第199話 蹂躙

「ヴィルヘルム殿、本当に良かったのか」


「ええ。問題はありませんとも」


 砦の北門から手勢を連れて、ヘレナは外に出た。そして北門から続く森と、その先の山を越えることとした。

 僅かな手勢であるがゆえに、敵軍の包囲を掻い潜ることができ、そして敵軍の後方につけることができた。

 だが、問題はこれからである。

 敵軍が二万五千を越える、大軍であることには何も変わりない。そして、ヘレナが率いるのは百ほどの僅かな手勢だ。

 そのうちの一人として、ヴィルヘルムもそこにいた。


「できれば、砦の防衛をあなたにお任せしたかったのですが」


「儂は、この戦が終わったら引退しようかと思っておりましてね」


「ほう」


「後進に、少しは戦争を学んでもらわねばならない、と思っていたところだったのですよ。良い機会ということで、此度の防衛に対しての誉れを与えてやろうかと思いまして」


「なるほど」


 確かに、フレアキスタ王国において、ヴィルヘルム・アイブリンガー以上に名の轟いている武人は、他にいない。

 そんな状態でヴィルヘルムが引退するとなれば、それこそ他国から弱卒ばかりが揃っている、と思われるだろう。そうならないように、自分の引退前に国外での功績を残させておく、というのは理解できる。

 だが。

 かといって、このような死地に同行する、というのはどうかと思うのだが。


「ヴェクター……ああ、我が軍の副長なのですがね。あやつが上手くやってくれているようです。敵軍が、全体的に前に出ています」


「今こそが好機、ということですか」


「ええ。本陣の後ろに敵はいません。本陣を一気に攻めるに、今を置いて機はありませんな」


 作戦は単純だ。

 まず、敵軍は砦をひたすら攻めることにしか執心しておらず、背後に対する備えはない。ゆえに、その背後から少数でもって奇襲をかけ、首魁を叩き潰す、というだけだ。

 軍とは、統率する頭がなくなれば脆いものなのだ。凡将であるとはいえ、将軍を失えば一時的に機能が停止する。

 ゆえに、賭けに打って出た。

 ヘレナという、今この場における最強の武力を、その背後に回したのだ。

 そこにまさか、ヴィルヘルムまでついて来るというのは、予想外だったが。


「では、行きましょうか」


「ええ」


「と、その前に……」


 ヘレナは小さく息を吐き、そして愛馬――ファルコの背中に乗っている状態でも使える、長柄の斧槍を構える。

 今回の作戦には、速度こそが何より必要なのだ。馬を降りて戦うわけにはいかない。ゆえに、馬上でも使える長柄の武器を選んだのだ。

 そんな斧槍を、ヴィルヘルムに向けて。


「死ぬな、ヴィルヘルム殿。我が戦友(とも)よ」


 そして。

 そのようにヘレナから斧槍を向けられたヴィルヘルムもまた、微かに笑って。

 その右手に持つ、長柄の薙刀の先端を斧槍に当てる。


「死ぬな、ヘレナ殿。我が戦友(とも)よ」


 かん、という乾いた音が響くと共に。

 ヘレナは、ファルコの手綱を思い切り引いて。


「突撃ぃーっ!」


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 眼下――ほぼ崖とさえ呼べる坂道を思い切り、馬で駆け下りた。

 切り立ったそんな場所を背後に据えているがゆえに、後ろに対する備えを怠った敵軍。

 最前線で死と隣合わせで戦う兵から、随分離れているがゆえに、どこか呑気な空気が流れる本陣に。

 稲妻が如く、切り込む。


「ぎゃあっ!?」


「敵軍! 奇襲だぁーっ!」


「うがぁっ!」


「全員! 出ろぉっ! ぐはぁっ!」


 ヘレナを先頭とし、その次にヴィルヘルムが駆け。

 ろくな準備もできていない敵軍を、馬に乗ったままで蹂躙する。

 ヘレナが一つ斧槍を振るうたびに、敵兵の首が飛び、腕が千切れ、胴が裂ける。断末魔の悲鳴が幾重にも重なり、血臭が風となり大地を覆う。


 これが。

 これこそが。


 戦――!


