第122話 ヘレナズブートキャンプ 6

 午前をひたすら、走らせる。

 体力を向上させる基本は、走ることだ。走ること以上に、己の体力を磨く術などない。

 地道な積み重ねこそ、己の力を向上させるのである。


 そう。

 このように、午前だけで屍のように倒れているとしても。


「では、昼食とする! 私の部屋へ向かい、整列!」


「うぅぅ……」


 きっと、足が棒のようになっているのだろう。立ち上がることすら厳しい、といった様子で五人がそれぞれ動き始める。

 思ったよりも全員、根性があるようだ。

 今まではただ流されるだけだったクラリッサに、明確な目的ができた、というのも大きいだろう。アンジェリカは、ただただヘレナへの敵愾心だけで体を動かしている気がする。


 だが、やはりシャルロッテは謎だ。

 このように訓練について来ている、その根幹にどのような感情があるのか、全く分からない。

 そもそもフランソワ、クラリッサ、マリエルは、事前に確認した上で参加をしたのだ。そしてアンジェリカはルクレツィアにより鍛えて欲しい、という要望があったからこそ参加している。

 だが、シャルロッテの参加はヘレナが勝手に決めたことだ。本人の参加する意思など、どこにもない。


「……まぁ、いいか」


 シャルロッテに対して、気にしていても仕方ないだろう。

 今はただ、何か根性らしいものがあるから頑張っているのだ、と思えばいい。


 部屋に戻り、昼食。

 やはり食欲はあまりないようだったが、それでも残してはいけない、と全員がきっちり完食する。

 そして午後は、再び中庭へ。


 中庭にて、全員がきっちりと整列をするまで待ち、ヘレナは前に立った。


「では、午後からの訓練を始める!」


「はいっ!」


 そして人間、一日中動き続ける、というのは基本的に無理なのだ。

 適度な休憩も必要だし、体力が完成されていないうちは、長時間に渡る訓練は体を壊す一因となる。

 夕食近くになるまでは、それほど体を動かさない訓練だ。


 つまり。

 技術的な訓練である。


「点呼ぉっ!」


「いぃちっ!」


「にぃっ!」


「さぁんっ!」


「しぃっ!」


「ごぉっ!」


「よしっ!」


 ふらついてこそいるが、きっちり整列して点呼を行う。

 やらなければならない、ということはしっかり学んだのだろう。そのための新兵訓練だ、とも言えるが。

 そんな五人の前を、ヘレナが歩く。


「お前たち五人は、この訓練においては最も信頼しなければならない戦友だ。五人全員で協力をしなければならない、ということは勿論、現在は分かっていると思う」


 ぎろり、と睨みつけながら、ハリセンを手で叩く。

 五人全員、微動だにしない。

 ヘレナの許可なく言葉を発してはならない、と理解しているからだ。


「つまり、お前たちは仲良くしなければならない。僅かな諍いすらもあってはならない。一人の失敗は全員でフォローし、協力してこの訓練を乗り越えてゆかねばならない。分かったか!」


「はいっ!」


「そして最も連携が生まれるのは、五人全員で難関に挑む場合だ。難しいことも、五人で協力すれば乗り越えることができるかもしれない。だが、個人の力に頼っていては、それも難しい。それをきっちり理解して、これからの訓練に臨め」


「はいっ!」


「では、アレクシア!」


 中庭の入り口あたりに待機していた、アレクシアへとそう声をかける。

 昨日の夜に、用意して欲しいと頼んだのだ。どのように調達してくれたのかは分からないが、人数分はあるらしい。

 重そうにそれを抱え、そして中庭へと置く。


「頼まれていた品、ご用意いたしました」


「ありがとう」


「では、失礼いたします」


 アレクシアが下がり、姿を消す。

 ここからは見えないが、声の届く位置には常にいるのだろう。そして話すら聞こえないということは、無言でずっと控えてくれているのだ。

 全く、気遣いが心に沁みる。


「では全員、一つずつ取れ」


「は、はい……これは……?」


「見て分かるだろう。これが分からない、と言うほど常識がないならば、体で威力を教えてやろうか」


「わ、分かります! 分かります!」


 アレクシアに頼み、手配してもらったもの。

 それは、弓矢と巻藁の的である。

 勿論、後宮に武器は持ち込み禁止であり、矢の先には何もついていない。とはいえ、的に使うのは巻藁であるため、先が丸くとも刺さるだろう。


「貴様らは戦いの基本すら知らない。そのような身で、剣を持って戦場へ出てみろ。すぐさま斬られて死ぬだろう。では、力も足りず体力もない、蛆虫にすら劣る貴様らが敵を倒すためには、どうすればいい」


