第123話 閑話:新兵たちの夜
「痛ぁっ!」
びくんっ、と突然右足に走る痛みに、そうシャルロッテは叫んで飛び上がった。
真っ暗な部屋の、寝台の上。一瞬、自分の置かれた状況が分からずに混乱する。しかし、ようやく痛む足と暗がりの中でも分かる、並んだ寝台に自身の状況を思い出した。
昨夜、訓練を終えて眠りにつくまでの記憶。
午後から弓矢の扱い方を教わり、しかし疲労のためか朦朧とした感覚のままでひたすらに矢を射った。その後夕餉、湯浴みと経て眠りについたのだ。
自由にならない爪先が、必死に張っているような感覚。シャルロッテは話にしか聞いたことがなかったが、どうやらこの現象が、『足がつる』という状況らしい。これほど痛いとは思わなかった、というのが本音だ。
暫し耐えて、ようやく自由になってくれた足をさする。
「痛たた……まったく、何ですの……」
午前中にひたすら走らされたせいで、疲れが溜まっているのだろう。それが、意図せぬ反応を起こしてしまったようだ。
まだ空も白じんでいない、夜中である。こんな時間に目が覚めてしまっては、明日に差し支えるだろう。
痛みもおさまったところで、もう一度横になる。
少しでも寝ておかねば、明日の訓練中に眠くなってしまうかもしれない。
「……」
だが、そこまで考えて、ふと思う。
昨日、今日と二日間に渡り行われ、そして一月行われる予定の訓練。
それにフランソワ、クラリッサ、マリエル、アンジェリカと共に、シャルロッテも参加している。特に参加したい、などと希望を言ったわけでもなく、気付けば決められていた。
どうしてそんな訓練に、真面目に参加せねばならないというのか。
以前までのシャルロッテならば激昂し、そして反発し、真面目に取り組むことなどしなかっただろう。アンジェリカのように。
それも、全て。
現在のシャルロッテの状況が、原因なのだ。
「はぁ……」
つい、溜息を吐いてしまう。
やらなければならない、と感じてはいても、気乗りがしないのは当然だ。
明日も、どうせ倒れるまで動かなければならないのだから。
「起きているのかしら、『月天姫』」
ふと、そんな声が隣から聞こえた。
その声の主は、当然ながらシャルロッテの隣で眠っていたはずの、マリエルである。
本来、いがみ合い憎み合っていたはずの仲だ。シャルロッテにしてみれば、成り上がりの下級貴族が、という考えで。マリエルにしてみれば、名ばかりの貧乏貴族が、という考えで。
だというのに、こんな風に一緒に訓練を受けている、というのも不思議なものだ。
「……何ですの、『星天姫』」
「別に。いきなり足がつって痛ぁっ、って飛び上がって足をさすっている姿を発見してしまっただけ」
「……」
見られたくない相手に見られてしまったらしい。何と返していいか分からず、黙り込む。
しかし、そんなマリエルの言葉に、やや喜色が混じっているのが分かった。
「あたくしも同じよ。いきなり右足がつって起きてしまったわ」
「……別に、関係ありませんの」
「あれだけ走ったのなんて、生まれて初めてだもの」
「……ですの」
はぁぁ、と大きく溜息が重なる。
ヘレナの訓練は、厳しい。あまりに厳しすぎる。生まれてこの方やったことがない運動量を要求されるのだ。
もう、嫌になってしまう、というのが本音である。
だけれど、逃げ出すわけにはいかない。
この場所にいなければ、ならないのだから。
「ねぇ、『月天姫』」
「何ですの、『星天姫』」
「あなた、どうしてこの訓練に参加してるの?」
「……」
いきなり、答えにくい質問をしてくれるものだ。
暗がりの中であるため、その表情は分からない。だけれど、その声音は真剣だった。
確かに、不思議に思うだろう。最もヘレナと対立していたのは、シャルロッテである。
それが、まるで掌を返すかのように、こうやって従っているのだ。
