第92話 『銀狼将』の隠れた趣味

 ヘレナの格好を見たルクレツィアはまず戸惑い、それから何度か目を擦る。まるでおかしなものを見たかのように首を傾げ、それからじっとヘレナを見て。

 そして、苦笑した。


「ど、どうしたの、ヘレナちゃん……?」


「……それ以上何も言わないでください」


「ううん、よく似合っているのだけど……普段、そんな格好しないわよね? びっくりしちゃったわ」


 そんなルクレツィアの言葉にも、ヘレナは項垂れることしかできない。

 皆似合っている、と言ってくれるが、そんなはずがないのだ。本当にヘレナに似合うのならば、先程のルクレツィアのように、戸惑いなどしないはずである。

 つまり、ルクレツィアも気を遣ってくれているのだ。

 国母にして皇太后であるルクレツィアにまで気を遣わせるなど、どれほど罪深いのだろう、と泣きそうになってくる。


「これは、女官が私に無理やりに……」


「あ、ヘレナちゃんが選んだわけじゃないのね? 道理で、普段と随分違うと思ったわ」


「いえ、自分でもこのような格好など似合わない、ということは重々承知しているのですが」


「そんなことないわよ。ちょっとびっくりしちゃったけど、ヘレナちゃん可愛いわ。お人形さんみたい」


「……」


 うふふ、と笑うルクレツィアに、何も返すことができない。

 生まれてこの方、人形のようだ、という評価をされたことなど一度もない。どう考えても気遣い以外の何物でもないことは明白だ。

 しかし問題は。

 そんなルクレツィアの後ろで、硬直し言葉を失っているティファニーである。


「……どうした、何か言え、ティファニー」


 ティファニーはじっくりとヘレナの格好を上から下まで確認し、そして真剣な眼差しで、大きく嘆息した。

 それも当然か。普段、武人として彼女らに信望されているはずのヘレナが、このように女の子のような格好をしていれば、奇妙に思うのも仕方あるまい。

 一時は猫耳がどうこう言っていた気もするが、実際にこのような格好を見て、意見を変え――。


「ディアンナ!」


「は、会長!」


「準備!」


「既に用意してあります!」


 ティファニーの言葉と共に、ディアンナが何かを手渡す。

 それはどこに置いてあったのか、キャンバスとそれを支える三脚、それに木炭である。

 銀狼騎士団の面々がそれぞれに動き、キャンバスをセットし、それに対応して椅子を設置する。

 その椅子にティファニーが座ると共に、木炭を手に取った。


「……またか」


 ティファニーの突然の行動に、呆然としているのはルクレツィア、それにフランソワ、クラリッサ、マリエルの三人である。銀狼騎士団にしてみれば普段通りのことで、ヘレナにしてみれば久しぶりだが、何度か経験したことだ。

 何故か分からないがティファニーは絵が上手であり、このように突然にヘレナを書き出すことがある。芸術家肌とでも言うのだろうか、何か琴線に触れるようなことがあった場合、即座に絵を描くための道具を用意させるのだ。

 そして、絵に没頭し始めたティファニーは、周囲の言葉など全く耳に入らない。そしてヘレナをモデルとしながらも何一つ指示することなく、ただヘレナの姿さえ視界に留めておけば絵を描ける、という謎の特技を持っているのだ。


「ええと……ルクレツィア様」


「はっ……え、あ、ごめんなさい。ティファニーって絵が趣味だったのね」


「私も詳しくは存じ上げませんが、よく描いているのは目にします」


 全て、ヘレナがモデルだというのが謎だが。

 一体、このようにティファニーが描いた絵画は、どこに保管されているのだろうか。

 一度今まで描いた絵を見せて欲しい、と言ったら、手元にはない、と言われたのだ。どこか別の場所で保管しているのかもしれない。


「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」


「ああ……ごめんなさいね、昨日は一周忌の式典と夜会、お疲れ様。私も一言くらい労っておこうと思ってね」


「そうでしたか。それはありがとうございます」


 そこで、ん、と疑問に思う。

 そういえば昨日の式典は、国を挙げての式典だったというのに、ルクレツィアの姿はなかった。

 皇帝の血に連なる者で出席していたのは、ファルマスとその妹であるアンジェリカだけだ。

 本来、皇太后たる者、こういった式典には出なければならないのではなかろうか。


「昨日は私は出席できなかったからね」


「差し支えなければ、理由をお聞きしても?」


「別に、大した理由じゃないわ。前帝の一周忌の式典は、皇太后は出席してはいけないの。皇帝の死後、正妃は三年間喪に服さないといけないのよ。だから、公式の場には出られないの」


