第79話 父と娘

 堅苦しい式典の後、少しだけ控え室で休むこととなった。

 休んでから、とは言ったが後宮の自室へ戻ることはできず、用意された更衣室で、アレクシア、イザベルにされるまま着せ替え人形となり、正妃としての正装から夜会のドレスへと着替えた。こちらのドレスの方が、まだ肩周りが動くのでマシ、といったところか。

 何度、肩周りを破りそうになったか分からない。ヘレナの記憶が正しければ、恐らく二回はブツっと切れた音がした。気付かない振りをしたが。


 そして、その後は式典開始の前に休んでいた、広い控え室で過ごすのみだ。

 恐らくこの控え室は、ある程度以上の地位がある者だけが休むことができるのだろう。 ファルマス、ヘレナを除いては、宰相であるアントン、相国であるノルドルンド、ほか数名の貴族しかいない。

 そして。


「失礼いたします、陛下」


「アントンか、どうした」


「式典の司会をお任せいただき、それゆえに陛下にご挨拶ができなかったこと、申し訳ありません」


「構わぬ。準備はノルドルンドが済ませてくれたのだ。そなたは司会程度するべきであろう」


「……は。申し訳ありません」


 ファルマスが、そう挨拶をしてくるアントンへ、冷たく言い放つ。

 これは対外的にノルドルンドを厚遇し、アントンを冷遇している、と見せつけるためである。それゆえに、ノルドルンドの準備に対する功績を認め、アントンを責めるように司会を押し付けた、と思われるだろう。

 しかし、その実態を知らない他国からすれば、『式典の司会』を任されているアントンの方が信頼されている、と思われるだろう。つまり国外に対しては、ノルドルンドよりもアントンの方が上、と誇示したのだ。


 もっとも、ファルマスのそんな意図など全く分かっていないヘレナは、アントンと仲悪いのかな、くらいにしか考えていない。

 そして変わらぬ無表情であるがゆえに、ファルマスに『ヘレナは全てを分かっている』と謎の解釈をされるのである。


「まぁよい。ヘレナよ、アントンと話があるならば、言葉を交わしても構わぬぞ」


「……話、ですか?」


「ああ。久々の家族の語らいを咎めるほど、余は狭量ではない」


「いえ、特にありませんが」


 ファルマスからの言葉に、そう答える。

 実際のところ、別段アントンと話すべきことはない。それに、ファルマスは久々の家族の語らい、と言ったが、ヘレナは元より軍人であり、主に戦場を居場所にしていたのだ。一年会わないことすら珍しくないというのに、まだ後宮に入って二週間と少し、という現状で、久々に、という感覚は全くない。

