第214話 後宮の戦-終焉-
「全軍、止まれぇっ!」
後宮の中庭に、高い怒声が響く。
それは喧騒に包まれ、争いの只中にあるはずの中庭の中で、ありえないほどの声量で響いた。まさしく、戦場において威武を示す鬨の声であるかのように。
自然、そこで争っていた者たちが、動きを止める。
そして、声の主――僅かに高い位置にいるその姿を、見た。
「ヘレナ様っ!」
「ヘレナ様ぁーっ!」
最初に反応したのは、シャルロッテとフランソワ。その後も、クラリッサやアンジェリカが続く。
そんな声に対し、ヘレナは微かに微笑んで。
そして、そこに蔓延る賊徒を、ぎろりと睨みつけた。
「へ、ヘレナ様って……!? あ……あれ、ヘレナ・レイルノート……!?」
「あ、あいついないはずじゃ!?」
「な、なんでここに……!」
「静粛に」
決して、叫んでいる言葉ではない。ただ、囁きかけるような声音だ。
だが、まるで全員の頭の中に直接響いているのではないか、と思えるほどの素早さで、賊徒たちが口を閉ざしてゆく。逆らえば命はない――それが、そんな短い言葉に込められているかのように。
ヘレナはそんな、自分を見る賊徒たちを睥睨して。
「貴様らの首魁であるアブラハム・ノルドルンド、ならびにディートリヒ・ハイネスは既に捕らえた。最早、これ以上貴様らの抵抗は無意味だ。分かれば、おとなしく武器を捨てろ」
「なっ……!」
「あ、あれ、相国殿……!」
「公爵様も……!」
「二度は言わない。まだ抵抗をしようという者がいるならば、私がその首をかき斬ってくれよう」
ヘレナの言葉に、恐れるのは賊徒の前方にいる輩。
その威圧を、その威武を、まさにその身に浴びているがゆえに。
だが、そんな軍の後方――恐らく、未だに状況を飲み込めていないのであろう賊徒が、叫ぶ。
「知るかそんなもの! 相手は女一人だ! こっちはまだ一個大隊いるんだ! ぶっ殺せぇ!」
「うぉぉぉぉぉ!!」
「ほう……」
ヘレナは、その右手に持つ斧槍を構えて。
そして、止まっている者たちを抜けて迫ってくる賊徒の群れに対して、くくっ、と笑む。
不眠不休で、どうにかここまでやって来た。最初にアルベラから借りたファルコは、疲労の極みに達した時点で通りがかった村に保護してもらい、金を払って代理の馬を借りた。必ず迎えに来る、と約束して。
ゆえに、ヘレナも疲労困憊だ。このまま寝台に潜れば、恐らく刹那の間に眠りにつくだろう、と思えるほどに。
だからこそ。
「うぉぉぉぉぉ!!」
「ぬぅんっ!」
手加減が、できない。
普段ならば力を抑え、吹き飛ばす程度で済ます斧槍の一撃。それが全く加減をすることができず、最前列にいた数人の賊徒が、その胴と足とに永劫の別れを告げた。
血飛沫が舞うと共に、更に返す一撃。
それは正確に賊徒の首を狙い、一度に五人の首を吹き飛ばす。
ただ、斧槍を振るっただけだ。迫り来る敵に対して、ただ攻撃を仕掛けただけだ。
だというのに。
ほんの一撃で、十人の命が消えた。
「なっ……!」
「な、なんだ、こいつ……!」
「さ、『殺戮姫』……! これが……!」
だが、ヘレナは止まらない。
まだ抵抗を続けるのならば、その全員を叩き斬る。その全員の命を刈り取る。それだけの覚悟を持って、敵陣の真ん中で斧槍を振り回した。
ただ無差別に振り回しているだけに見えるそれは、しかし一撃一撃が正確無比な死神の大鎌。
確実にヘレナへと近付いてくる賊徒の首を断ち、胸を切り裂き、胴を分断し、頭蓋を割る。ただ『戦場で敵を殺す』ためだけに特化した武の顕現が、そこにある。
「ぎゃあっ!」
「ぐはっ!」
「ぐええっ!」