「……そうなのですか」


 面倒な風習もあるものだ、というのが本音である。

 三年間も喪に服さねばならない、ということはつまり、三年間宮廷から出ることができない、ということだ。

 三年間も日々の無聊を慰め続ける日々など、ぞっとしてしまう。


「それで、アンジェリカが随分ヘレナちゃんに迷惑をかけた、って話を聞いたのよ」


「特段、迷惑はかけられておりませんが」


「いきなり、ヘレナちゃんに平手打ちをしたらしいじゃないの」


「当たってませんけどね」


 あの程度の平手打ちならば、永遠に避け続けることができるだろう。

 少なからず注目は集めたかもしれないが、直接的に迷惑は被っていない。

 むしろ、どれほど攻撃をしても当たらないアンジェリカの方が、恥をかいた場面だと言えるだろう。


「いきなり平手打ちをされて、許すの?」


「当たっていませんし、許すも何もありません」


「そう……心が広いのね」


「そうでしょうか?」


 ヘレナは首を傾げる。

 アンジェリカの平手打ちには、害意こそあったが殺意はなかった。そして戦士であり武人であるヘレナにしてみれば、殺意のない攻撃は訓練と何も変わらない。殺意に対しては相応の対応を行うが、殺意の欠片もない攻撃にまで目くじらを立てるほど狭量ではないのだ。

 ルクレツィアにしてみれば、そんなヘレナの考えが不思議なのだろうけれど。


「まぁ、それならいいわ。あの子にはヘレナちゃんに謝罪をさせるべきかと思っていたのだけど」


「別段構いません。私も詳しくは存じ上げませんが、アンジェリカ様は陛下のことを随分慕っているようですし……私のことを憎らしく思うのも仕方ないことでしょう」


「あの子も、兄離れして欲しいんだけどね……」


 はぁ、と大きく嘆息するルクレツィア。

 とはいえ、まだアンジェリカは十二歳だったはずだ。そんな状態で父もおらず、母も宮廷からほとんど出てこない以上、慕う相手は兄くらいしかいないだろう。子供のすること、と考えれば怒る気にもなれない。

 何せヘレナには、もう三十を超えているのに、未だに妹離れしてくれない兄がいるのだから。あっちに比べればマシだ。


「それでは、ルクレツィア様。申し訳ありませんが、これから鍛錬の指導がありますので」


「あら、じゃあ久しぶりに私も参加させてもらおうかしら。ティファニーも忙しいみたいだし」


「では、三人と共に並んでください」


 ルクレツィアの突然の参戦、ということに戸惑いを隠し切れていない三人。

 だが、このようにルクレツィアが参加するのも二度目だ。最初に比べれば、まだ大丈夫だろう。


「では、柔軟体操から行う。各自、体を解すように」


「はい!」


「はーい」


「はい、お姉様!」


「うふふ」


 それぞれ返事をしつつ、各自自由に体を解し始める。

 それと共に、同じくヘレナも柔軟体操をする。しかしながら、いつもと異なる格好のせいで、随分と動きが悪い。

 まぁ、これも慣れか、と嘆息しながら軽く柔軟体操をして。


「では、まずは軽く正拳突きから行う。左右百回ずつはじめ!」


「一! 二! 三!」


 まずは正拳突きで体を温めさせてから、衝撃の緩衝材代わりに綿布を巻きつけた棒で棒術の訓練をするか、と本日の予定を決める。

 恐らくルクレツィアを含めて四人とも、午前だけで十分だろう。ならば、午前の時間を十分に活用して、より実戦に近い訓練をすればいい。

 突きを放つ全員の姿勢を矯正しつつ、指導し、まず右の百回が終わった。

 引き続き、左の百回――。


「……ふぅ。素晴らしいものが出来ました」


「さすがは会長! 素晴らしい絵です!」


「ヘレナ様……ああ、お美しい……」


 どうやらそうしているうちに、ティファニーの絵は完成したようだ。

 しかし、そんな絵の周囲に群がる銀狼騎士団の面々と、その緩んだ顔を見て。


「……」


 触れない方がいい、と判断したヘレナは、多分正しい。

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