第197話 閑話:『銀狼将』の誤算

 ガングレイヴ帝国、帝都から進軍し二週間ほどの位置にある、トールの関。

 かつてこの地に存在したトール王国の防衛の要であり、ガングレイヴ帝国が大陸に覇を唱えるにあたり、最も苦戦をした、と言われる大国の名残である。

 左右を切り立った崖に囲まれ、その隙間を埋めるように設置されたその関は、攻めるに難く守るに易い。どれほどの大軍で侵攻したとしても、一度に展開できる兵の数は千人ほどが限界、という狭い峡谷なのだ。

 この関を抜けなければ、帝都までは届かない。

 それゆえに、『銀狼将』ティファニー・リードはこの地で防衛をすることに決めた。


 現在のところ情報は入っていないが、恐らくこの機を、リファールが逃すことはないだろう。そして、リファール王国と帝都までの道には、トールの関ほど頑強な要塞は存在しないのだ。

 だからこそ、ティファニーが五千の兵でこの関を防衛することで、対リファールに援軍を送ることもできるようになる。そう目論んでのことだ。

 少なくとも、糧食が続く限りどれほどの大軍であれ、ティファニーにはこの関で守り切る自信がある。

 ならば、その間に周辺諸国との状況さえ落ち着いてくれれば、あとは時間の問題なのだ。


「ふぅ……今のところ、敵の影は見えないな」


「少し、早めに進軍しましたからね。トールの関を抜けられるわけにはいきませんから」


「ああ。斥候は?」


「既に出しています。せめて目視できるといいのですけど」


「敵が遅れてくれるのは、僥倖以外の何物でもないさ」


 銀狼騎士団補佐官のディアンナ・キールと、そう言葉を交わす。

 今回、補佐官として連れてきたのはディアンナだけで、もう一人の補佐官であるメリアナ・ファーレーンは後宮の警備についてもらっている。残した騎士団の面々は十人程度、という悲しい数ではあるが、少々の侵入者を相手にするならば問題ないだろう。手練であっても、メリアナならばどうにかしてくれる、という信頼もそこにある。

 よし、とティファニーは気合を入れて。


「まずは、関の防御状態を確認しろ。補修が必要な箇所があれば、すぐに修繕をするように」


「はっ!」


「あとは、敵軍がどう動くかだ……」


 遠い地平線。

 その先で、土煙を上げて進軍する敵の姿を考えながら、ティファニーは小さく笑った。











「……一体、どういうことだ」


 ティファニー率いる五千の兵が、トールの関に布陣して十日。

 修繕が必要な箇所は粗方確認し、その上で万全の防御体制を作ることができた。加えて、様々な対策も練ることができている。あまりに準備をする期間が長すぎて、兵の士気が随分下がっているほどだ。

 敵軍は二万ほどだと聞いていたし、進軍が遅れることはあるだろう。だが、常に戻ってくる斥候からの返事は、「敵軍は見当たらない」なのだ。この峡谷を抜け、見通しの良い平原まで向かった者の報告でさえ、敵軍を確認していないのだ。

 まさか、トールの関を迂回した――そう考えが過るが、トールの関を迂回しようと思えば、獣道しかない山岳を抜けるくらいしか手がない。二万の兵で山越えをする、と考えれば素直に関を狙ってくる方がましというものだ。少なくとも、山を抜けたからといってそのあとは補給線が続かないし、帝都とここからの挟撃を受ける、という危険性を孕んでいるのだから。

 ティファニーは、考える。

 これほどまでに、敵軍が遅れている、その理由を。


「……何か、敵軍の中で不和でもあったか?」


「どういうことですか、将軍」


「そもそも、ムーラダールとガルランドの連合軍だ。そして、ガルランドの英雄ゴトフリート・レオンハルトが率いる兵ということだから、かなりの強兵が揃っているだろう。そしてムーラダールに名の知れた指揮官はいない。お互いの兵の指揮権でもめている、ということだろうか……」