数多の悲鳴の狂想曲を響かせながら、斧槍と共に踊る輪舞曲(ロンド)であるかのように。
ヘレナは戦場をひたすらに舞い踊る。
その舞いの一片全てに、死を纏わせながら。
これが――『殺戮姫』としての、本質。
迫る斧槍を避けることもできない賊徒が、一人ずつその命を大地に散らして、屍が積み重ねってゆく。四方八方を賊徒に囲まれていながら、まるで後ろに目があるかのように、全てを叩き伏せるヘレナ――それは、まさに戯曲の中に存在する英雄そのものの姿。
抵抗をする賊徒が一人、また一人、と血飛沫を上げて倒れ伏すその姿は、まるで霧や雲を相手に戦っているような感覚だろう。
どれほど攻撃をしたところで何一つ当たることなく。
しかしその攻撃の全てが、命を刈り取るだけの一撃。
「や、やべぇっ! 殺されるっ!」
「に、逃げ……!」
「どこに逃げんだよ!?」
「どこだっていいよ! あいつから離れられるなら! ぐあっ!」
「うぉぉぉぉ!!」
ヘレナは怒号と共に、さらに斧槍を振るい、賊徒の首を刈る。
恐らく、ろくな訓練もしてこなかったのだろう。所詮は私兵であり、これまでろくな戦に参加してこなかったハイネス公爵家の雇われだ。連携もなければ、個人個人の強みもない。
ただ、素人が武装をして、群れているだけの烏合の衆。
そんなものを相手に、ヘレナが負ける道理などどこにもない。
「ふ、ぅ……」
戦場の中央――そこで、ヘレナは止まる。
隙を見せているようで、全く隙のない構えを見せながら、じっと四方へ目をやる。
そこには、怯えながら槍の穂先を向け、震えている賊徒の姿。
既に抵抗をする気力もないようで、ヘレナが近付くたびに「ひぃっ!」と悲鳴を上げては下がる、という繰り返しだ。
ここにいるのは最早、群ですらない。ただ断罪を待つ獲物が集っているだけ――。
ゆえにヘレナは、そこに救いを与えてやる。
「武器を捨て、両手を頭の後ろに回して膝をつけ。五つ数えるだけの時間をくれてやる。それを過ぎても立っている者がいれば、殺す。五」
死へのカウントダウン――それは、賊徒にしてみればそう聞こえただろう。
次々と、剣が槍が、兜が捨てられてゆく。
まるで波であるかのように、士気を失った賊徒たちが膝をつき、敗北を示した。
「四」
未だに、敵は千人以上、一個大隊を超える数だ。
だというのに、ヘレナ一人だけに、ただ跪く。全員でかかれば、屍がどれほど増えようとも、いつか倒せるかもしれないのに。
だが、ここにいるのは、ただの命を惜しむ私兵。
自分たちの命を捨ててまで、ヘレナを殺す、などという気概は最初からないのだ。
「三」
仮に千人で一斉にかかったとして、ヘレナは先に攻撃してきた者は必ず殺戮するだろう。それが分かっているからこそ、動けない。
統率された軍ならば、先頭に立って死ぬことを誉れ、と教えられるのだ。だからこそ、恐れることなく敵軍に向けて突撃を敢行するのだ。
だが、この賊徒は、ただ雇われただけの素人。
簡単に言うならば、誰だって先頭に立って死にたくない。
「二」
ゆえに。
からん、からん、と乾いた音を立てて、武器が捨てられる。
ヘレナの視界から、その両足でしっかりと立っている者が、ほとんど存在しなくなり。
「一」
ヘレナを中心として輪を広げるかのように、屈服した賊徒たちが頭を下げる姿。
血飛沫に彩られた、真紅の大輪――きっと、空から見ればそのように見えるのだろう。
「ゼロ――」
かくして、後宮の戦は終わりを告げる。
その全てが武姫に跪く、という結末と共に――。
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