マリエルがそう問うてくるのも、当然といえば当然である。
「……別に、関係ありませんの。あなたこそ何故参加していますの?」
「あたくしは、お姉様の訓練は全て己の試練である、と受け止めているわ。お姉様の訓練を乗り越えることで、お姉様に近付けるのだから、それ以外に目的などないわよ」
「……お姉様、っていうのが意味分かりませんの」
「あなたもお姉様の魅力が分かれば、いずれ呼び出すことよ」
「ふん……」
マリエルがそのように心酔している理由がさっぱり見えてこないが、しかしマリエルは以前からヘレナの訓練を受けていた。
だからこそ、訓練の延長であるこれに参加しているのも、当然である。
はぁ、と大きくシャルロッテは、溜息を吐いた。
「わたくしは眠りますの。邪魔しないで欲しいですの」
「質問に答えて欲しいのだけど」
「あなたには関係ない、と言いましたの」
「そんなことはないわ。だって、あたくし達は戦友。五人で協力して、この訓練を乗り越えていかないといけない、とお姉様も言っていたわ」
「訓練は真面目にやりますの。そうでないなら、あなたと馴れ合う必要などありませんの」
「まったく……頑固ね」
大きく溜息を吐くマリエル。
だが、決してシャルロッテの目的を明かすわけにはいかない。
シャルロッテは、このようにヘレナに師事し、そして真面目に取り組み、まるで従っているようにすら思えるかもしれないが。
明確な、敵なのだから――。
「まぁ、いいわ。あなた、訓練中はお姉様に逆らわないでよ」
「逆らえばどうなるかなんて、もう分かりきっていますの」
「よね。あたくしも、お姉様のためなら全てを耐える自信があったけど……ちょっと心折れそうだもの」
「……」
シャルロッテの心など、とっくに折れている。
できれば逃げ出したい。だけれど、状況がそれを許してくれない。
だからこそ、今はまだ真意を隠し、従い続けるのだ。
いずれ来る時まで。
「あたくし、あなたのこと嫌いだったのよね」
「わたくしもあなたが嫌いですの」
「でも今は、そうでもないわ。今のあなた、なんだか前より話しやすいからかしら」
「……わたくしは今でも嫌いですの」
「別にまぁ、どちらでもいいのだけどね」
うふふ、と笑うマリエル。
そのように言われ、嬉しくないと言えば嘘になってしまう。
今、共に訓練を受けている五人。
そこに連帯感は少なからずあるし、仲間意識もある。同時に競い合う気持ちもあるし、負けたくない、という心もある。
だからこそ、マリエルは以前に比べ、それほど嫌いではないのだ。
素直になれないシャルロッテは、どうしてもそう言えないけれど。
「寝ますの。早く寝ないと明日に差し支えますの」
「そうね。おやすみ、シャルロッテ」
「……気安く呼ばないで欲しいですの」
「あたくしのことも、マリエルでいいわよ」
「……人の話を聞きますの」
ああ、もう、と頭を掻く。
このように馴れ合うつもりなどないし、ヘレナに従っている以上、マリエルはシャルロッテの敵なのだ。仲良くなどしてはならない。
だからこそ、そこで会話を切る。
ふん、と鼻息荒く布団をかぶり。
「寝ますの。おやすみなさい」
「ええ、おやすみ、シャルロッテ。また朝に」
「……また朝に、ですの。マリエル」
目を閉じる。
満足そうにマリエルも布団をかぶるのが分かった。
馴れ合うつもりなどない。仲良くするつもりなどない。
まぁ、でも。
この訓練中くらいならば、いいだろう。
そう、自分に言い訳をしながら、微睡みの向こうにある、心地よい睡眠へと手を伸ばし。
「あ痛ぁーっ!」
そう。
シャルロッテと全く同じ原因で痛みを叫んだ、アンジェリカの声に阻まれた。
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