第169話 各自の鍛練
「ではそうだな……全員、寝台を相棒(バディ)の部屋に移動しろ。寝泊まりは基本的にその部屋で行え。鍛錬の内容は各自に任せるが、日中は中庭に来るように」
「はいっ!」
「そして、ここからが今回のお楽しみだ」
くくっ、とヘレナは猛禽を思わせる獰猛な笑みを浮かべる。
今回、相棒(バディ)制を採用した最大の理由として、新兵から一人前の戦士となった彼女らにも、部下を鍛える機会を与えてやりたい、と考えたのが一番の理由だ。
そして、そのために最も必要なのは、各自で争わせることなのである。
競争させることで、より各自のやる気を高めることができるのだ。
「一月後、お前たちが鍛えた新兵たちで、一対一の戦闘を行わせる。お前たち自身ではない。お前たちの育てた者が戦うのだ。そして、最も弱い兵を育てた者には、罰を与える」
「えぇっ!」
「弱卒を育てるような教官など必要ない。慈悲の心を失くせ。お前たちが甘やかせば甘やかせるほど、新兵が戦場で死ぬのだ。どのような罰になるかは……まぁ、期待していろ」
ヘレナの笑みに、震え上がる八人。
自分が強くならなければ、鍛える相棒(バディ)が罰を受ける、という状況だ。相棒(バディ)との関係が良好であればあるほど、その効果は高い。
静かにやる気を浮かべているのはエカテリーナにレティシアか。彼女らの相棒(バディ)はフランソワにマリエルであるため、自分が強くならなければ相棒(バディ)である二人に迷惑をかけてしまう、と考えているのだろう。
そして、クリスティーヌとカトレアは不本意な表情だ。クリスティーヌとアンジェリカの関係はまだしも、カトレアとシャルロッテの関係は最悪のようだし。
どうして関係が悪いのだろうか。以前カトレアは『月天姫』派の二番手だと聞いたのに。
派閥を変えようとしていたからだろうか。
「勿論、相棒(バディ)だけではない。負けた新兵も同じく罰を与える。分かったか!」
「はいっ!」
「では各自、鍛え上げろ! 戦場で一人前の働きができる戦士としろ!」
「はいっ!」
「よろしい。では私は所用がある。日中の鍛錬は見てやるが、基本的にはお前たちの自由に任せる。アンジェリカは本日の午後、ルクレツィア様に聞いてくるように」
「分かったわ!」
そしてヘレナは背を向ける。
これで問題ない。以前の新兵訓練(ブートキャンプ)の際に、ファルマスから「もう後宮に来るなと言わないでくれ」と言われたのだ。忘れていたわけではないが、ヘレナの部屋で全員を寝泊まりさせるとなると、再びファルマスには出禁を申し上げなければならない。
さすがにそれは申し訳ないと思ってしまうし、ヘレナとて会いたくないわけではないのだ。
だからこそ、今回は新兵訓練(ブートキャンプ)一期生に新兵を任せる形にしてみた。
こうすればヘレナは自由に動けるし、自分の鍛錬が疎かになることもない。それに加えて、クラリッサも見てやることができる。
フランソワたちにとっても、良い経験になってくれるだろう。
さて。
まずは、クラリッサを見てやることとするか。
「イザベル!」
「は、はいっ、アンジェリカ殿下!」
「あたしの部屋を早急に用意しなさい!」
「ええと……現在、空いている部屋は『極天姫』様の部屋だけなのですが……」
「ああ、あそこね。じゃあ、扉をさっさとつけなさいよ」
「……男の、死んだ部屋ですが」
「それがどうしたのよ。片付けているんでしょう?」
「……はい、承知いたしました」
アンジェリカもいい感じに図太くなってきているようだ。
普通の令嬢ならば、人死にがあった部屋でなど寝泊まりしたくないに決まっている。ヘレナは一切気にしないけれど。多分、死体が隣で寝ていてもヘレナならば熟睡できる。
もっとも、これが皇族の娘として正しい成長の仕方なのかは分からないが。
「アレクシア」
「はい、ヘレナ様」
「まずは『百合の間』に向かう」
「承知いたしました」
これから、各自が寝台を動かすだろう。そんな中で、ヘレナが部屋にいる、というのはやりづらいかもしれない。
既にクラリッサが来ているのかどうかは分からないが、来ていなければヘレナが一人で鍛錬をすればいい。
