第189話 出征を共に

 思わぬマリエルの言葉に、ヘレナは何も返すことができず黙る。

 確かに、マリエルを鍛えたのはヘレナだ。一人前の戦士である、とドッグタグを渡したのもヘレナだ。そこに、少なからず自信を持つということは大切である。

 だが、それと、戦場に連れていけ、という言葉は――。


「マリエル……」


「あたくしは本気ですわ、お姉様。どうか、戦場でご一緒させてくださいませ」


「残念だが……」


 話が別だ。

 まだマリエルは、新兵訓練(ブートキャンプ)を終えたばかりなのだ。それを突然、敵との戦力差が膨大な死地へ連れてゆくことなどできない。

 それに、後宮に残らねばならない理由だってあるのだ。


「お前の相棒(バディ)はレティシアだろう。彼女の教育はどうするつもりだ」


「一期生はクラリッサが、相棒(バディ)を持っておりませんわ。事情を話し、クラリッサに預けます」


「教育を投げ出す、ということでいいのだな」


「レティシアは、あたくしとは異なる道を歩み始めましたわ。ならば、むしろあたくし以外のやり方を学び、その上で己を向上させる方が良いと、そう感じております」


「……」


 確かにその通りだ。

 現在の二期生のうち、特性が合っているのは最も殺伐としているシャルロッテとカトレア組だけだ。フランソワがエカテリーナに教えることができるのは弓だけだろうし、その弓も彼女は感覚で射っているのだし。

 レティシアの双剣とマリエルの槍は、全く異なる鍛錬が必要になる、とさえ言っていいだろう。


 溜息を吐き、ヘレナは頬を掻く。

 どうすれば諦めてくれるのだろう。


「……戦場は、お前の考えているほど甘いものではないぞ」


「存じております。ですが、あたくしはお姉様の隣で戦いたいのですわ」


「足手まといだ、と言えば?」


 マリエルは強くなった。間違いなく、そのあたりの一般兵に比べれば強いと言えるだろう。槍の技の冴えは、修練を積めばいつかは達人と呼ばれる存在にすらなれるのではないか、とさえ思える。

 だが、だからといって、それを簡単に受け入れるわけにはいかない。

 そもそも、誰もが死ぬと考えているほどに、戦力差のある戦いなのだ。三万の敵軍に対して、用意できるのは禁軍が三千という僅かなものであり、マリエルがどれほど傭兵を用意できるかにもよるが、戦力差は変わらず大きいと考えていい。

 ヘレナは死ぬつもりなどないが、それはヘレナが戦場においても突出した強さを持っているからだ。

 一般兵よりは強く仕上げた自信はあるが、初陣のマリエルに戦場を生き抜けるとは思えない。


「……そうならないように、頑張りますわ」


「戦場において、人の命は軽い。容易く吹き飛ぶものだ。お前の命を保証してくれる者など、誰もいない」


「あたくしは、お姉様に戦士と認めていただきました。それを誇りとしております。そして、あたくしが生きる意味はお姉様と共にあることですわ。戦場に向かわれるならば、その死地にご一緒することこそ、あたくしの務め」


「お前が戦場で死んだそのとき、アン・マロウ商会へ誰が説明をするのだ。後宮は確かに外出を許されず、そして自由もない。だが、それだけ安全という意味でもあるのだ。お前を信じて後宮へ入れた両親に、どう釈明するつもりだ」


「事前に文を出しますわ。あたくしが戦場へ出ることを伝え、その上であたくしが戦死をしたとしても、それは全てあたくしの責任である、という念書も作らせていただきます。それに、実家からすればあたくしなんて、大した存在ではありませんわ。使用人くらいは涙を流してくれるかもしれませんわね」


