第16話 はじめての夜営

 結局、五人は川の水を水筒に入れて水を確保し、そのまま食事をすることなく進んだ。

 せっかくフランソワが正解まで辿り着いたというのに、マリエルが強く拒んだのだ。蛇など食べたくありませんわ、と。

 そもそも大商会アン・マロウの長、リヴィエール家の生まれであるマリエルは、食べるものに苦労したことなどこれまで一度もあるまい。ヘレナが鍋をやると言い出して、すぐに最高級の食材を用意してくれたほどなのだ。

 恐らく食料面が一番苦労するだろうとは思っていたけれど。


「……おなかが、空きましたわ」


「わたくしも……もう、おなかと背中がくっつきそうですの……」


「ええっ! おなかと背中がくっつくんですか!?」


「……冗談ですの」


 シャルロッテのそんな冗談を、思い切り真に受けるフランソワ。さすがに、人体の構造上それはありえないのだが。

 だが、いい感じに全員空腹のようだ。それも当然である。昼餉以降、何も食べていないのだから。

 普段ならば既に夕食を終えている時間だというのに、水しか口にしていない。マリエルあたりは、きっとその間で優雅なティータイムとお菓子くらいは食べていることだろう。その空腹感も当然である。


「もう、さすがに食料は探せませんわね……」


「……そうですね」


 マリエルのそんな言葉に、頷くのはクラリッサ。

 既に陽は落ち、暗くなっている。そして森というのはその四方を木々に囲まれているために、暗くなるのが早いのだ。暗くなる前に見つけた、やや拓けた場所で五人がそれぞれ座っている。その中央に、焚き火を燃やしながらだ。

 ちなみに、このあたりの指揮をとったのはクラリッサだ。クラリッサも伯爵令嬢であるはずだが、幼い頃には父と共に遠乗りをしたり、キャンプをしたりしていたらしい。そのあたりの経験則で、木と木を擦り合わせて火を焚いたのも彼女である。ヘレナは教えていないため、どうなるものかと思っていたが。


「でも、クラリッサが知っていたから良かったわ! わたくし、火の熾し方なんて知らなかったもの!」


「そうです! クラリッサはすごいです!」


「そ、そんな……」


「野生動物が火を恐れるという話は聞いたことがありますわ。でも、マッチの一つもないし……クラリッサが知らなければ、いつまでも火を焚くことができなかったわね」


「ですの。これなら一晩安心ですの」


「い、いやぁ、そんな……」


 えへへ、とクラリッサが照れているのが分かる。

 このように褒められることは、あまりないから嬉しいのだろう。クラリッサにとっては知っていて当然の知識であるのだろうが、全員がそれを知っているわけではないのだから。


 だが、合格かと言われればそうではない。

 野生動物は火を恐れる。それを知っていたことは、素直に褒めよう。だが、かといってそれが正解というわけではないのだ。

 火は確かに野生動物を遠ざけるが、逆にそこに人がいるという目印にもなる。

 そして、ヘレナは言ったのだ。

 ここは、『山賊国』の縄張りだと。


「夜中はどうしますの? 交代で見張りみたいな形にしますの?」


「で、でも、時間が分かりません!」


「時計もないし……」


「交代するタイミングが分かりませんわね……」


「なら、月の動きを見ればいいんじゃない? ほら、昔は月の位置で時間が分かったとか言うし……」


 そんな五人の中で、そう意見を発したのはアンジェリカだ。

 というか、まさかのアンジェリカである。正直、ヘレナも少し驚いているくらいだ。

 確かにその通りで、月の動きで時間というのはそれなりに分かるのだ。月が中天にあるときが、丁度夜半となる。ヘレナは天体学の専門家というわけでもないため、あくまでゲリラ戦で知った知識でしかないが。

