第78話 堅苦しい式典
一周忌の式典。
厳かな雰囲気で行われるそれは、偉大なる前帝であるディールの死を追悼し、そして現帝であるファルマスがその権勢を誇示する、という儀礼である。
まず列席している国賓、貴族に対してファルマスが挨拶を行い、その後前帝に対する献花、ならびにファルマスによる捧文の朗読が行われる。続いて国賓による挨拶が行われた後、各自が歓談する立食会へと変わった。
まずそこまでの式典にヘレナは参加し、ファルマスの後ろで彫像と化す以外に何もできなかった。
そして――立食会。
ルクレツィアの教えである、「決して料理を食べてはいけない」という言葉を忠実に守り、立食会ではあるが、ヘレナは何一つ手を伸ばしていない。
戦場では一日二日、食べずに戦うこともあった。たかが昼食を抜く程度ならば、ヘレナにしてみればどういったこともない。
だが――残念ながら、状況は全く慣れるものではなかった。
「陛下におかれましては、ご壮健のようで何よりでございます」
「うむ。此度は父の追悼に参加してくれたこと、嬉しく思う。これからも我が国とダインスレフ王国とは、懇意でありたいものだ」
「この第三王子フェルディナンドの名にかけまして、我が国とガングレイヴ帝国の友好は万古不易と誓いましょう」
「うむ。これからもよろしく頼む」
次々と、そのようにファルマスへ挨拶してくる者が止まらないのだ。
まさにこれ幸い、とばかりにファルマスへの顔つなぎをしたいようで、国内の貴族から諸外国の国賓まで、枚挙に暇がない。そして、そのように挨拶をされているのを、ヘレナはただ一歩後ろに下がって聞いているだけなのだ。
そして。
「いや、しかしさすがはファルマス皇帝陛下。このような美姫を正妃に迎えているとは、ついぞ知りませんでした」
「ああ、まだ我が正妃というわけではない。ヘレナよ、挨拶せよ」
「は。お初にお目にかかります、ヘレナ・レイルノートと申します」
必ずこのように、ヘレナの紹介が加わるのだ。
最早定型文のように言い続けているせいで、全く淀みなく答えることができる。
「ほう、レイルノートといいますと……宰相殿の姓ではなかったでしょうか」
「宰相アントン・レイルノートの娘にございます」
「なんと……! いや、宰相殿にこれほど美しい娘がいるとは存じ上げませんでした。さすがはファルマス陛下、女性を見る目も素晴らしい」
「褒めても何も出ぬぞ」
くくっ、とファルマスが苦笑しながら答える。
それに対して、国賓であるフェルディナンドも同じく苦笑しながら、しかし丁重に頭を下げた。
「それでは陛下、陛下もお忙しい身ですし、これにて失礼いたします」
「うむ。今宵の夜会も楽しんでくれ」
「は。それではまた後ほど」
そう言って、フェルディナンドが背を向ける。
まだ良識的だったのだろう。挨拶自体は短いものだった。国内の貴族の中には、このまま世間話に花を咲かせる者もいるのだ。比べれば、随分常識を弁えている。
もっとも、ファルマスにばれないように、軽くヘレナへウインクをしたのは分かった。
「……先の男が、ダインスレフ王国第三王子、フェルディナンド・キール・ダインスレフだ。王位継承権は低いが、やり手と評判の男だな」
「はい」
そして、ヘレナの頭はもういっぱいいっぱいである。
先程から、訪れてくる貴族、国賓に対してヘレナも挨拶をし、去ってからこのようにファルマスによる解説が入るのだ。
フェルディナンドはまだしも、全く知らない貴族たちの名前を次々と列挙され、「覚えよ」と言われても困る。特に、仰々しい貴族の名前は覚えるのも面倒なのだ。
だが、ルクレツィアの教えである「顔と名前は初見で一致させること」という言葉には、従わなければならない。そのために、ヘレナはただひたすらに人名を覚えることだけに脳髄を費やしていた。
「大丈夫か?」
「……正直に申し上げますと、最初の方の貴族はもう覚えておりません」
「一度で覚える必要はない。だが、顔だけは覚えておれ。少なくとも、これより後に挨拶をされて、初見かそうでないかさえ分かればよい」
ルクレツィアと異なり、ファルマスの方針の方がまだ優しい。
そして、そのように楽ができそうな方針がそこにあるならば、そちらに乗っかるのは当然である。
諸外国の国賓の護衛である、という、各国の将軍は見覚えがあるのだが、いかんせん他国の貴族など知りようもない。
そして――そんな将軍たちは、ヘレナを前に萎縮していたが。
「失礼いたします、陛下」
そこで、次の客が訪れた。
もう覚えれないよぉ、といっぱいいっぱいになりながらも、ヘレナも同じく顔を向ける。心ではそう思っていても、ヘレナの無表情は揺るがない。
そのせいで、ファルマスもヘレナは落ち着いている、と勝手に思っている。
「ノルドルンドか」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありませぬ、陛下。此度、式典の運びが遅滞なく進んでおられること、まさに陛下の優れた手腕によるもの。臣下として嬉しく思っております」
「世辞はよせ、ノルドルンド。準備など、そなたへの負担は大きかった。此度の式典が無事に終われば、そなたの働きにはまた報いよう」
「ありがとうございます、陛下」
脂ぎった太った男――アブラハム・ノルドルンドがそう頭を下げる。
どうにも、好きになれない男だ。太っているというのに、その顔立ちには愛嬌の一つもなく、ただ欲が漏れ出しているようにすら感じる。
だからこそ、ヘレナもまた小さく頭を下げるだけに留めておいたのだが。
「改めて紹介しよう。余が今、最も寵愛する側室であるヘレナだ」
ファルマスはそう、ヘレナに話を振った。
そしてファルマスからそう言われるということは、ヘレナが挨拶をしなければならない、ということである。
父アントンの政敵であるノルドルンドに、何故このように挨拶をしなければならないのか――そう思うが、それがファルマスの考えである、というならば仕方ない。
「ヘレナ・レイルノートと申します」
「ありがとうございます、『陽天姫』様。我輩は相国アブラハム・ノルドルンドと申します。どうかお見知りおきを」
「陛下をお支えくださっていること、私からもお礼申し上げます」
「これは過分なお言葉、ありがとうございます。このノルドルンド、相国という地位に相応しい働きを、これからも行わせていただきます」
「うむ。ではノルドルンド、ある程度国賓たちの歓談が終わったら、閉会の挨拶を頼む。その後は、国賓を迎賓館へ案内せよ」
「承知いたしました」
手を組み、そう頭を下げてノルドルンドが去ってゆく。
どう考えても厄介払いでしかないが、ノルドルンドはそう受け取らなかったらしい。嬉々として去ってゆくのがヘレナにも分かった。
そして、やはりファルマスは渋面である。
「ヘレナよ、もう間もなく終わる。もう少し待て」
「……はい」
もう早く帰って休みたい、というのがヘレナの本音である。
だが式典は終わっても、今日という日はまだ終わらない。
まだ、この後も夜会が控えている――。
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