「ちぃっ! 貴様らぁっ!」


 そこで、一際派手な鎧を装着した者が、ヘレナの前に出た。

 その周囲を囲むのは、百ほどの敵兵。恐らく、それなりの地位にいる者なのだろう。

 だが、かといって覇気は感じない。さほどの強敵でもない、という印象だ。少なくとも直感と嗅覚で全てを判断するヘレナにしてみれば、大した敵ではない、と一瞬で判断できるほど。


「止めろ! あれがヘレナ・レイルノートだ! 首を斬れぇっ!」


「ふんっ!」


 一斉に襲いかかって来る敵軍に、思い切り斧槍を振るう。それだけで三つの首が、一度に飛んだ。

 同時に、ヘレナの射程に入る、派手な鎧の大男。

 どことなく見たことがあるような――そんな既視感を覚えながらも、しかし心乱すことなく。


「ついにこの時が来たか! 我が名はレーツェル・ガリバルディ! 貴様に殺された、我が国の英雄ガゼット・ガリバルディが長子! 仇をここで討つ!」


「ほう……」


 なるほど、と納得する。

 どこかで見たことがあると思っていたが、あの『暴風』ガリバルディの息子だったということか。

 だが、かといってそんな息子――レーツェルには、ガリバルディほどの強さは感じない。

 まだ若いということもあるだろうが、明らかに経験が足りない、と思えるほど。


「死ねぇっ!」


「残念だが」


 レーツェルの突き出した槍を、斧槍で思い切り逸らす。

 ヘレナの膂力をもってしていなされた槍の衝撃に、レーツェルの表情に焦りが走るのが分かった。

 彼の父、ガゼット・ガリバルディならば、その程度で動じはしなかっただろう。少なくとも、その膂力はヘレナよりも上だった。

 敵が剛ならば柔軟に。敵が柔ならば剛毅に。

 その都度、戦術を変えることができることこそが、ヘレナの強み。


 だが。

 レーツェルには、その程度の立ち振る舞いすら、必要ない。


「お前が死ね」


 ぶんっ、と風を切り裂きながら、ヘレナの斧槍がレーツェルに襲いかかる。

 レーツェルは、それを防ぐことも、避けることもできず。


「ぐあああっ!!」


 その肩から、脇腹にかけて切り裂く一撃。

 最後の悲鳴だけを上げて、レーツェルの分かたれた体が大地に落ち、血の花を咲かせる。

 だが、それでもヘレナは止まらない。


 ここは敵の本陣。

 ならば、敵の将軍はここにいるはずだ。そして、その将軍を討ったそのときこそ、高らかに勝利を宣言できるのだ。


「敵将、いずこかっ!」


 ゆえに、ヘレナは暴れ回る。

 敵の本陣において、局所的に発生した竜巻が如く、敵軍を蹂躙する。

 そこに存在する、ヘレナと一騎討ちを行うに値する将軍を探しながら。


「敵将! 臆したかっ!  出てこいっ!」


「あー……ヘレナ殿」


「どう、したっ!」


 馬で駆け回りながら、ヘレナは敵兵の首を狩り続ける。

 その後ろにつきながら、ヘレナの討ち漏らした敵兵をきっちりと片付けてくれるヴィルヘルムが、僅かに呆れながら。


「先程の将が、敵の将軍だったのでは……?」


「あの程度の者が、将軍なはずがあるまい」


「ですが……」


「敵将っ! いずこかっ! 我が武に臆したかっ!」


 そんなヴィルヘルムの理性的な言葉を、完全に無視しながら。

 ヘレナは存在もしない敵将を探しながら、本陣の敵兵を殲滅した。

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