 おぉっ、と全員が感嘆の声を上げた。


「それじゃ、アンジェリカの意見を採用ね。二人と三人に別れて、前半と後半の見張りをしましょう」


「どう分けますか!」


「うぅん……あたくしが思うに、前半をロッテ、フランの二人でどうかしら? 後半をあたくし、クラリッサ、アンジェリカの三人という形で」


「わ、私はそれでいいですけど……前半が二人で大丈夫ですか?」


「合理的に判断すればそうなりますの。わたくしとフランなら、フランが後方支援をしてくれればわたくしが一人で戦いますの」


「そういうことですわ。後半はあたくしとクラリッサがお互いに槍だから阻害しないし、後ろからアンジェリカが支援してくれる形の方がより戦えますわ」


「なるほど!」


 多分、よく分かっていないのだろうフランソワが言う。

 ふむふむ、と聞き耳を立てながら、割としっかり成長してくれた弟子の面々に、ヘレナは笑みを浮かべた。

 もしヘレナが指揮官であったとしても、そう分けるだろう。

 シャルロッテの超近接戦闘において、マリエルとクラリッサは邪魔にしかならない。そして敵と接敵している以上、アンジェリカの投擲では背中に当たってしまう危険もある。だが、フランソワならば百発百中の射的で、問題なく支援を行うことができるのだ。

 そしてマリエルが言うように、マリエルとクラリッサはシャルロッテほどに接近しない。この場合は、アンジェリカの投擲において牽制をしながらマリエルとクラリッサが戦う形が求められる。

 素晴らしい。そう拍手を送りたいが、ヘレナがここにいることは内緒だ。


「では、あたくしたちは寝ますわ……もしも何かあれば、すぐに起こしてね」


「そ、それじゃ私も……」


「わたくしも寝るわよ!」


「はいはい」


 マリエル、クラリッサ、アンジェリカがそれぞれマントを体に巻きつけて、横になる。

 まだ夜とはいえ、それほど冷える時期というわけではない。だが、それでもマントを巻いているか否かで体感は随分変わってくるはずだ。

 そして、ここまで緊張しながら行軍してきた疲れも、少なからずあったのだろう。程なくして三人の寝息が聞こえてくる。


「はぁ……ひとまず、月が中天に来るまで、二人ですの」


「わ、わたし何をすればいいですか!」


「静かにするのが一番ですの。あなたのその大声で、三人が起きてしまいますの」


「は、はい! ごめんなさい!」


「だからそれを……もういいですの」


 はぁ、と大きく溜息を吐くシャルロッテ。

 いつもいつも、何故それほど元気なのかと謎に思えるフランソワだ。こんな状況であれ、その元気は変わらないらしい。

 さて、教官の時間はこれで終わりだ。

 既に、この近辺にいる危険そうな獣は排除している。猪は追い払い、狼は切捨てた。熊はひとまず見られなかったため、問題はないだろう。


 ここからは。

 鬼の時間だ。


 ヘレナは背中に負っていた袋の中から、それを取り出す。

 それは――野生動物の骨で作られた兜。そして、その兜から上半身を覆う藁である。

 顔を完全に隠す兜と、上半身のみではあるが体型を隠してくれる藁。そしてその右手には、尖った石を木の棒に結びつけただけの簡素な石斧を持つ。

 それは――かつてここを支配していた、『山賊国』の戦闘員の格好だ。


「それにしても、逆に拍子抜けですの。これほど何も現れないなんて……」


「そうですね! でも、安全な方がいいです!」


「だから、そうやって大声を……」


 ゆっくりと。

 茂みの中から、ヘレナは姿を現す。『山賊国』の蛮族――まさに、その格好で。


 そして。

 シャルロッテと。

 目が合った。


「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


「へっ!? シャルロッテさん!? ひぃっ!?」


 さぁ、教えてやろう。

 野生動物が火を恐れるからといって、焚き火を延々と燃やし続けながら、そうやって安心していると。


 野生動物よりも恐ろしい――人間がやってくると。

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