第198話 武姫の決断
ヘレナはヴィルヘルムに、簡単に状況を説明する。
現在の時点で、この砦で防衛をして五日目。そして、敵軍三万は、うち四千ほどは恐らく戦死したと思われる。そして、こちらはヴィルヘルムと共にやってきた援軍を合わせて一万であり、うち二百ほどが戦死した。
被害で言うならば、間違いなくこちらの方が軽い。
だが、同時に、厳しい部分にもなってくるのが物資である。
「糧食は十分にあります。ですが、矢はもう二日も経てば尽きるでしょうね。石は門の前に積み上げているもので全部ですし、特に油はもう残っていません」
「なるほど……」
「ですが、どうにか守らねばなりません。ヴィルヘルム殿ならば、どうなさいますか」
「ふむ……」
防衛戦において、最も必要なのは物資である。
物資が尽きることなくあるならば、間違いなく守り続けることはできるだろう。だが、もう矢は尽きそうであり、油に関してはほとんど残っていない。火矢を放つことすら難しいだろう、と思えるほどだ。
幸いにして、敵軍の攻城兵器はほぼ無力化しているために、恐らく近隣の森から伐採してきたのであろう、即席の破城槌にさえ対応すればいいのだが。
それでも、矢の数が心許ない、というのは困る。
防衛側にとって、最大の攻撃こそが矢の斉射なのだから。
「どの程度、というのはお分かりかな?」
「ええ。恐らく、十日目には事態が動くことになるでしょう」
「なるほど……では、それまでは堅守、ということですな」
「そういうことになります。方策がありますか?」
「さて……儂にできることは、死に物狂いで戦え、と部下に告げることくらいでしょうか」
くくっ、とヘレナは、そんなヴィルヘルムの言葉に笑った。
方策は特にない。そんなこと、既に分かりきっていることだったのだ。少しばかり、意地の悪い質問をしただけに過ぎない。
それに対し、思わぬ諧謔で返してきたヴィルヘルムは、年齢の割には冗談が通じるのかもしれない。
少なくとも、頭の堅い老人ではない、というだけでも助かる。
「まぁ、できることは、矢の節約っすかね」
「南と北には、恐らくほとんど矢を回せなくなりますが、テレジア様は大丈夫ですか?」
「こっちは問題ないっす。敵さんもあんまりやる気ないっすから」
「北門も問題ありません。このメリアナ・ファーレーン。必ずや守ってみせます」
「ふむ……では、正門側の、できる限り精度の高い射撃のできる者を見繕って、その者たちに優先的に矢を回すことができるように調整しましょう。その上で、掛けられた梯子の幾つかを落とさず置いて、壁の上で待ち構える形にしてみましょう。白兵戦を主体とします」
「それでよろしいかと」
ヴィルヘルムが賛同して、ヘレナも頷く。
ヘレナのあまり考えない性格のせいで、物資と守らねばならない期間の調整がきっちり行えていなかったことが、今回における最大の要因だろう。基本的に、ヘレナはいかに素早く敵を落とすか、ということを優先して考えるために、あまり防衛戦が得意でないのだ。
もっとも、そうは言わない。言わぬが花である。
「では、各自。本日も武運を祈ります」
「はい!」
「ええ。テレジアさんにお任せっす」
びしっ、と敬礼をするメリアナと、にやっ、と笑うテレジア。
態度は随分と違うが、それでも二人とも今日に至るまで、北と南の門を防衛し続けてくれているのだ。二人がきっちり防衛をしてくれているおかげで、ヘレナが自由に動ける、とさえ言っていい。
そしてヘレナはヴィルヘルムと並んで、正門――今日も今日とて、二万ほどの兵が今にも攻めようとしている、最大の難所へ。
「これはこれは……」
「リファールは、全軍で来たようですから。まったく、ガングレイヴの隙を突くことにだけは長けている」
「ふむ……しかし、それほど戦況が動いているようには思えませんがな。以前よりアルメダ皇国と三国連合とは諍いがありましたし、その状況が現在までも変わっていないのならば、リファールがそのように動く理由が……」
「む?」
「む?」
疑問に、顎髭をさすりながら目を細めるヴィルヘルム。
だが、そんなヴィルヘルムの呟きに、どこか奇妙な違和感を覚えた。
戦況は間違いなく動いている。
だというのに、何故知らないのか。
「どういうことですか? ヴィルヘルム殿」
「……いえ、言葉通りですが。何か気に障ることでも申し上げましたかな?」
「そもそも、ヴィルヘルム殿は、そのためにここへ来たのですよね」
「帝都より、早馬での指示を受けました。リファールの侵攻にあたり、ファルマス陛下の最も寵愛している側室である、ヘレナ・レイルノート殿が国境の砦にて防衛をするゆえに、そちらにて合流せよ、と」
「……国外の、様子については?」
「いえ、特に何も聞いていませんが」
おかしい。
おかしいのだ。
奇妙な違和感が拭えない。
そもそも、ヴィルヘルムの率いてきたフレアキスタの一軍は、元々三国連合との国境へ送られる予定だった。それも、ガルランド王国からの援軍と合流して、だ。それにより兵力は増強し、三国連合を攻め落とすことができるだろう、という見通しだった。
