第11話 夜の語らい

「今日はすまなかったな、ヘレナ」


「いえ、とんでもありません。ファルマス様」


 夜。

 いつも通り渡ってきたファルマスが、そう謝ってくることに対して答える。

 どれに謝られているのか分からないけれど。鍛錬に耐えられず気を失ったことに対しての謝罪なのか、アレクサンデルの奇妙すぎる願いに対する謝罪なのか。まぁ、どちらにしても別段怒ることではない。

 ファルマスが疲れた顔でヘレナの前に座り、そのまま小さく溜息を吐いた。


「しかし、己が情けないな。そなたの訓練に耐えられず、あのように気を失ってしまうなど……。今後は、体力をきっちりつけなければな」


「もう少し、軽めに行いましょうか?」


「いや、構わぬ。そなたの訓練に耐えられるようにならねばならん。今後も、一切の手抜きはいらぬ」


「承知いたしました」


 どうやらやる気は相当あるらしい。

 何故それほど意欲があるのかは分からないけれど、ファルマスがそう望むのならばヘレナに否はない。今後も、手加減することなくファルマスを鍛えるだけである。

 いずれは、ファルマスも含めて新兵訓練ブートキャンプをしなければならないのだから。


 だが、その前に聞いておくべきことがある。


「あの、ファルマス様」


「む?」


「女官から聞いたのですが……その、三月後のこと、を」


「……」


 ヘレナの言葉に、ファルマスが眉を上げる。

 そして、小さく嘆息して背もたれに大きく体を預けた。やや、眉を顰めて不機嫌を示しながら。


「全く……口の軽い女官だ」


「あの……?」


「既に知ってしまっているのならば、仕方あるまい。三月の後に、余とそなたの婚姻を国民に発表するつもりだ。色々と準備することも多いゆえに、先にアントンやイザベルの方には話を通しておいたのだ。そなたには、余の方から伝えると言っておいたのにな……」


 ふぅ、と嘆息して頭を掻くファルマス。

 どうやらファルマスにはファルマスの計画があったらしい。そのあたりを、イザベルが女官全員に伝える際に、ヘレナに言ってはいけないということを伝え忘れたのだろう。

 だからこそ、アレクシアの口が滑ってしまったのだろう。ヘレナにしてみれば、完全に寝耳に水の事実だったのだから。


「色々と、余も考えていたのだぞ……夜景の見える場所で晩餐でもしながらだとか、以前のように遠乗りに行った先でだとか……そなたに情報が漏れては、無駄ではないか」


「え、ええと……申し訳ありません」


「別段、そなたが悪いわけではない。気にするな」


 何故かヘレナが悪いような気がして謝ってしまったけれど、確かにヘレナが悪いわけではない。

 でも、一応色々と考えてくれていたのだろう。結婚というのは一生に一度のことであるし、正式に申し込むにあたっての理想というものもある。少なからず女が持つものである理想のプロポーズを、少しでも実現するつもりだったのだろう。

 なんだか、そんな風に考えてくれていたファルマスが可愛く見えて、ヘレナは小さく微笑む。


「では……まぁ、知ってしまっている以上、今更意味のないことではあるかもしれぬが……」


「はい」


「その……余は、そなたを一生涯愛すると誓おう。側室も持たぬ。そなたとの子を、余の後継としたいと思っておる」


「は、はい」


「皇后となることに、不安はあるやもしれぬ。今まで軍人として生きてきたそなたに、皇后という任は重いだろうが……それでも、余と共にこの国を、支えてほしい。余と……俺と、結婚をしてほしい」


 たどたどしく、普段よりも言葉を選びながらそう言ってくるファルマス。

 十も年下のファルマスだが、普段は皇帝として、上に立つ者として凛とした振る舞いを見せているのだ。こんな風に、年相応の態度を見ると可愛く見えてくるものだ。それだけ、ヘレナのことを大切に思ってくれているということだろう。

