第65話 後宮の鍋パ――準備
「まぁ! ヘレナ様がお手ずから作っていただけるのですか! ありがとうございます!」
「たまには温かいものも食べたいですね。是非よろしくお願いします」
心眼について教える、という謎の脱線をしてしまったが、改めて本題である鍋に誘うと、二人ともそう頷いてくれた。
アレクシアのような、お前に本当に作れるのか、という猜疑的な眼差しはない。この二人に関しては、既にヘレナを色々と信頼してくれているようだ。
「ああ。それで、マリエル嬢も来るのだが……場所をどうしようかと思ってな」
「でしたら! 是非この部屋をお使いください!」
「構わないのか?」
「はい! 来る人もクラリッサくらいですから!」
ヘレナの部屋でやってもいいのだが、変にティファニーなどが訪れてきたときに困る。下手をすれば、ティファニーの号令で銀狼騎士団の全員が集まるかもしれないのだ。
そのような未来を回避するためには、できればヘレナの部屋でないのが望ましい。
そんな中でフランソワの提案は、まさに渡りに船である。
「では、使わせてもらおう。椅子の用意は任せてもいいかな?」
「はい! ヘレナ様は以前の椅子でよろしいですか!?」
「ああ。あれは座り心地がいい」
フランソワの茶会で、座っていた椅子を思い出す。
安っぽいあの感覚は、ヘレナにとって座り心地の良いものだった。変に体が沈みすぎるソファよりも格段にいい。
あの椅子をどこから借りているのか、後で聞いてみよう、と思う。
「ではアレクシア、マリエル嬢に伝えてもらえるか? 場所はフランソワの部屋だ、と」
「承知いたしました」
ヘレナの命令にそう頭を下げ、アレクシアが退室する。
よし、とヘレナはまず、フランソワの部屋に備え付けてあるキッチンを確認することにした。
状態としてはヘレナの部屋と変わらぬもので、恐らく後宮全て変わらない作りなのだろう。ヘレナの部屋はこの部屋よりも若干広いが、それは三天姫の住まいだから、と思われる。
鍋は、フランソワが持ってきたのだという、割と大きめの鍋があったのでそれを使うことにする。
そして、まず行うのは鍋の下味を作ることだ。
しかし、鍋とは食材に応じて千変万化するものだ。野菜や肉を大量に入れた鍋は、それだけで出汁が出て美味しくなる。
逆に臭みのある食材を使う際には、臭み消しのために香辛料を入れたりしなければならない。
そのあたりの詳しい内容は、食材が届いてからになるか。
腰の高さくらいにある台に、灰を敷かれた四角の炉。
その上にヘレナはいつも通りに薪を並べる。火が熾るまで少々時間がかかるのが難点だが、そのあたりの配分は分かっている。何故なら、ファルマスが訪れていた頃には、毎朝のように火を熾しては茶を沸かしていたのだから。
暫し経て、アレクシアが戻ってきた。
「ヘレナ様、た、ただいま、戻りました……!」
その両手に、木箱を抱えて。
ふんっ、と気合いを入れながら、アレクシアがそれを下ろす。ずしんっ、と衝撃と共にそれが下ろされ、アレクシアは随分息を荒げていた。
「あ……ああ、アレクシア。その木箱は……?」
「マリエル様より、お約束の品を、とのことです。同じ木箱が、あと二つありました……」
「……」
これほどまで早く、材料を手配したというのか。
マリエルの実家が持ち得る力に、思わず戦慄しながら、ヘレナは木箱を開ける。
そこに入っているのは、色とりどりの野菜。
「おぉ……」
「クレア、手伝ってください。あと二つ、木箱がありますから」
「えぇー……まじでぇ」
アレクシアと共に、クレアも残る木箱を取りに向かう。
彼女らには申し訳ないが、マリエルの手配してくれた材料は、まさに一級品だ。市場に出回ってまだ間もないと思える、新鮮なものばかりである。