 うふふ、とマリエルは自嘲的に笑う。

 実家が裕福だ、ということは知っている。アン・マロウ商会という、他に類を見ないほどの大商会の娘だ。

 だが、その家庭環境は色々と複雑なところも多いのだろう。


「だが……」


「ではお姉様、一つ伺いたいのですが」


「む?」


「お姉様はあたくしたちに施してくださった新兵訓練(ブートキャンプ)において、足手まといを育てられたのですか?」


「……ほう」


 言ってくれる。

 マリエルの言葉に、思わずそうヘレナは笑みを浮かべた。

 ヘレナは間違いなく、戦場で戦働きのできる者を育てた。そのために、クリスティーヌに止めを刺す直前まで、剣を振らせ、人を殺す覚悟も決めさせたのだ。

 ゆえに、あとは必要なのは実戦経験。

 マリエルの言うことは、あながち間違っていない――。


「大層な自信だな、マリエル」


「あたくしは、お姉様に育てられて、強くなったとそう思っております。今度は、広い世界でそれを確かめたいのです」


「……なるほど、な」


 ヘレナは目を閉じる。

 そして、そんなヘレナの所作を見て、同じくマリエルが黙り込んだ。

 鮮明に、戦場の姿を脳裏に描く。これから布陣する砦も、その威容も、ヘレナは知っている。地形も、構造も、大抵は頭の中に入っているのだ。

 そして、そんな砦で相対する、三万の敵兵。

 映像が、ヘレナの脳内だけで流れ、そして目を開く。


「……いいだろう」


「では……!」


「出立は明日の朝だ。準備をきっちりしておけ。そして、これからは模擬戦ではない。確実に、敵を殺すための武器を持て。そして、その武器は自ら手配しろ」


「承知いたしました!」


「また、今回の出征に連れてゆくのはマリエルだけだ。他の者に伝えてもいいが、同行は決して許さない。分かったな」


「はい!」


 歓喜と共に、マリエルがそう頷く。

 マリエルは強くなった。だが、並の敵が相手では死なないだろうけれど、敵が将軍やそれに次ぐ者であれば、話は別だ。ならば、そういった首を全てヘレナが奪ってみせよう。

 だが、決して甘やかしはしない。マリエルは自ら、戦場へ来ることを願ったのだ。

 ならば、その歩武を見守るのもまた、ヘレナの教官としての務め。


「傭兵については頼む。出立は明日の朝だが、出立が遅れる、という程度ならばいい。だが、待てても二、三日だ」


「承知いたしました。そちらで探しておきますわ」


「任せる。ではアレクシア、戻るぞ」


 少々誤算はあったけれど、ひとまず追加で戦力を求めることはできた。帝都にいる傭兵がどれほどかは分からないが、できれば敵との兵力差が三倍――一万までは増やしたい。そのために必要な傭兵は、七千。

 だが、それはあまりにも夢を見過ぎだろう。

 せめて合計で五千。それ以上は求めるまい。


 マリエルの部屋を辞して、それからヘレナは部屋に戻る。

 予想外の、マリエルの参戦。そこに不安がないと言えば嘘になる。


「あ、あの、ヘレナ様……」


「どうした、アレクシア」


「何故……お認めになられたのですか?」


 アレクシアが、そう不思議そうに聞いてくる。

 それも当然か。つい一月半ほど前まで、ただの金持ちの貴族令嬢でしかなかったマリエルを戦場に連れていくなど、狂っているとしか思えないだろう。

 そんなアレクシアに対して、ヘレナは肩をすくめる。


「私は昔から、あまり考えない人間でな」


「ええ。重々承知しております」


「……いや、まぁ、うん」


 ごほん、と咳払いをする。

 これ以上言っていると、なんだか立場が悪くなりそうだ。


「だからな、あまり兵を率いるときにも、考えない。ただ、本能的に弱そうな部分を突くのが、私の戦だ。だからまぁ……私が本能的に察したことは、大抵外れない」


 経験によるものだが、ヘレナは本能的に動く。

 知略の働かないヘレナであるがゆえに、経験則と嗅覚だけで兵を動かすのだ。それで一定の戦果を挙げているのである。

 だからこそ。


「そんな私がな、マリエルと共に戦うことを考えてみた」


「はぁ……」


「何故かは、全く分からんがな」


 くくっ、とヘレナは。

 何故そのようになったのか、なってしまったのか、理解できずに笑う。


「悪くない、と――そう思ったんだ」


 戦場で、背を預けて共に戦うマリエルの姿を思い浮かべて。

 何故か、その姿が。


 いずれ訪れる未来の姿のように、思えたのだ――。

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