第66話 後宮の鍋パ――和やかな時間

 テーブルの中央に置かれた鍋に、掛けられた杓子を用いて各自が椀へとそれを取る。

 内容としては高級食材が多く、海老などヘレナがこれまで見てきた全ての中で最も大きいのではないか、とさえ思えた。

 火が通り、くたくたになった野菜を、スープと共に口へ運ぶ。


「ふむ。美味い」


 ブイヤベースに仕立てた鍋は、それなりに満足する出来だった。

 魚介の出汁が十分に出たそれは、深みを持つ味わいになっている。だが素材の旨味というものはやはり重要なのだろう、軍でいつも食べていたものと比べると格段に美味い。


「美味しいです、ヘレナ様!」


「うわぁ……お肉やわらかぁ……」


 フランソワは止め処なく食べ続け、すぐに椀を空にしていた。比べてクラリッサの方は、別に焼いた、高級な霜降り肉を一口一口噛み締めながら食べている。鍋にあまり向かない霜降り肉は、焼いた方が美味しいだろう、と思い、塩で味付けして焼いておいたのだ。

 これほどの肉は、これまでヘレナも食べたことがない。かなりの高級肉なのではなかろうか。

 噛むだけで溢れ出てくる旨味に、思わずほぅ、と溜息が漏れる。


「これは……かなり高い肉ではないのか?」


「大したものではありませんわ。せめて前日に言われていれば、もう少し良いものを用意することができたのですが……」


「それは……悪かったな」


 マリエルは大したものではないと言うが、それはあくまで彼女の基準からすれば、だろう。

 少なくとも令嬢とはいえ、リヴィエール家のような財力のないヘレナやフランソワ、クラリッサからすれば、そう口に運ぶことなどできない代物だ。


「次の機会がありましたら、せめて前日に仰っていただければと思いますわ」


「ああ、そうさせてもらう。だが……次の機会も材料を頼んでいいのか?」


「勿論ですわ!」


 さすがに、そう何度もマリエルに用意してもらうのは申し訳ない、と思ってしまうけれど、しかしマリエルは胸を張っていた。

 次の機会は後宮の料理番にでもお願いしようと思っていたのだが、マリエルがそう言ってくれるならば甘えさせてもらうとしよう。


「ヘレナ様! 軍ではこれほど美味しいものを、いつも食べていたのですか!?」


「いや、そういうわけではないが……」


「ですが、このように一つの鍋を皆で食べる、というのは初めてです。これは、軍でのものではないのですか?」


 不思議そうに、そう首を傾げるクラリッサ。

 確かにヘレナも、軍に入り戦場に出るまで、このように鍋を食べる機会はなかった。大鍋で食べるのは庶民の食事である、という認識が貴族に少なからずあるのは確かだろう。

 だが――。


「軍では、これほど美味いものは食べられなかったな」


「え、そうなのですか?」


「ああ。基本的に食材は支給されるものばかりだし、それも安物ばかりだ。支給される場合ならまだいいが、森の中や山道での野営などでは、食材すら支給されなかったことも多かった」


 思い出す、軍での過酷な生活。

 平地戦ならばまだ楽なもので、これが森の中などのゲリラ戦になってくると、食事の補給すらも厳しいものとなるのだ。隠密行動をしなければならない時など、満足に食事を摂れることすら珍しい。

 数日ならば保存食で凌げるのだが、それ以上となるとどうしても現地調達をしなければならないのである。


「食材の支給がされなければ、鍋が作れないのでは……」


「いや、割と現地調達でどうにかなるものだ。茸は毒の有無が見分けにくいが、割と野草などは食べられるものが多い」


「ですが、野草だけで大丈夫なのですか……?」


 首を傾げて、そう聞いてくるのはマリエル。

 元よりアン・マロウ商会という大商会の娘であるマリエルは、食事に苦労したことなどないのだろう。特にそれが、森の中での自給自足となれば尚更だ。

 ヘレナは、そんなマリエルの問いに首を振る。


「さすがに私も、野草鍋など食べたくはないさ」


「ですが、肉など……」


「森の中には割と蛇がいるからな。美味いぞ」


「……」


 森の中での貴重な蛋白源が、蛇である。

 身は白身でそれなりに美味く、長さがあるため量があるのだ。毒のある種類もいるが、ヘレナは特に蛇に関しては、毒袋を取り除くのは得意だったりする。そして毒袋さえ取り除けば、十分に食べれるのだ。