「う、蛆虫……!?」


「どうしたアンジェリカ。では貴様が、蛆虫に勝る要素が何かあるのか?」


「馬鹿に……!」


「ほう。どうやらアンジェリカは私の武器がより痛いものに変わることを望むようだが、貴様らも同じ意見か。シャルロッテ」


「……っ! 謝りますの、アンジェリカ!」


「ぐっ……!」


 アンジェリカが、明らかに納得いかない、という顔でヘレナを見る。

 敵愾心だけで保っているのだろうけれど、蛆虫以下の扱いをされては、さすがに黙っていられないようだ。

 だが、そのように反抗するだけ、無意味であるということを教えなければ。


「大体、もう我慢ならないわ! なんでわたくしが! お前になんて従わなければ……!」


「よろしい。お前は私に従わないと言うのだな」


「もう、お前になんか従わない! この年増め!」


「さて……では、フランソワ、前に出ろ」


「えっ……!」


「は……?」


 従わない、と叫んだアンジェリカに何も言わず、フランソワを一歩前に出す。

 フランソワもどうやら混乱しているようだが、しかし何も言わずに従い、一歩前に出た。


「私は言ったな。この訓練においては、五人が全員協力をしなければならない。そこに僅かな諍いもあってはならず、五人で乗り越えていかなければならない、と」


「は、はいっ!」


「では、アンジェリカが教官である私にそのように反抗した責は、全員のものだ。フランソワ、アンジェリカの暴言に対しての罰として、腕立て伏せ五十回を命じる」


「そ、そんなっ!?」


「アンジェリカ、お前に発言は許していない。さぁフランソワ、やれ」


「は、は、はいっ!」


 フランソワは混乱しているようだったが、しかし言葉と共に腕立て伏せを始める。

 最初は全く腕立て伏せなどできなかったフランソワだったが、現在はそれなりに体力もついてきた。五十回くらいならばできるだろう。

 妹分のように慕ってくれるフランソワに、このように自分の責ではない罰を与える、というのも心が痛むが、しかし仕方がない。

 ヘレナは、甘えを極力削らなければならないのだから。


「いちっ! にぃっ! さんっ!」


「もっと素早くやれ! ちんたらやって待たせるな!」


「は、はいっ!」


「どうしてわたくしの代わりにやらせるの!? 意味が分からないわっ!」


「黙れと言ったが」


「でもっ!」


「命令違反だ。クラリッサ、一歩前に出ろ。腕立て伏せ五十回を命じる」


「は、はいっ!」


「どうしてよぉっ!?」


 アンジェリカが叫ぶのを横目に、クラリッサが腕立て伏せを始める。

 だが、ヘレナは言ったのだ。五人全員、協力しなければならない、と。つまり連帯責任は必ず生じるのである。

 そして、自分のせいで人が被害を受ける――それは、まともな神経をしていれば、耐えられないものだ。

 そのような耐え難いことをさせている自身に、やりきれない想いはある。だが、胸を締め付けられるようなこの想いに耐えなければならないのが、教官の役目なのだ。


「や、やめて、やめてよ! 罰を与えるならわたくしでしょ!」


「黙れと何度言わせるつもりだ。シャルロッテ、マリエル、一歩前に出ろ。腕立て伏せ五十回を命じる」


「……分かりましたの」


「承知いたしました」


「や、嫌ぁっ!」


 反抗することなく腕立て伏せを始めたシャルロッテの姿に、アンジェリカが膝をつく。

 これ以上は耐えられない、とばかりに顔を覆いながら。


「立て、アンジェリカ」


「も、もう、嫌ぁ……!」


「私は命じた。立て」


「立つわよっ!」


 うぅっ、と苦悶の表情を浮かべながら、アンジェリカが立ち上がる。

 その瞳に浮かんでいるのは、明らかな憎悪。

 まだ昨日組んだばかりの五人。それまで、アンジェリカとは全く面識のなかった者たち。そのように関係の薄い存在だとしても、自分のせいで被害が与えられる、というのは耐え難いのだ。

 アンジェリカ一人が立ち、周りの全員が腕立て伏せをしている、という状態。

 そこで、アンジェリカが顔を真っ赤にしながら。


「は、発言を……よろしい、でしょうかっ!」


「いいだろう」


「わたくしにも、腕立て伏せを……させて、ください……っ!」


「勝手にするがいい」


 アンジェリカがそのまま、四人と並んで腕立て伏せを始める。

 敵愾心こそ持ち続けているようだが、これで分かっただろう。反抗は無意味だ、と。


 腕立て伏せを続ける五人の前で、ヘレナは痛む胸を押さえながら、しかし無表情を保ち続けた。

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