った。

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