これだけの野菜があれば、それだけ良い出汁が出るだろう。あとはメインである肉か魚が、何になるかだが。
「……お、お待たせ、いたしま、した」
「お、重いぃぃ」
アレクシア、クレアがそれぞれ木箱を置く。
ヘレナは素早くそれを確認し、そしてにんまり、と笑った。
片方は、肉。それも、かなり高級な肉だ。脂のたっぷり乗った霜降りから、脂の差していない赤身まで、その種類は多様である。恐らく霜降り肉は、鍋にするよりもただ焼いて塩を振っただけの方が美味いだろう。
そしてもう片方は、海産物だ。海から遠いこの帝都で、これだけの魚や海老が揃うことはないだろう。特に海老の存在は嬉しい。殻を剥くのに少々手間取るが、その美味さは海産物の中でも群を抜いている、とヘレナは思っているのだ。
「ふむ……」
「どのような鍋になさるのですか?」
「これだけの材料が揃っているのだから、下手な味付けはいらないだろう。塩とワインで、ブイヤベースに仕立てよう」
「……」
海産物はそれだけで十分な出汁が出るし、ヘレナが下手に手を加える必要はあるまい。
鍋は純粋に、食材の美味さを引き出すものでもあるのだ。
だが、何故かアレクシアは、そんなヘレナの言葉に目を見開いていた。
「……どうした?」
「いえ……申し訳ありません。思っていた以上にまともな答えが返ってきたことに驚いておりまして」
「……」
ヘレナは唇を尖らせる。
完全に、料理の方面ではアレクシアに信用されていなかったらしい。
ひとまず材料をまな板に並べ、切ってゆく。鍋のため、全体的にやや大きめだ。肉は薄切りにして、海老はそのまま、魚はぶつ切りだ。
白ワインと塩で味付けたスープに、材料を全て入れてから、ことこと煮込む。ちなみに肉はまだ先だ。肉は入れるタイミングが重要であり、早く入れすぎると固くなってしまう。
せっかくこれほど上等な肉なのだから、柔らかく食べたいものだ。そう考えて、まず脇に置いておく。
沸き立ち、全体に火が通ったようなので、一旦火を小さくする。弱火でことこと煮込むこと暫し。
室内に、美味しそうな香りが漂った。
「お、美味しそうです!」
「うわぁ、早く食べたいですね」
「アレクシア、もうそろそろ完成しそうだから、マリエル嬢を呼んできてくれ」
「承知いたしました」
続いてヘレナは、フランソワが持ってきてくれた椅子二つ、それにソファ二つが囲むテーブルの上に、板を置く。
鍋の底は熱くなっているため、下手をすればテーブルを焦がすためだ。
ちなみに戦場での野営では、鍋を吊り下げて下で火を熾しながら食べるため、そのような配慮は必要ない。だが、ここが後宮である以上は仕方ないだろう。
最後に鍋の中へ肉を投入し、蓋をして暫し。
これで、完成だ。
「ただいま戻」
「お姉様! マリエルは首を長くして待っておりました! まぁ! なんと美味しそうな香りでしょう!」
「どうぞマリエルさん! 座ってください!」
「あ、私がこっちの椅子座ろっか。マリエルさん、ソファの方が良さそうだし」
「失礼いたしますわ。今日はお二人とも食事をご一緒できると楽しみにしておりましたの」
フランソワ、クラリッサ、マリエルがそれぞれ座り、テーブルを囲み。
そして、ヘレナは沸き立った鍋を両手に抱えて、そのテーブルへと持って行った。
「よし、できたぞ。食べようか」
テーブルに置き、ヘレナもまた座って、鍋の蓋を取る。
それだけで、マリエルの用意した食材たちの旨味が入り混じった、芳しい香りが漂った。
「美味しそう!」
「うわ、すご……。これ、食べていいんですか?」
「お姉様の手作り……はぅ」
「うむ。さぁ、食べよう」
そして。
四人での、後宮の鍋パーティが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます