第196話 白老の援軍
砦防衛戦、五日目の朝。
朝日が昇り、ようやく景色の見えるようになってきた早朝に、ヘレナは砦の最も高い外壁から外を見下ろした。
そこにあるのは、この数日で築かれた敵兵の屍たち。
そして、その向こうに広がるのは、昨夜の奇襲にて屍と化した者たちだ。
「いや、壮観ですね」
「計画通りっすね。三千は死んだっすか?」
「三千まではいっていないでしょう、テレジア様。せいぜい二千といったところ、ですかね」
昨夜。
ヘレナはテレジア、メリアナ、マリエル、そして禁軍と傭兵の中でも、腕に自信がある者を連れて、合計で五十人ほどで敵軍の真ん中へと攻め込んだ。
当然ながら、闇の中というのはお互いすら分からない、というのが当然である。それゆえに、テレジアからの提案で、奇襲部隊は全員、右腕の肩のあたりに白い布を巻くことで統一したのだ。ゆえに、こちらは誰が味方で誰が敵なのかをしっかり理解したうえで、うまく同士討ちに運ぶことができた。
途中に、指揮官らしかった男の首を撥ねておいたのも、良かったらしい。
結果、敵軍は混乱に混乱を重ね、散々同士討ちを重ねてから撤退していったのだ。
「だが、少しばかり刺激が強かったようです」
「どういうことっすか?」
「初陣の兵を連れてゆくべきではなかったかもしれません」
「ああ……あの娘さんですか」
昨夜、うまく同士討ちに誘導させてから、ヘレナたちはすぐに砦へと戻った。
その際に、随分とマリエルが青い顔をしていた。それも当然といえば当然なのだが、これまで防衛戦であり、直接人を殺したことはなかったのである。それが、昨夜だけで何人を殺したことか。
現実、槍の技の冴えは素晴らしく、一突きで絶命させていた姿も何度か見た。
戦場にいる間は、どこか興奮していたがゆえに無事だったのだろうけれど、そんな戦場から離れ、砦に戻ったことで一気に負荷が訪れたのだ。
「だが、恐らく指揮官は怒り狂うでしょう。今日の攻撃は凄まじいかと」
「援軍とかはないっすかねぇ」
「リファールは、今回の三万が全軍らしいですよ。比べ、こちらは早ければ今日には、フレアキスタからの援軍が来るでしょう」
「ありがたいっす」
「では、テレジア様は南門をよろしくお願いします」
「ええ」
ぱっ、と手を上げて、テレジアが去ってゆく。
ヘレナよりも遥かに従軍経験が長く、そして将軍をしていた経歴もあるというのに、どうにも軽い。もっとも、そういう人間性だったからこそ、慕われていたのかもしれないが。
ふぅ、と小さくヘレナは息を吐いて。
「……もう少し、休んでいてもいいぞ」
「いえ、大丈夫です」
「せめて、もう少し顔色を整えてから言ってほしいものだがな」
背後にいる、気丈なマリエルへと振り返る。
昨夜から恐らく眠っていないのだろう、目の下にはくっきりと隈があり、全体的に疲れているような雰囲気を出している。
初陣で初めて人を殺せば、このように荒んだ眼差しになるのも仕方あるまい。
ヘレナにも覚えのある感覚に、思わず苦笑する。
「今日は眠れ、マリエル」
「そんな……! あたくしは……!」
「そもそも、予定外の任務をさせた。その補填としての、休みだと思え」
「ですが……!」
「安心しろ、マリエル」
ぽん、とその肩に手を置く。
決して、マリエルをぞんざいに扱っている、というわけではない。戦場とは常に油断をしてはならず、常に気を張っていなければならないのだ。そんな場において、睡眠不足の体で今にも倒れそうな状態で立てば、それこそ敵の良い的になってしまう。
ファルマスからも出来る限り死なせるな、という命令を受けているし、そのように油断を突かれて、マリエルを殺させるわけにもいかない。ならば、今日は休ませることが一番なのだ。
そして、何より。
それはヘレナが戦場における先達だからこそ、できる助言。
「お前が殺した敵兵は、あそこにいる。お前の寝室に現れるはずがない」
「――っ!」
「聞こえるか、怨嗟の声が。だが、それは全てまやかしだ。眠りに落ちたお前を、地獄に引きずり落とすような力を、あんな雑魚どもが持っていると思うか」
「で、すが……!」
「恨みよりも、憎しみよりも、それよりも誉れを誇れ。聞こえるならば、負け犬が遠吠えを上げている、とでも見下せ。敵に敬意など払う必要はない。敵は敵だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「……はい」
「分かったならば、寝るといい」
最後に、そうヘレナは微笑み。
そんなヘレナの笑顔に、ふっ、とマリエルもまた微笑みを浮かべた。
「あたくし、まだまだ、ですわね……」
「最初から一人前の者などいない。私だって、軍に入ったときにはひよっこだったとも」
「お姉様が? それは、なんだか信じられませんわ」
「機会があれば、私の新兵時代の話でもしてやろう。ただし、他の者には言うなよ。恥ずかしいのだからな」
くくっ、と思わず笑いがこみ上げる。
十二年前――十六歳の頃に、初めての戦争を体験した。人を殺したのも、そのときが初めてだった。
そのときの自分を思い出すと、恥ずかしくて死にたくなってくる。できれば言いたくないし思い出したくもないのだが、それがマリエルの自信に繋がるのならば、教えてやってもいいだろう。
「楽しみにしておりますわ。そのときは、是非」
「ああ。そのためにも、まずはこの戦争を終わらせなければな」
「はい」
マリエルがそう言って、ヘレナの後ろを辞する。
どうやら、素直に休んでくれるらしい。やはり、自分でも体が無理をしている、ということは分かっていたのだろう。
あのくらいの助言で、マリエルの自信に繋がってくれたのか、というのは謎だが。
すると。
「ヘレナ様っ!」
「どうした、メリアナ」
「西門に、一軍がやってきました! フレアキスタの旗を上げています!」
「おぉ……!」
ようやくやって来た、待ち望んでいた援軍。
ファルマスに教えられたそのときから、是非一度会ってみたいと思っていたのだ。
聞けば、若き日のグレーディアとも矛を合わせたことがある、というフレアキスタ王国における稀代の武人、『白老』ヴィルヘルム・アイブリンガー。
ヘレナは少しばかり急ぎ足で正門の逆――西門へと向かう。
そこでは、突然やって来た援軍に怯えながらも対応している兵と、丁寧な対応を見せる老齢の騎士がいた。
熊の如き偉丈夫であり、背丈は長身のヘレナよりもさらに頭一つ分は高い。髪も髭も真っ白であり、顔には深い皺が刻まれている。だが、その年齢には見合わぬほどの筋骨隆々――。
老齢の騎士は、ヘレナと目が合い。
そして、同時にヘレナもその雰囲気を感じ取り。
互いに、理解した。
「お初にお目にかかる、ヘレナ・レイルノート殿」
「こちらこそ。ヴィルヘルム・アイブリンガー騎士団長」
「この老骨、ならびに五千の騎士は、貴公の指示に従いましょう。帝国に臣従している身でありながら、次代の皇后陛下をお守りできる、というこの誉れ。全身全霊、戦働きで示させていただきます」
「ありがとうございます。共に、生きて戻りましょう」
「ええ」
ヴィルヘルム・アイブリンガー。
恐らく帝国における武の頂点、八大将軍にも劣らぬ実力を持つ、フレアキスタ最強の武人。
その矛がようやく、ここにやってきた。
つまり。
反撃は、ここからである――。
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