第170話 中庭の日常風景

 クラリッサと共に朝餉を食べ、それから午前のうちは、共に『百合の間』で鍛錬を行った。

 基本的なクラリッサの動きなどを確認し、それからどの程度できるのか、という点を把握する。

 以前に比べると全体的に向上しており、これならば大丈夫だろう、という信頼と共に、ヘレナは毎日行うクラリッサ用のメニューを作成した。

 今回、クラリッサが伸ばすべきは全体的な筋力の向上である。つまり、太く逞しい筋肉にしなければならないのだ。そのため、走り込みを最低限にして、ウェイトトレーニングを重点的に行う形にした。

 特にバーベルを用いて屈伸をする形で、下半身を主に鍛えさせる。これで、全身鎧(フルプレート)でも問題なく動くことができるだろう。

 羊皮紙に書いて、クラリッサに手渡す。


「基本的にはこのメニューの通りに行え。だが、無理はするな。回数が厳しそうならば、少なくしても構わない。だが、全部をこなせ。そして、鍛錬と鍛錬の間には休むように」


「はいっ、ヘレナ様!」


「よろしい。あと、慣れてきたら回数を増やしても構わない。だが、あまり一気に増やしすぎるな。いいな」


「分かりましたっ!」


「うむ、では励め」


 そしてクラリッサを残し、アレクシアと共に『百合の間』から外に出る。

 あとは午後から、新兵訓練(ブートキャンプ)の監視を行えばいいだろう。その傍らでヘレナも同じく鍛錬を行い、相談事などがあれば承る、という形であまり口を出さないようにしよう。

 これでクラリッサに関しては問題ない。あとは毎日の鍛錬と共に、鍛え上がってゆく彼女らを見守るだけだ。

 そしてヘレナは、ひとまず自分の部屋へと戻る。

 既に寝台は動かしており、ヘレナのものとファルマスのものしか残っていない。


 あ、とふと思い出す。

 そういえば、昨日の朝にやって来たファルマスは、確か「今宵来る」と言っていたはずだ。クリスティーヌ関連の衝撃で忘れていたが、言っていた気がする。

 だが、昨夜ファルマスは来なかった。何か理由でもあったのだろうか。

 今夜もし来るようであれば、理由でも聞いてみよう。そう思いつつ、ヘレナは昼餉を食べることにした。


 それから、今度は中庭に出て、午後から全員の行う鍛錬を見ることとする。

 マリエル、シャルロッテ、フランソワ、アンジェリカの四人は、あくまでまだ新兵訓練(ブートキャンプ)を終えたばかりだ。自身が教える、となれば調子に乗り、際限なく運動をさせるかもしれない。

 そうなれば体の負担が大きく、新兵は育つ前に壊れてしまう。だからこそ、限度を超えるようであればヘレナが注意をしなければならないのだ。

 中庭の端で大剣を振りながら、全員の行う鍛錬を見る。

 昨日の夜、そして今朝にかけて言葉責めを繰り返し、ひたすらに心を折り続けた結果、全員素直に鍛錬を行っているようだ。まぁ、そのために少し強めの言葉責めをしたのだけれど。


「さぁ、エカテリーナさん! あの的に向けて撃ってください!」


「はいー」


 ひゅんっ、と端で弓を射るエカテリーナと、それを教えるフランソワ。

 既に何度かやったのか、ひとまず形にはなっているようだ。とはいえ、フランソワほどの才能が見られるとは思えないが。

 まぁそもそも、棒術、拳術、馬術、弓術、投擲術、という五種類もの異なる才能がいた前回の新兵訓練(ブートキャンプ)こそが異常なのだ。大抵、五人いて一人まずまずの才能がいればいいくらいである。

 そう考えれば、エカテリーナはましな方だろう。


「さぁ、もっと強く突き出して! 敵の喉笛を突くようにですわ!」


「はいっ!」


 そして、並んで棒を突き出しているのはレティシアとマリエル。

 こちらもマリエルの教えがいいのか、レティシアの姿勢はなかなか悪くない。才能の塊とさえ言えるマリエルに比べれば劣るが、まずまずの才は持っているようだ。

 何より、レティシアからはやる気が溢れているのが分かる。

 そもそも仲の良いマリエルから教わる、というのがやりやすいのだろう。そして、自分もマリエルに追いつきたい、という心意気が見て分かる。ああいうタイプはよく伸びるのだ。