 しかし、そんなヘレナに対して、ファルマスは薄く笑う。


「なるほど、確かに、余が共にいては出来ぬ話もあろう」


「え」


「少しだけ席を外す。余が戻るまで、アントンと語らってよいぞ」


 ファルマスがそう言って立ち上がり、そのまま背を向けて外へと出てゆく。

 ヘレナには、ファルマスがどのような意図でそのように言ったのかは、分からない。だが、とりあえず話せ、というならば話すべきなのだろうか。


「……ええと」


「リリスから話は聞いた。後宮で上手くやっているようだな」


 何を話そうか、と悩んでいたヘレナに、そうアントンから話しかけられる。

 そういえば、リリスから話は通っているのだろう。

 どこから説明すればいいのだろうか、と悩んでいたが、特に悩む必要などなさそうだ。


「まぁ、私なりに自由に過ごさせてもらっています」


「お前が陛下の寵愛を得ることになる、ということには驚いた。詳しくは聞いていないが、このように対外的に正妃として扱うあたり、随分と気に入っているのだろう」


「まぁ……そうですね」


 そういえば、アントンはファルマスの考えを知らないんだった、と改めて考える。

 ヘレナにも詳しく分かっているわけではないが、ファルマスはアントンを信頼しており、かつノルドルンドを内憂の毒と考えているのだ。

 その粛清を行うにあたって、愚帝を演じ、アントンを遠ざけているのである。

 つまり、ヘレナは下手なことを言ってはいけないのだ。


「皇太后陛下にも、随分気に入られていると聞く」


「ルクレツィア様には、色々とご指導いただきました」


「うむ……まったく、そのようになる予定は全くなかったのだがな」


 はぁ、とアントンが溜息を吐く。

 当然ながら、ヘレナにもこのようになる予定は全くなかった。

 色々と深慮と策謀が重なった結果としてこうなったのだろうけれど、問題はその中心にいるであろうヘレナが何も考えていない、ということだろう。

 すると――アントンは、唐突に声を潜めて。


「ヘレナよ」


「はい」


「シャルロッテ・エインズワース嬢には、気をつけろ」


「……はぁ」


 アントンの声は、真剣だ。

 恐らく、聞き耳を立てればこちらの会話が聞こえるくらいの位置にいる、ノルドルンドを警戒してのことか。

 あちらは何やら仕事をしているようだが、しかし聞き耳をくらいは立てることができるだろうし。


「どういうことですか?」


「今日この日、お前が一周忌の式典に出る、という事実があった。つまり、対外的に陛下はヘレナを正妃として認めたのだ」


「……式典では、まだ正妃というわけではない、と否定されておりましたが」


「それはあくまでポーズに過ぎない。元より、一周忌の式典に共に出席した者が、後の正妃として君臨している。歴史を紐解いても、前帝の一周忌の式典に、出席しなかった者が正妃となった事例はない」


「……え」


 何それ初耳、とヘレナは目を見開く。

 ファルマスからはあくまで、正妃に準ずる存在として出席してくれ、としか言われなかった。この式典に対する出席がイコール正妃である、とは聞いていない。


「だが、ノルドルンドは恐らく縁戚にある者を正妃に据えたいはずだ。そして、現状でシャルロッテ嬢が陛下の相手にされていない、ということを考えると、何かしら手を打ってくるはずだろう。後宮にいるヘレナを害することができるのは、同じ後宮にいる者しかおらぬ。そして、奴が今動かせるのはシャルロッテ嬢とその側近だけだ」


「……」


「どのような手を使ってくるかは分からんが、警戒だけは怠らないようにしろ。ノルドルンドはこれから、ヘレナを害し、その後釜に据える者を見繕っているはずだ」


「……」


 アントンの懸念が、全く理解出来ずヘレナは首を傾げる。

『月天姫』シャルロッテ・エインズワースには気をつけろ――これは、ファルマスにも言われたことだ。

 そしてノルドルンドの手先であり、現在、最も正妃に近い存在であるヘレナを疎ましく 思っているのは、間違いのない事実である。


 だが。

 残念ながらヘレナは、シャルロッテが千人いても無双することができるだろう。

 何をどう考えても、シャルロッテに何かされる未来が思い浮かばない。


 つまり、そんなヘレナの結論は。

 分からないけれど、とりあえず頷いておこう、といういつも通りの思考放棄に落ち着いた。


「分かりました、父上」


「ならば良い。すまんな、お前には苦労をかける」


「いいえ、それよりも一つ、聞きたいことがあるのですが」


 ヘレナは立ち上がる。

 男性にしては背丈の低いアントンは、立つとヘレナの目線より随分低い。

 そんなアントンの、頭へとヘレナは掌を乗せて。


「リリスから聞きましたが」


「む、う……」


 ゆっくりと、その掌に力を込める。

 鍛えに鍛えたヘレナの膂力をもってして、ゆらりとアントンの体は、重さを失った。

 ちなみに、このように頭を掴んで持ち上げるのは、何故か赤虎騎士団の数人が「是非俺にも!」とせがんでくる行為である。ヘレナとしては、何故このように痛いものをわざわざ喰らいたがるのか謎だ。中には恍惚の表情を浮かべている者すらいる。


「私のことをどう言っていたのでしょうか?」


「ぐ、ぅっ……! やめろヘレナ! いたたたたたたたたた!!」


「何故あのような年増に。このお言葉に聞き覚えはあるでしょうか?」


「へ、ヘレナ、落ち着け! あだだだだだだ!!」


 父と娘。

 それゆえに、全くヘレナに遠慮はない。


 そもそもこうなったのは、ファルマスの策略というのが最も大きいが、アントンのせいでもある。

 アントンがもっとしっかりしており、ノルドルンドの専横を止めることができていれば、そもそもヘレナが後宮へ入る必要などなかったのだ。


 そして何より。


――あんな年増のどこが良いのだろうな、って首を傾げていたわよ。


――次会ったら殴る。


 ヘレナは。

 報復を誓ったならば、それを必ず果たすのである。

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