第188話 出陣準備

 宮廷から後宮に戻り、まずヘレナは自分の部屋へと戻った。

 普段は日中、滅多にこのように部屋にこもることなどない。せいぜい食事のときくらいだ。

 だが、今日に限っては違う。明日の朝には出立しなければならないために、準備をしておかねばならないのだ。


「ええと……」


 ひとまず、羊皮紙を目の前に広げて、そこにさらさらと記入してゆく。

 文だ。

 出立する前に、先に対策くらいは練らなければならないのだから。

 あまり上手くない字で、簡潔に内容を書いてから、アレクシアに手渡す。内容を検分されても問題ないはずだ。何せ身内に宛てた文なのだから。


 そして今度は、そのまま部屋を出て隣――マリエルの部屋へと向かう。

 せめて、明日の朝までにできることをしなければ。

 安心しろ、と皇帝であるファルマス、そして重臣を前に告げた以上、敗北があってはならないのだから。

 すぐ隣、ヘレナの部屋と全く同じ、その扉を叩く。

 すると、それに反応してすぐに、マリエルのお付きの侍女、ソフィーナが顔を出した。


「マリエルはいるか」


「は、はいっ! 少々お待ちくださいっ!」


 本来ならば先触れが必要なのかもしれないが、既にマリエルはヘレナの弟子である。先触れが必要な関係というわけでもないため、アレクシアも止めなかった。

 そして出てきた侍女のソフィーナに告げ、すぐに入り口へと戻ってきた。


「ど、どうぞお入りください!」


「ああ」


 ソフィーナの招きと共に部屋へと入る。

 このようにマリエルの部屋を訪れたのは、以前に鍋会を開いたとき以来だろうか。あれから調度品の類は増えていないようだが、やはり高そうなものばかりで囲まれている。

 そんな部屋の中央にいたマリエルが立ち上がり、ヘレナに頭を下げた。


「ようこそいらっしゃいました、お姉様」


「突然来てすまないな」


「いえっ! あたくし、お姉様がいらっしゃるのでしたら、いつでも問題ありませんわ」


「そうか、ありがとう」


「どうぞ、お座りください。ソフィーナ、お茶を淹れて」


「は、はいっ!」


 マリエルと向かい合うソファへと腰掛け、そして見合う。

 これから、ヘレナはひどい我儘をマリエルに要求しなければならないのだ。

 ふーっ、と大きく息を吐いて、気合を入れる。


「マリエル、以前に……私が求めるものならば、何でも手配してくれる、とそう言ったな」


「そうだった……でしょうか? いえ、お姉様が求めるものでしたら、何であれ手配させていただきますわ。何かお求めでしょうか?」


「アン・マロウ商会は、何でも扱っているのだな」


「……何か、ご禁制のものをお求めで?」


「傭兵を求めたい」


 真剣な眼差しで、マリエルを見る。

 そんなヘレナの言葉に、マリエルは少しだけ悩み、そして頭の中で算盤を弾いているのか、ヘレナから目を逸らした。

 傭兵とは、有事の際に金銭を用いて雇う、正規の兵ではない者の総称だ。

 金さえ積めば、どのような戦場にでもやってくる。その代わりに、負け戦となればすぐに逃げ出す、という問題もあるし、敵がもっと金を出す、と言えば簡単に裏切る、という問題も孕んでいるが。

 だが、このような戦時においては、頼れる存在だ。


「……何名ほど、お求めでしょうか」


「できる限り、だ。今、マリエルの手配できる人数、全てを集めたい。明日の朝までだ」


「お姉様……無茶を仰っていることは分かっておりますよね?」


「分かっている。だが、頼れるのはマリエルしかいないのだ」


 こと金銭のことにかけては、アン・マロウ商会の一人娘であるマリエル以上に、相談できる相手はいない。

 簡単に最高級の肉を手配したり、このように高そうな調度品を集めているのだ。動かせる金はかなりのものだろう。

 そして、貴族が兵の供出を拒んだ以上、傭兵を雇うしか手がないのである。

 だが。

 マリエルは、ヘレナのそんな言葉に、震えていた。


「……お姉様」


「どうした」


「もう一度……もう一度、仰っていただけませんか?」


「……今、マリエルの手配できる人数、全てを集めたい。明日の朝までだ」


「その後です」


「……ええと、頼れるのは、マリエルしかいないのだ」


「はぅ……」


 何故か奇妙な声をあげて、マリエルが突っ伏す。

 突然のそんな奇怪な行動に、ヘレナは混乱することしかできない。一体、いきなりどうしたというのだろう。


「お姉様……も、もう一度」


「頼れるのは、マリエルしかいない」


「もう一度!」


「頼れるのは、マリエルだけだ」


「もう一度っ!」


「いい加減にしてくれ……」


 何故そのような言葉を、何度も何度も言わねばならないというのか。

 はぁ、と大きく溜息を吐く。それだけヘレナのことを慕ってくれているということなのだから、喜ぶべきなのかもしれないけれど。

 マリエルは残念そうに唇を尖らせ、それからこほん、と咳払いした。


「一応、手配はしてみますわ。ですが、今帝都におられる傭兵は、それほど多くありません。具体的な数までは分かりませんけど、このような戦時ですし……ほとんどの傭兵は、貴族家に雇われていると思いますわ」


「ふむ……まぁいい。そのあたりも、もし引き抜けるなら頼む」


「かなり、お金はかかりますが」


「手配できたならば、かかった金額を言ってくれ。陛下に軍資金として供出してくれるよう、要請する」


「……」


 ヘレナはそう言うが、実際のところ全くそのような約束はしていない。

 だからこそ、これはあくまでも、死地に赴かせたことに対する褒賞として要求するつもりだ。つまり、勝利せねば金は入らない。

 そして勝利をするまで金が入らないということは、それまで雇うことができないのだ。

 つまり間接的にだが、マリエルに金を借りる、ということである。

 かなり迂遠な言い方をしたけれど、マリエルにはそんなヘレナの目的はちゃんと伝わってくれたらしい。


「いえ、お姉様」


「む?」


「お金は必要ありませんわ。代わりに、一つお願いがあります」


「何だ? 私にできることならば、何でもしよう」


「ええ」


 マリエルは、己の首に掛けた装飾の施された鎖を外す。

 胸元に飾られたそれを掌に乗せ、ヘレナへと示し。

 そして、小さく微笑んだ。


「あたくしは、お姉様より一人前の戦士として認めていただきましたわ。そして、このドッグタグは、その証だと仰っておりました」


「……あ、ああ」


 まさか――。

 そう、嫌な予感が脳裏を過る。

 そして、このように嫌な予感がしたとき、大抵それが外れることはない。


「あたくしが一人前の戦士であるならば、どうかあたくしを共に連れて行ってくださいませ」


「――っ!」


 真剣な眼差しでそう要請してきたマリエル。

 その望みは。


 ヘレナと共に、戦場に行きたいということ――。

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