だが、ガルランドの誇る英雄ゴトフリート・レオンハルトとその配下一万の兵が裏切り、それゆえに銀狼騎士団と黒烏騎士団の守っていた国境が突破された。そしてガルランドと合流する予定だったフレアキスタの軍勢は、それにより行き場を失ったのだ。だからこそ、ヘレナに対しての援軍に当てることができたのだ、とファルマスが言っていた。
だが。
何故、そのような。
自身が兵を率いて合流する予定だった、要所におけるガルランドの裏切りを――何故、知らないのか。
「では……ここに来た理由は」
「リファールからの侵攻に対して、出せる軍が禁軍と傭兵くらいしかいない、と聞いています。ゆえに、我が軍に合流せよ、という指示を出されたものだと思っていたのですが」
「まさか……」
まさか。
まさか。
まさかまさかまさか。
その可能性は、何も考えていなかった。
ただ盲目的に、与えられた情報を受け入れていただけだった。
だが、よく考えれば、何故ガルランドが裏切る必要があるのか。それも、ヘレナの妹リリスが嫁いだはずの国が。
がたがたと、体が震える。
ありえない。
しかし、そう考えれば一番しっくり来るのだ。
本能的に、間違いないと叫んでいる。
「偽報……!」
「は? それは、一体どういう……」
「ヴィルヘルム殿! ガルランドの援軍が、今どうしているかはご存知か!」
「え? いえ、儂の聞いた話によれば、三国連合と対峙しているガングレイヴの騎士団に合流した、と……」
「くっ……!」
ヴィルヘルムが、国境で起こっているその事実を知らない。
それも当然だ。事実などでは、なかったのだから。
それならば、ヴィルヘルムが何も知らないことも、納得がゆく。国内に影響力を与えることはできても、その力が国外にまで向くわけではないのだから。
それこそ、報告、という形を取ることでしか、前線の情報を知ることができない、という難点を利用された形。
「……ヴィルヘルム殿」
「どうなされた、先程から」
「この地の防衛をあなたにお任せする、と言っても問題ないだろうか」
「……理由を、お聞きしても?」
ヘレナは、たどたどしくも説明をする。
今回の発端――それは、ガルランド王国からの援軍が裏切りを行った、という報告から始まったものだ。
そして、それによりティファニーがトールの関で防衛をするために、兵を発した。
それと、ほぼ同じ機でのリファールの侵攻。そして、こちらに向かうことのできる戦力は、ヘレナと残る禁軍だけだった。
仮に、ガルランドの裏切りの報告自体が偽報だとすれば。
それは――ヘレナを、帝都から遠ざけたかった、ということになる。
「我が国には、不和があります。臣下の間において、陛下を亡き者としようとする輩が、いるやもしれません」
「……なるほど」
「もちろん、戻るのは私だけです。残る兵は、全てお預けします。どうか、この地を守ってくださいませんか」
「……」
ヴィルヘルムは渋面を浮かべ、ヘレナを見据える。
明らかに、ヘレナの願いはおかしなことなのだ。これまで面識もなかった他国の将軍に兵の全指揮権を任せるなどと、そのような暴挙はありえない。これが知り合いならばまだしも、ヘレナとヴィルヘルムは初対面なのだ。
だが、それでもヘレナには、押し通さねばならない理由があった。
これが、もしもノルドルンドあたりの姦計で、ヘレナが不在の間にファルマスを襲おうとしているのならば。
それは、全力で止めなければいけないのだから。
「なるほど、お話は分かりました」
「では……」
「ですが、道理が通りませぬ。儂はあくまで、外様の援軍に過ぎません。そんな者が、ガングレイヴの命運を預かる戦いにおいて、指揮権を全て譲渡される、というのは道理に合いませんな」
「……」
ヴィルヘルムの言葉は、正論だ。
本来軍とは、その軍に属する将軍が率いるからこそ士気が上がるのである。それを外様の将軍に任せ、指揮官であるヘレナだけが帝都に戻るとなれば、確実に禁軍の間ではこう思われるだろう。
不利な戦いに、指揮官だけが逃げ帰った、と。
そうなれば、現状でも綱渡りの状態で保っている戦況が、敗勢に傾く可能性すらある。
「ですが……!」
「ならば、簡単なこと。ヘレナ殿は、急ぎ帝都に戻りたいのでしょう」
「ええ……」
ヴィルヘルムが白い髭をさすりながら、笑みを浮かべる。
その所作は、まさに
そんなヴィルヘルムが、その眼下に存在する、数知れない敵兵を睥睨しながら。
「でしたら……今日中に、この戦に勝てばよろしい」
「――っ!」
なるほど、正論である。
だが、同時に暴論である。
一万に満たぬ自軍と、二万五千にも及ぶ敵軍。その戦いを、今日中に終わらせろ、などとは。
だが、同時に。
「なるほど」
「いかがでしょう」
「滾る」
「なればこの老骨、その死地に共に赴きましょうぞ」
守り続けるにも、方策は見えない。
そして何より、急ぎ帝都に戻らねばならない。
ならば、そのために。
ヘレナは、死地に赴くことを決意した。
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