第91話 女官アレクシアの羞恥プレイ

「ふぅ、素晴らしい時間でした」


「……しくしく」


 ご満悦しているアレクシアと、床に突っ伏しているヘレナ、という謎の構図がそこにあった。

 ヘレナの格好は、結局夜通し着て、その後鍛錬までした夜会のドレスから着替えさせられ、アレクシアの見立てた服を着ている。

 その格好に至るまで、ヘレナはただひたすらに着せ替え人形になっていた。


「いえ、やはりヘレナ様はそのような格好もお似合いになられますよ」


「なるかっ!」


 アレクシアの言葉に、そうヘレナは顔を上げる。

 ヘレナとしては、今すぐ着替えたい格好だ。誰にも見せたくない、外出することすら憚られる格好である。

 何せ。


「私にこのような格好は似合わん!」


「いえ、とてもお似合いです」


「嘘を言うなぁーっ!」


 ばふん、と寝台の布団へ顔を突っ伏す。

 アレクシアが見立て、着させた、今のヘレナの格好。


 まず、ヘレナの輝くような金色の髪を流しながらまとめる、フリルのついたカチューシャ。

 膝下まで覆う青いワンピースは、パフスリーブからすらりと手首まで覆うもの。フリルの誂えられたそれに、よく似合う色合いのケープを羽織り、スカートの裾から覗くのはレースの誂えられたペチコート。ついでにその下もドロワーズという、まさに人形のような格好である。

 手首まで袖口で覆い、膝下までのワンピースとニーソックスのために、ヘレナの鍛え上げられた肉体は欠片も見られない。その代わりに、年齢よりも若く見える顔立ちに均整の取れた体つきが、背伸びしている少女のような印象を与える。


 だが。

 どう考えても、ヘレナにしてみれば、このような格好は似合わないものだ。


「いえ、とてもお似合いです。本当に。正直、笑うつもりで見立てたのですけど」


「そうなんだろう!?」


「実際のところ、これほど似合うとは思わず驚いている、というのが本音なのですけど」


「嘘だぁーっ!」


 ヘレナは武人である。

 このような格好などしたことはないし、普段着は適当なワンピースを一枚か、寒ければその上にセーターを羽織るくらいだ。

 ペチコートなんて産まれて初めて身につけたものだし、勿論ヘレナのものというわけではない。本日、ヘレナが着ているワンピース以外は、全てアレクシアの私物である。

 だからこそ、戦場に出る際には動きやすい格好の上に鎧を纏い、突撃をする際には重装備で覆うヘレナにとって、お洒落なんて言葉は全く縁遠いものだったのだ。

 どれほどアレクシアが言ったところで、このような格好が似合うなどとは思えない。


「ではヘレナ様、そろそろ中庭に皆様が来られている頃だと思うのですが」


「い、いや待て! ならば着替える!」


「駄目です。本日の格好はそちらでございます」


 丁寧だが、しかし有無を言わさぬ言葉。

 つまり、これがアレクシアの、昨夜の仕返しなのだ。

 意図したものではないといえ、アレクシアを一晩拘束したのはヘレナである。そして、それは全面的にヘレナが悪い。

 だからこそ、謝罪をしたというのに。


「うぅ……」


「では、本日の鍛錬は中止とお伝えしましょうか?」


「む……う」


「昨日も一周忌の式典がありましたのでお伝えしましたが、それはそれは皆様、残念そうな顔をしておりました。明日にはまた行われる、と伝えましたら、嬉しそうにしておりました」


「ぐぐ……」


 逆らえない。

 ヘレナは皇帝ファルマスの側室であり、実質的に最高位の『陽天姫』という立場。それに加えてレイルノート家の令嬢であり、身分も高い。膂力は並の男など一蹴し、戦場ではまさに鬼の如き働きをする武姫である。