「もう終わりですの? さっさと立ちますの。まだ何も終わっておりませんの」


「う、う……!」


 こちらは逆に、実戦訓練ではなく基礎体力訓練を行っているシャルロッテとカトレアだ。

 現在は腕立て伏せを軽く三百は行うことのできるシャルロッテと、並んで行っていたカトレアは既にへばっている。それも当然で、まだ鍛錬を始めて二日目のカトレアに、百を超える腕立て伏せは厳しいだろう。

 だがシャルロッテはただ実直に腕立て伏せを行わせる。そしてへばったら、今度は異なる部位の訓練を行うのだ。まずは筋肉をつけることこそ一番、と考えているのだろう。単にカトレアを虐めたいから、というわけではなく。

 さすがに、少し注意をするべきか。


「シャルロッテ」


「はい、ヘレナ様」


「あまり回数を多く行うな。最初は、できる限りでいい。途中途中に、それほど負荷の厳しくない訓練を挟め」


「承知いたしましたの」


 素直にそう頷き、シャルロッテがカトレアの首を掴んで立たせる。

 ぜひー、ぜひー、と息も絶え絶えのカトレアの姿は哀れに見えるが、まぁ自業自得だと考えよう。

 シャルロッテにしてみれば、派閥を変える、などと言ったカトレアは裏切り者のようなものだし。

 そしてシャルロッテと共に正拳突きを始めるのを見守り、頷く。

 ヘレナが鍛錬の途中に、それほど負荷の大きくない正拳突きを行わせていたのは、そういう理由なのだ。体を動かし続けていると、いずれ限界が来る。だからこそ、簡単かつそこそこ楽な動きを挟むのが良いのだ。

 走り込みを行わせ、途中に限界が来れば休ませるのではなく、遅くとも歩かせるのと同じ理論である。


「さぁ! びしびしいくわよっ! うりゃうりゃうりゃーーーーーっ!」


「ひぃぃぃぃ!!」


 そして、謎の訓練を行っているのはアンジェリカとクリスティーヌ組である。

 素手のクリスティーヌに向けて、アンジェリカが延々と投擲を行うのだ。勿論、傷つけるわけにはいかないので同じ銀食器(シルバー)でもスプーンだけだが。

 クリスティーヌがアンジェリカの投げるスプーンを避ける、という訓練なのだろう。

 だが残念なことに、ほぼ全て当たっている。

 どう考えてもただの虐めにしか見えない。というか、多分虐めである。

 これはクリスティーヌの反応が悪いと言うより、アンジェリカの投擲の腕が良すぎるのだ。ヘレナならばともかく、昨日まで戦いの一つもしたことのない令嬢が、どうすれば一度に八本同時に飛んでくるスプーンを全て避けきれるというのか。


「まぁ、いいか……」


 いずれ止める必要があるかもしれないが、午後からずっとやっているわけだし、そのうち成果が現れるのかもしれない。

 何より延々と動く的(クリスティーヌ)に向けて投げているわけだし、アンジェリカの投擲の腕は上がってくれるだろう。両方を高めることができる訓練こそが何より望ましいのだから、もしかするとそれに最も近いのかもしれない。

 とりあえず、今は静観しておくことにしよう、ということで落ち着いた。


「さぁエカテリーナさん! 次は格闘術です! わたしはあまり得意ではありませんけどやりましょう!」


「はいー。ご教授お願いしますー」


「さぁレティシア、かかってきなさい。あたくしと手合わせですわ!」


「はいっ! マリエル様、ご覚悟を!」


「腕が下がっていますの! きっちり腕を上げますの! ままごとではありませんのっ!」


「ひっ! は、はいっ!」


「うりゃうりゃうりゃうりゃうりゃーーーーーーっ!」


「いやぁぁぁぁぁぁ!!」


 色々混沌と化している中庭を見ながら、ヘレナは頷く。

 皆、立派になったものだ、と。

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