 それが、嬉しくないわけがない。どきどきと、鼓動が高鳴っているのが分かる。

 少なからずヘレナも、ファルマスのことを憎からず思っているのだ。愛しているのかと言われるとまだ微妙だが、それでもこの想いはこれから、少しずつ育まれることだろう。

 だからこそ――ファルマスには答える言葉は、一つ。


「はい、ファルマス様。不束者ですが、よろしくお願いいたします」


「……ああ」


 かーっ、と顔を真っ赤にするファルマス。

 そして、なんだか居心地が悪そうにぱたぱたと胸元を伸ばして仰ぎ始めた。暑いのか、その額に汗を滲ませながら。

 ファルマスは、苦笑しながらヘレナを見て。


「……いかんな、照れる」


「私も照れていますよ」


「そうは見えぬぞ。いつも通りに冷静であろうよ、そなたは」


「そうでもありませんよ」


 実際のところ、いつもより心臓が激しく脈打っているのだ。

 元来表情が出にくい顔をしているために、そう見えないだけである。どれほど心の中で焦っていても、それを表情に一切出さないのがヘレナという女なのだから。そのせいで色々勘違いをされているのだが。

 ふぅっ、とヘレナも落ち着くためにお茶を一口含む。

 喉がからからに渇いていた。やはり、ヘレナらしくもなく動揺はしていたらしい。


「ファルマス様」


「む……どうした?」


「三月の後、ということなのですが……」


「ああ、そのくらいにと考えておる。そなたの都合が悪いのならば、少しばかり伸ばしても良いぞ」


「いえ……」


 三ヶ月。

 それだけあれば、十分といえば十分だ。少し足りないかなとは思うけれど、ヘレナの個人的な都合で伸ばすわけにもいかないだろうし。

 本当に――これは、極めて個人的なことなのだから。


「ファルマス様は、後宮における側室の待遇を改善するのだと聞きました」


「ああ、そのつもりだ。異性ならば肉親ですら会えぬという現状は改善するべきだと思っている。少なくとも、面会に制限は設けないつもりだ」


「外出などは……可能でしょうか?」


「ふむ……そこまで考えてはいなかったが、別段今更であろう。そなたは自由に外出しているわけだからな」


 それもその通りである。

 ヘレナだけが自由に外出できて、他の側室は外出できないというわけにはいかないだろう。ヘレナは後宮を任されている身であるけれど、そこに特権があるというわけではないのだから。

 ヘレナができるのであれば、それを他の側室もできるようにするのは当然なのだ。


「では、なるべく早く……私を含めて、五人の外出を許可していただきたいと思います」


「ふむ……誰だ?」


「マリエル、シャルロッテ、フランソワ、クラリッサです」


「その四人ならば良かろう。そなたが監督をするのであれば、問題あるまい。衛兵には話を通しておこう」


「ありがとうございます」


 マリエルはともかく、シャルロッテ、フランソワ、クラリッサはファルマスの恩人でもある。

 後宮の戦において、この三人はファルマスを守りきったのだ。そこに恩義を少なからず感じている部分はあるのだろう。


「何をするのか聞いても良いか?」


「そんな大したことをするつもりはないですが……」


「ふむ?」


 とりあえず、ざっくりと説明はしておくべきか。

 何をするのかという目的だけでも話しておくべきだろう。外出をするにあたっても、目的が不明瞭ではファルマスの心労にもなりかねない。

 ヘレナは笑顔で、これから行うべきことを告げる。


「帝都南の山に行こうと思いまして」


「ほう。現在は紅葉が美しいからな。そなたたちの慰安にもなるであろう」


「いえ、そうではありません」


 慰安のつもりは全くない。

 というより、彼女らにとっては、これは地獄なのだから――。


「七日ほど、山の中で生きてもらいます」


「……は?」


「一人前の戦士である以上、どのような環境でも生きることのできる能力が必要となります。そのための最終訓練をしなければいけません。古来より、新兵訓練ブートキャンプの最後は山でのサバイバルだと決まっているのです」


「……」


 ううん、とファルマスは頭を抱え。

 そして、苦笑いを浮かべながら、何かを諦めたように。


「……好きにせよ」


「ありがとうございます」


 そう、許可をくれた。

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