「はぁ……そうなんですか?」


「分からん。だが、そういう可能性もある。でなければ、これほど遅く……おや」


 関の壁際から、外を見ながらティファニーが眉を上げる。

 馬に乗って、やってきた人影が二つ。合図である青い旗を挙げていることから、こちらの送った斥候が戻ってきたのだろう。

 だが、何故二騎も一緒に戻ってきているのだろうか。斥候は基本的に一騎で行動させるというのに。

 不思議に思いつつも、ティファニーは階段を降り、斥候の戻ってきたであろう、入り口へと向かう。情報は、すぐにでも入手しておかねば、と。

 そして何より、二騎も同時に戻ってきたことに、違和感を覚えながら。


「た、ただいま、戻りました!」


「ご苦労。報告を聞こう」


「はっ!」


 土煙を防ぐためのフード、そして口元の布を外しながら、銀狼騎士団に所属している小柄な騎士――イアンナが馬から降りて、ティファニーにそう頭を下げた。

 そして、イアンナと共に戻ってきたもう一騎――そちらも、同じくフードと、口元の布を外す。

 その姿に、思わず、ティファニーは絶句した。


「なっ――!」


「イアンナから聞いて驚いたんですけど……一体、どういうことなんでしょうか、将軍」


「何故……!?」


「いや、こっちが聞きたいですよ、本気で……」


 青みがかった黒髪を後ろで束ねた、長身の女性。その肌はやや浅黒いが、それは戦場において日の当たる位置に、常にいるからがゆえの日焼けである。鎧に身を包んでいるものの、人より大きな胸部と細い腰が印象的な、まだ三十過ぎの女だ。

 その姿は、当然、見たことがある。

 ティファニーの信頼する、銀狼騎士団の副官――。


「ステイシー……お前、どうして……!」


「いや、だからこっちが聞きたいですって。なんであたしが死んで、リクハルド将軍が行方不明なんですか。リクハルド将軍、今日もいつも通り最前線で妹の名前を叫んでますよ」


「そんな……!」


 副官ステイシー・ボルト。

 その名前は間違いなく、報告の者より戦死、と言われたものだ。

 だというのに、何故生きているのか――。


「あと、ゴトフリート将軍も裏切ってませんよ。むしろ、ゴトフリート将軍が来てから、ムーラダールかなり退いてますから。ですんで、トールの関を防衛する必要はありません。てか、前線戻ってきてくださいよ。本来あなたの軍なんですから」


「ぐっ……!」


 その可能性を、考えていなかった。

 だが、確かに奇妙な話ではあったのだ。三国連合は本来、三国を足してもアルメダ皇国一つに及ばないほどの戦力しかない。その状態で、いくらガルランドの裏切りがあったとはいえ、簡単に銀狼と黒烏が突破されるはずがないのだ。

 少なくとも、黒烏は赤虎、青熊と並ぶ精強な騎士団として有名なのだ。合わせて二万ほどの敵軍で、突破されるなどとは思えない。

 気付くべきだったのに、ただ盲目にそれを信じてしまっていた。

 つまり。

 この、三国連合により国境が突破された、という一連の報告が。


「偽報、だったのか……!」


 何故、このような偽の報告を発したのか。

 それは、帝都からティファニー・リードという将軍、そして禁軍の兵を離れさせるため。

 その帰結として、何があるか。

 当然ながら、リファールとの国境の防衛に、繰り出されるのは残る禁軍とヘレナ・レイルノート。


 結果。

 帝都を守る者は、いない。


 銀狼騎士団の斥候に扮し、偽の報告をする。それにより兵が発され、帝都が空く。

 そうなれば、何が起こるかなど、明白だ。


「くっ……! ディアンナ! 全軍を集めろ! 帝都に急いで戻る!」


 既に兵を発し、二週間。

 加えて、この関で待機して、十日。

 どれほどの期間で戻れるか――そして、間に合ってくれるのか。

 それは、分からないけれど。

 だけれど、間違いなく。


「陛下が、危ない……!」

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