第15話 はじめての行軍
マリエルを先頭に、五人は森へと入った。
それをヘレナは、つかず離れずの距離で見守りながら、追ってゆく。木の枝から木の枝へと飛び移り、見えない位置へと身を隠して決して見つからないように。
そのあたりも、敵の砦へと潜入経験などがあるヘレナにしてみれば、楽なものだ。数百人いる兵士の中を、その目全てを掻い潜って潜入せしめたのだから。その経験もあって、この最終試練の教官を務めたことだって何度もある。
常に、教官たる者は新兵から目を離してはいけない。
訓練中の事故で、人死にがあってはならないのだ。模擬戦などを行い、当たりどころが悪くて死ぬ者は少なからずいる。だが、戦士たる者死ぬべき場所は戦場に他ならないのだ。それを、山奥で死なせるわけにはいかない。
だからこそ、つかず離れずの距離で守る。
どのような脅威が現れても――すぐに彼女らを守るために。
「……」
「……」
そして、少し距離が離れると、彼女らの声は全く聞こえなくなる。きっとヘレナの悪口を一つや二つは言っていることだろう。
まぁ、こういう訓練において、教官というのは嫌われ者だ。多少悪口を言って、それで彼女らの気がすむならば別段怒りはしない。
そんな風に、気配を殺し、音を殺し、少しだけ五人の近くに寄ったとき。
「想定以上に、厳しそうですわね」
そんな、マリエルの声が聞こえた。
当然だ。ヘレナが与える試練において、甘いものなどない。せいぜい甘いといえば、今もこうして五人を襲おうとする熊や狼の群れなど、今の五人で相手にできそうにない獣がいないか察知し続けていることくらいだ。本来は一個小隊で行わせて、獣は基本的に放置する。そして、本当に危ないときだけ教官が助けに入るのだ。
それを、事前に無力化するだけありがたいと思ってほしい。本人らには言わないけれど。
「ですの。目的地までしっかり向かいながら、定期的に水源も確保しなければならないということですの……」
「食料もですよね! 食べられそうな茸はさっき見つけました!」
「こらフラン! ヘレナ様が、茸は食べないように言ってたでしょ!」
「そうよ! 毒に中ったらダメだって言ってたわ!」
「そ、そんなぁ!」
フランソワ以外は、ちゃんと覚えてくれていたらしい。
実際に、ヘレナも毒茸に中ったことが何度もあるのだ。それをグレーディアに食わせてしまい、翌日の指揮がままならなかったことも記憶に新しい。あの日以来、ヘレナは野生の茸だけは食べないと誓った。
「じゃあ、木の実とか探さなきゃいけないってことですの?」
「さすがに、そんなに都合良く木の実がなっているなんて……」
「わたし、お肉が食べたいです!」
「肉を食べるのなら、ちゃんと獲物を狩って解体して調理しなければならないってことよね……」
「ええっ! わたくしそんなの無理よ!」
「いや私も無理ですからね!」
随分とかしましい。
本来、ここは『山賊国』の残党が潜んでいる場所だと言ったはずなのに。それに、そんな風に大声を出していては野生の獣に気付かれるだろう。食料となり得る、弱い獣ならば簡単に逃げるだろうし。
行軍の基本くらいは教えておくべきだったかもしれない。
「どちらにせよ……ひとまずは、水源ですの。水がなければ生きていけませんの」
「そうね。ひとまず、水と塩があれば多少は食べなくても……あ、無理。あたくし絶対我慢できない」
「マリエルさん、いつもいいもの食べてますもんね……」
「わたくしも無理よ!」
「アンジェリカさんまで胸を張らないでください!」
無駄に自信のあることだ。かしましくも、しかし微笑ましい話題に思わずヘレナの頰も緩む。
思った以上にヘレナより与えられた試練を受け入れており、そしてそのために何をすべきが十全かを話し合っているということだ。大声を出すのは行軍するにあたって相応しくないが、方針を決めてから進むのではなく、少しでも距離を稼ぐために行軍しながら方針を決めているのであれば、まぁ及第点ではある。
水源については、ちゃんと地図に書いてあるはずだ。ちゃんと彼女らが地図を読めれば、だが。
「マリエル、わたくしにも地図を見せてよ」
「あなたに地図が読めるの?」
「大丈夫よ! 最近、ちゃんと教育係からの教育を受けてるんだから! 午後だけだけど!」
「おぉっ! アンジェリカさんが真面目になりました! すごいです!」
「ふふんっ」
「いやそれ普通だから」
「何よ! 褒めなさいよ! わたくしは褒めて伸びる子なのよ!」
アンジェリカならば、確かに読めるかもしれない。
ヘレナはアンジェリカにどのような教育を行っているのかは知らないが、それでも皇族に対しての教育だ。それなりに広い範囲でやっているだろう。もしかすると、地理の授業も行っているかもしれない。
ならば、少しでも彼女らが目的地へ到着するための頼みに――。
「さっぱり分からないわ!」
「どうして大丈夫と断言しましたの……」
ずこっ、とヘレナもこけそうになるのを思わず堪える。
少しアンジェリカの評価を上げようかと思った直後だ。まったくもって残念な娘である。
「困りましたわね……地図なんて、どう見ればいいのか分かりませんわ」
「あ、じゃあ、ちょっと私見てもいいですか?」
「ええ」
「うーん……」
何故か、地図はクラリッサに渡ったらしい。
同じく、生粋の貴族令嬢であるクラリッサにも、地図を見る機会などなかったはず――。
「多分ですけど、私たちはこの辺にいると思うんですよね」
「何故分かりますの?」
「森がこの辺りから始まっていて、この白い線が街道になっているはずなんです。で、多分ここがテルノーの街ですね。馬車は街道から逸れることなくこっちに来て、街道と同じ方向を向いて歩いてきたので……もう少し行けば、川があると思います」
「水源ですの!」
「クラリッサすごいです!」
「い、いや、たまに、お父さんと遠乗りとか行ってたから……」
なるほど、馬術に優れるクラリッサらしい理由だ。最近は
あとは、真っ直ぐ向かえば彼女らの目的――水源である川に辿り着くはずだ。
「水はなんとかなるとして……あとは食料ですわね」
「あ! そうだ!」
「どしたの、フラン?」
「わたし、いいこと思いつきました!」
「マリー、どう思いますの?」
「嫌な予感しかしないわ……」
「わたしそんなにも信用ありませんか!?」
どうやら、やっと正解に辿り着いてくれたようだ。
ちゃんとヘレナが味で示して、最初の
それが、今回の行軍においての主な食事となりえるものだ。
「蛇を捕まえて食べればいいんですよ!」
「……」
だが、そのように正解に達したフランソワの言葉に。
残る四人が、言葉を失った。
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