あとは、毎日行うべきクラリッサのメニューも考えておかねばならないだろうか。
そう考えながら、『百合の間』へ入る。
その中央で、全身鎧(フルプレート)が転がっていた。
「……」
特に驚きはしない。
クラリッサがいるかどうか、というのは分からなかったが、いるかもしれない、くらいには考えていたからだ。
そしてこの全身鎧(フルプレート)は、どう考えてもクラリッサその人である。
「おはよう、クラリッサ」
「お、お、おはよう、ございます……!」
そして、転がっているかと思いきや、その両掌を床につけ、腕立て伏せを行っているようだった。
表情は見えないが、恐らく必死なのであろう、というのはその雰囲気から十分に理解できる。
ぎしっ、ぎしっ、と鎧の擦れる音と共にクラリッサが体を上げ、そして、そのまま倒れた。
「ぜぇ……ぜぇ……!」
「何回できた」
「まだ、六十五回が、限界、です……!」
「それだけできれば十分だ。すぐに回数を増やそうと思うな。一朝一夕で身につくようなものではない」
クラリッサが全身鎧(フルプレート)と共に立ち上がる。
以前に比べて立ち上がる仕草は自然であり、それなりに力がついてきたのだろう、というのがよく分かった。
これは、思った以上に化けるかもしれない。
「昨日はすまなかったな、所用があり、来ることができなかった」
「いっ、いえっ! わ、私も、一人でやっていましたし……」
「クラリッサに必要なのは、基礎的な体力作りだ。全身鎧(フルプレート)を装着したまま、通常の動きができるようになるまで下半身を鍛える必要がある。まぁ……その前に、クラリッサはもう朝餉は食べたか?」
「いえ、まだです!」
「ならば先に食べるといい。ボナンザ、クラリッサの分の朝餉を用意してくれ。アレクシアは私に茶を淹れろ」
「承知いたしました」
「はい、ヘレナ様」
端にいたボナンザがそう頭を下げ、朝餉を取りに向かう。
それと共に、アレクシアもまたティーポットに茶を淹れ始めた。
そしてヘレナは椅子に座り、小さなテーブル越しに同じく座ったクラリッサと向かい合う。
もっとも、その表情は相変わらず分からないが。
「大分慣れたか?」
「まぁ……はい。慣れたといえば、慣れました」
「このように早くから鍛錬をしていることに、正直に言えば驚いている。やる気があるのはいいことだが、あまり無理はするな。体を壊してはいけない」
「は、はい……」
すると、何故だろう。
どことなく、クラリッサが言いにくい、とばかりに顔を逸らした。
何か悩み事でもあるのだろうか。まぁ、全身鎧(フルプレート)を装着しているからこその、毎日の暮らしの不便は当然あるだろうけれど。
「あの、ヘレナ様……」
「どうした」
「その……リクハルド様と、一緒に眠っているのですが」
「………………ああ、そうだな」
一瞬よく分からなかったが、そういえば鎧の名前をそう名付けているのだった。
ややこしい。特にそれは、ヘレナの実の兄の名前でもあるし。
もじもじ、とクラリッサが身をよじる。
何故だろう。普通に可愛らしい乙女の仕草なのだが、全身鎧(フルプレート)でやられると殊の外気持ち悪い。
「なかなか、眠れないんです……」
「まぁ、鎧を着て眠るのは、慣れだな。最初は難しい」
戦場では、いつだって敵に備えていなければならなかった。それゆえに、時間が少しでもあれば眠らなければならなかったのだ。
鎧を脱ぐ時間も惜しんで眠ったことも、何度もある。立ったまま眠ることができる者も、軍では少なくないのだ。
だが、クラリッサは首を振る。
「いえ、違うんです、ヘレナ様」
「……違う? どういうことだ」
「その……」
む、と眉根を寄せる。
すると、クラリッサはもじもじ、と相変わらず可愛らしく身を捻って、それから頬に手をやった。
「リクハルド様に包まれている、と思うと、眠れなくて……」
「……」
真剣に。
クラリッサには、後宮が解体してから兄を紹介しよう、と心に誓った。
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