 だが、だというのに。

 目の前の、この部屋付き女官に、逆らえる気がしない――。


 どうすれば、この格好を回避することができるのか。

 どうすれば、この格好で鍛錬を指導せずに済むのか。

 どうすれば、この格好から着替えることができるのか。


 考えるが、答えは出てこない。

 そして、考えても答えが出ない以上、思考を放棄して全てを諦めるのがヘレナである。


「……うぅ、分かった」


「はい。それでは行きましょう」


 アレクシアはご満悦だった。

 ヘレナの気持ちは分かっているだろうに、それ以上にこの格好を皆に見せるのが楽しいのだろう。

 完全に見世物になる、という未来が明確に見えてしまい、ヘレナは大きく嘆息する。


 それゆえに重い足取りで中庭へ向かうと、そこには既に十数人が揃っていた。

 まずフランソワ、マリエル、クラリッサといういつもの鍛錬メンバー。その横にいるのは、銀狼騎士団の面々である。筆頭に立っているのは、恐らくディアンナだろう。

 今日はルクレツィアはいないらしい、と、そこだけは安堵した。あの皇太后にこのような格好を見られたら、笑われるに決まっている。


「あ、おはようございます! ヘレナ……様……?」


「え……?」


「はい……?」


 まず、目を見開いたのはフランソワ。

 続いて、そんなフランソワの声で気付いたのか、マリエルが言葉を失い、最後にクラリッサが首を傾げている。

 誰もが、え、何故、という感情を隠せていない。


 さらに銀狼騎士団の面々は、さらにひどい。

 何一つ言葉を発することなく、ただヘレナの姿を見ると共に固まり、全く動かない。

 そうか、それほど変か、ともう半ば諦めながら、大きく溜息。

 だからこんな格好は似合わないと言ったのに、と隣にいる女官の首を絞めたくなる。


「……おはよう、諸君」


「わぁぁぁぁぁっ!?」


 まず、最初にそう声を上げたのはフランソワだった。

 それも、今にも大輪の花が咲きそうな笑顔である。それほど笑いものにしたいのか、と自己嫌悪に陥りそうにすらなってきた。


「ヘレナ様! すごく可愛いです!」


「……そうか」


 フランソワも、気を遣ってくれているのだろう。

 それも当然だ。基本的にヘレナはこの面々の中で最も身分が高く、そして後宮における位も高い。そんなヘレナの格好を見て、笑いものにするような真似はできないだろう。

 そして、次に言葉を取り戻したのは、クラリッサ。


「あ、あの、ヘレナ様……どうしたんですか? いえ、とてもお似合いなのですけど」


「……気を遣わなくてもいいぞ、クラリッサ」


「い、いえ、嘘ではありません!」


 クラリッサはそう言うが、どう考えてもヘレナへの気遣い以外に感じられない。

 こんな羞恥を味わうならば、三人には申し訳ないが、今日の鍛錬は中止にして、部屋から一歩も出なければ良かった、とさえ思えてしまう。


「お、お姉様……」


「なんだ、マリエル。笑うならば笑え」


「全力で抱きしめたいのですがよろしいでしょうか」


「叩き落とすぞ」


 マリエルのそんな言葉に、呆れながら返す。

 意味が全く分からない。


「まぁいい……今日も鍛錬を行う。まずは全員、柔軟体操を……」


「うおおおおおおおおおおおおおっ!?」


「……どうしたディアンナ」


 もう全てを諦めて、普段通りに行おう、と思ったヘレナをそう阻んだのは、ディアンナである。

 目を見開き、鼻息荒く、口をあんぐり開いたままでヘレナをじっと見て。


「誰か! すぐに会長に連絡を!」


「待て、ディアンナ」


 ディアンナの言う会長。

 それは、『銀狼将』ティファニー・リードである。

 ただでさえ羞恥に耐え難い現状で、ティファニーにまで情報を流されるわけにはいかない。そしてティファニーに流れるということは、自動的にルクレツィアにも流れる危険があるのだ。

 それを許すほど、ヘレナは寛容ではない。


 ディアンナの指示と共に、走ろうとした者へ即座に並び、その顎に軽く掌底を打つ。

 顎への的確な一撃は脳を揺らし、そして意識を失わせる。

 勿論、後に響くほどに力は入れていない。無力化するための最低限だ。


「くっ……!」


「ティファニーには伝えるな。今この場における私の格好は、この場にいる者だけが知ることだ」


「し、しかし……!」


「それでも伝えるつもりならば、私の横を抜けて、中庭を出る自信がある者だけにしておけ。手加減はしないぞ」


 ヘレナの後ろが、中庭の出入り口だ。

 勿論、隣の茂みから抜け出す、という手もあるが、ヘレナを相手にそのような搦め手は通じない。

 数の暴力に任せようとも、並の騎士ならば一個大隊を相手にしても立ち回るのがヘレナだ。

 だからこそ、ディアンナも、その配下である銀狼騎士団の面々も、動けない。


「分かったならば、そこで……」


「ヘレナちゃーん。昨日はなんかアンジェリカが迷惑かけたみたいでごめ……あれ?」


 だが。

 ヘレナの行動は、全く意味などなく。


 そんなヘレナの背後から近付いてきたのは――皇太后ルクレツィアと、『銀狼将』ティファニー・リードだった。

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