 加えて蛇は滋養強壮にも良く、まさに戦士にとっては素晴らしい食材であると言えるだろう。


 だが――そんなヘレナの言葉に、マリエル、クラリッサの二人は顔を青ざめさせていた。


「……どうした?」


「あ、あの……お姉様。先ほど……その、蛇、と……?」


「え、え、蛇って……」


「……そんなに不思議か?」


 蛇は習性からも捕まえやすく、大きなものならばそれだけで満腹になるほどだ。それに加えて味も悪くない。

 やはり蛇が一番だろう。


「蛇は美味いぞ。味もさっぱりしているし、鍋に入れると味をよく吸ってくれる」


「蛇を食べようという発想がそもそも……」


「まぁ、確かに市井の店で見かけることはないな」


 さすがに、蛇の肉を扱っている問屋は見たことがない。

 そんなヘレナの言葉に、マリエルが頷く。


「アン・マロウ商会でも、さすがに蛇の肉は扱っておりませんわ……皮なら、まだ細工品として扱いますけど」


「そうか……美味いんだけどな」


 残念、とヘレナは唇を尖らせる。

 機会があれば、この三人にも蛇の鍋を食べてもらいたいものだ。食わず嫌いというのもあまり良くない。

 今度、ファルマスに遠乗りを頼んで、そこで蛇を仕留めてみようか。蛇の習性は知っているし、ある程度の時間さえあれば数匹程度なら、手に入れることができるだろう。

 さすがに丸焼きは食欲を阻害するだろうから、まず何の肉か隠して鍋を食べてもらおう。

 うん、とヘレナは頷く。


「あ!」


 そこで、フランソワがそう声を上げた。

 ずっと一心不乱でもぐもぐ食べていたフランソワは、蛇の肉の話をしていたときにも、食欲を落とすことなく食べていた。やはりそれだけ食べられる若さがあるのだろう、と微笑ましく見ていたのだが。

 さーっ、とフランソワの顔から、血の気が引く。


「も、申し訳ありませんヘレナ様! あまりに美味しくて、全部食べてしまいました!」


「ちょ、フラン!?」


「まぁ……鍋があまり大きくないからな」


 フランソワの言葉に、ヘレナは苦笑する。

 四人前にしては小さい鍋は、もうスープを除いて空になってしまっている。まだヘレナも一口二口くらいしか食べていないし、クラリッサも肉を噛み締めていたために、あまり食べていなかったのだろう。マリエルはマイペースに食べていたようだが。


「よし、では次を作るとするか」


「で、では! ヘレナ様! わたしに作らせてください!」


「……ふむ」


 申し訳なさそうに、そう頭を下げるフランソワ。

 別にそれほど申し訳なく思う必要などないのだが。元々足りないであろう、ということは分かっていたことだ。

 材料はまだ残っている。フランソワに作らせる、というのも悪くないだろう。


「では、フランソワに任せよう。私は食べる側に回らせてもらうとする」


「はい! お任せください!」


「野菜はまだ洗っていないから、先に洗うようにな」


「分かりました!」


 軍ではいつも、ヘレナが作ってばかりだった。

 小隊単位で作るのだが、ヘレナが共に食事を摂る際の料理番は、いつもヘレナが任されていたのだ。男社会である赤虎騎士団では、せめて食事くらいは女性の作ったものを食べたい、という要求が多かったのだ。だからこそ、ヘレナの料理の腕が上がったのも事実である。

 このように、料理を作ってもらう立場というのも嬉しいものだ、と微笑む。


 だが、クラリッサは渋い顔をしながら、立ち上がった。


「あの……手伝ってきます」


「む、ああ……分かった」


「その……申し訳ありません、ヘレナ様」


「む?」


「いえ、先に謝っておきます……」


 クラリッサはそう謎の謝罪をしてから、フランソワのもとへと向かう。

 一体、何故そのように謝罪をしたのだろうか。


「フランーっ!」


「は、はいっ! なんですかクラリッサ!」


「まず野菜を洗剤で洗うのはやめなさいーっ!」


 ……。

 限りなく不安になってきた。


 マリエルと視線を合わせ、苦笑する。

 どのようなものが出てきても、ヘレナは食べる自信がある。サバイバルの際における鍋は、いつも美味しいばかりではないのだ。多少不味くても、完食する程度は造作もない。

 だが、マリエルのように食べることに苦労したことのない令嬢では、それも難しいだろう。いざとなれば一人で完食するだけの覚悟を、心の中だけで決めておく。


「あ、そうだ! そういえばお姉様!」


「む?」


 すると、そんな空気を払拭しよう、とマリエルが声を上げる。

 そして、じゃじゃーん、とでも擬音が付きそうな様子で、傍から何かを取り出した。


「今日はこんなものを持ってきましたの!」


 それは、瓶。

 奇しくもそれは。


 ヘレナがあの日、ファルマスを相手に醜態を晒した、レイルノート家秘蔵の高級酒だった。

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