第187話 武姫の謁見

 玉座の間。

 ヘレナ自身は、この玉座に来るのは随分と久しぶりのことだ。基本的に軍人は、戦勝の際にこのように謁見をすることはあるし、何かの奏上を行うこともある。

 だが、前帝ディールの崩御より現在まで、ヘレナはほとんどアルメダ皇国との国境で布陣していた。時折皇帝からの呼び出しはあったが、それも基本的には将軍を呼ぶものであったため、副官であったヘレナが訪れる必要はなかったのだ。

 だから、こんな風に。

 玉座に座しているファルマスを見るのは、初めてである。


「よくぞ参った、ヘレナ」


「お呼びとのことで、参りました」


「うむ。忠義、嬉しく思う」


 周囲を、高位に存在する臣下に囲まれての謁見。

 ファルマスの後方にはグレーディアが立ち、右隣には相国アブラハム・ノルドルンド。左隣には宰相アントン・レイルノート。

 そして恐らく、翼を広げるように玉座の間を囲んでいる左右の重臣たちは、それぞれ左右いずれかの派閥に所属しているのだろう。ノルドルンド側の重臣からは、とてもじゃないが好意的な視線を感じない。

 だが同時に、それだけの重臣を集めた謁見。

 その内容は、大抵予想がつくものだ。


「物見の兵より、報告が入った。リファール王国が、我が国に向けて兵を発したらしい」


「はっ」


「そなたは本来、後宮にいるべき存在である。だが、ことは急を要するものだ。現在、帝都には禁軍の兵が五千であり、突出した司令官はおらぬ。そなたの、元赤虎騎士団における副官という地位は、軍人として禁軍を率いるには十分なものである。疾く禁軍の兵を率い、リファールとの国境を防衛せよ」


「承知いたしました」


 何の躊躇いもなく、ヘレナはそう答える。

 ヘレナは、そのために後宮に来たのだ。それ以外の目的などあるわけがない。

 ようやく戦場に出ることができる――それを、歓喜と感じぬヘレナではないのだ。


「アントン」


「はっ」


「報告せよ」


「はっ。物見の兵の報告によれば、リファール王国の発した兵は三万ほどとのことです。禁軍の兵は、帝都の治安維持の面も考えれば、出せるのは三千が限界でございます」


「……と、いうことだ、ヘレナ。敵の十分の一にも満たぬ兵力しか、供出することはできぬ。どうにか、それで防衛をしてほしい」


 無茶苦茶なことを言っている。

 それは、ヘレナにしても十分すぎるほど理解できる無茶だ。

 そもそも防衛戦であれ、十倍の戦力差というのはそう簡単に覆すことはできない。城攻めには三倍の兵力が必要だ、と言われるが、逆に言えば城の防衛には三分の一の兵が必要となるのだから。

 だが、やらねばならない。

 今、この帝都を守ることができるのは、ヘレナだけなのだから。


「無事にリファール王国の兵を追いやることができたならば、褒賞ははずもう。必要な糧食や武装については、早急に手配をする。明日の朝より出立せよ」


「承知いたしました、陛下」


「……任せた」


 普段のファルマスならば、最初にすまぬ、とでも言ったであろう言葉。

 苦々しく顔を歪めているファルマスも、このような命令などしたくはなかったのだろう。

 リファールが遠からず攻めてくるだろう、とは思っていたが、タイミングとしては最悪だ。北の国境も防衛せねばならないし、そちらに援軍も送らなければならない。そして膠着状態にある他の国との国境の兵を動かせば、そちらにも攻める機会を与えてしまうのだ。

そして。

 出せる戦力が禁軍だけだ、ということが、何よりもファルマスの苦悩を深めているのだ。


 ガングレイヴ帝国は八大将軍と八騎士団を抱え、皇帝の動かすことのできる軍事的な戦力は非常に大きい。

 だが、その戦力は足りないときには、貴族の抱える私兵を出すように命じることができるのだ。貴族も己の領地を防衛するために、少なからず兵を持っているのだから。

 だというのに、ファルマスに供出できる戦力は、禁軍三千のみ。

 つまり、貴族が兵を出すことを断った、ということだ。

 このような状況にあっても、国を憂う以上に自身の領地を憂うがゆえに。


「帝都の命運は、そなたの働きにかかっておる。かつて赤虎騎士団を率いたその働きを、禁軍を率いて見せてみよ」


「はっ」


 ノルドルンドが袖で口元を隠しながらも、僅かに笑っているのが分かる。

 どこまでが彼の策略であるのか、ということは分からない。だが、間違いなくヘレナが死ぬだろう、とそう考えているのだ。

 アントンの政敵である彼にとって、ヘレナの存在自体が面白くないものなのだから。


 ここに集う重臣にしてみれば、ヘレナを死地に赴かせるようにしか見えないはずだ。

 現実、十倍の兵を相手に、援軍の当てもなく守り続けろ、という命令は、死ねという言葉に等しい。

 アントンも、苦虫を噛み潰したように表情を歪めているのが分かる。


 だが。

 そんな連中に対しても。

 そんな死地に対しても。

 恐れを知らぬ武姫は、嗤う。


「ご安心ください、陛下」


「うむ……」


「この身を賭して、必ずやリファールを止めてみせましょう。ガングレイヴ帝国にヘレナ・レイルノートあり、ということを他国の心に刻んでみせましょう。陛下はただ、命じてくださいませ。敵軍を殲滅せよ、と」


「分かった……ヘレナ・レイルノートよ!」


 ファルマスが玉座から立ち上がり。

 その手を翳し、強く命じる。


「我が国に仇なす敵軍を、殲滅せよ!」


「仰せのままに」


 その身は、生粋の軍人。

 最強の将軍レイラ・カーリーの血を引く、戦場の英雄。

『殺戮姫』と称されし武姫なのだから――。

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