第63話 後宮の鍋パ――お誘い 1

「鍋を食べようと思う」


「皇太后陛下と何を語らわれた結果そのような結論に至ったのですかヘレナ様」


 アレクシアが戻って、すぐにヘレナがそう言うと共に、何故かそうアレクシアは頭を抱えていた。

 ヘレナとしては別段、妙なことを言ったつもりはなかったのだが。


「いや、最近は温かいものを食べていないからな」


「まぁ……毒味が済んだお食事は、確かに冷えておりますが」


「そもそもそれがおかしな話なのだ。何故私などの食事に毒味をする必要がある」


「ヘレナ様、そろそろご自分のお立場を分かっていただきたいのですけれども」


 アレクシアの心底疲れたような言葉に、ヘレナは首を傾げる。

 確かにヘレナは、三天姫の一人である『陽天姫』たる側室である。しかし、かといってヘレナの食事に毒を盛る利益などないだろう。

 常々、冷えた食事は勘弁してほしい、と思っているのだ。


「私などに毒を盛ったところで意味などあるまい」


「正妃に最も近い立場である『陽天姫』にして陛下から唯一のご寵愛を受けていて、かつ宰相であるレイルノート宮中候の息女であり皇太后陛下にも気に入られていて、更に三天姫の一人である『星天姫』様や八大将軍の一人である『銀狼将』を掌中に入れており、しかも武力に関しては右に出る者が八大将軍くらいしかおらず、毒を盛ることくらいでしか殺せなさそうなヘレナ様がそれを仰いますか」


「……」


 アレクシアの言い分に、ヘレナはううん、と腕を組む。

 確かにアレクシアの言うことはもっともだ。どうしてこうなったのだろう。

 軍にいる頃は、これほどまで自分の命は重くなかったのに。


「ふーむ……まぁ、それはいい」


「あまり良くはありませんが……ひとまず鍋、ですか」


「うむ。たまには温かい鍋を囲むのも悪くないと思わないか」


「誰が作るのですか?」


「私だ」


 ヘレナの言葉に、え、とアレクシアが眉を寄せる。

 言葉で何も言わずとも、何言ってんだこいつ、という空気が如実に漏れている。なんだか最近、対応がぞんざいではなかろうか。


「……へレナ様が、ですか?」


「ああ。私が作れば、毒味の必要などないだろう。私自身が作り、私自身が提供するのだから、そこに毒を混ぜる機会などあるまい」


「……まぁ、それは、そうですが。ヘレナ様は、料理ができるのですか?」


「軍は交代で食事を作らねばならなかったからな。一通りの調理は可能だ」


「そう、なのですか……」


 まだ疑いを持っているのか、アレクシアは眉根を寄せてヘレナを見やる。

 ヘレナの意外に高い女子力は、どうやら理解されていないようだ。


「まぁ、そういうわけだ。フランソワにクラリッサを誘おうと思う」


「あのお二人でしたら、問題なく来られると思います」


「うむ。それにマリエル嬢も誘おうと思うのだが」


「『星天姫』様、ですか……」


「名目としては、私の新しい弟子になった三人の親交を深めるため、といったところか。それならばマリエル嬢も無碍には断るまい」


「……どうなのでしょうか」


 アレクシアはあまり乗り気ではないようだ。

 だが、とはいえフランソワもクラリッサもマリエルも、ヘレナの弟子であることには変わりない。そこに差をつけるわけにはいかないだろう。

 仮にフランソワとクラリッサだけ誘い、マリエルを除け者にすれば、傷つくだろう。少なくともヘレナがマリエルの立場ならば、誘ってほしいはずだ。


「まぁ、別に断るならば構わない。別段、誰も来なかったところで私一人分の鍋を作ればいいだけの話だからな」


「そのときは、わたしでよろしければお付き合いします」


「そうだな。誰も来なかったら、二人で鍋をつつこう」


 そういうのもアリだな、と少しだけ思う。

 アレクシアとはなんだかんだで、後宮に来て最も親しくなった者だ。部屋付きの女官、という立場もそうだが、同時に幼い頃に会ったことがある、というのも大きい。そして何より、あの化け物将軍バルトロメイの妹だ。

 なんだかんだで、他の女官よりもヘレナの武に対して抵抗が少ないのだろう。


「では、マリエル嬢を誘いに行くか」


「承知いたしました。先触れを出しておきます」


「……そういえば、そんなものも必要だったな」


 ソファから立ち上がろうとして、浮かせた尻をもう一度ソファへと乗せる。

 後宮に入った、初日に注意されたことだ。先触れもなしに訪問することは、相手を見下しているに等しい、と。そもそも思考イコール行動のヘレナにとって、考えれば即座に動くのが当然のことだ。

 わざわざ先触れなど出さなくとも、マリエルの部屋は隣である。さっさと向かいたい、というのが本音だ。


「ご安心くださいヘレナ様。間もなく向かう、と伝えておきますので」


「そうしてくれ」


 わざわざ時間指定をすれば、それだけ待たねばならないだろう。だが、先触れで間もなく向かう、とだけ伝えれば、アレクシアが戻り次第訪問していいだろう。

 留守ならば、先にフランソワを誘いに行けばいいだけの話だ。


 アレクシアがまず出てゆき、そして隣の部屋へと向かってゆく。

 そんなアレクシアの帰りを待つ間、いつもならば腕立て伏せなり腹筋なりするのだが、暫くはそれもできないだろう。

 立ち上がり、口で言いながら、ステップを刻む。


「……一、二、三、四、ここでターン、と」


 基本のステップくらいは覚えておかねばなるまい。そしてこのステップが基本ということは、これの応用が他のダンスになるのだろう。

 夜会に出る予定など、もうすぐ行われるとされる前帝一周忌の式典後以外に皆無だが、覚えておいて損はあるまい。

 もつれる足を必死に踏みとどまらせ、ヘレナはステップを刻み。


「ただいま戻りました、ヘレナ様」


「どうだった?」


「ご在室でした。間もなく向かう、と伝えましたところ、いつでもいらして下さい、とのことです」


「よし。では向かおう」


「承知いたしました」


 さすがに、マリエルの部屋への訪問くらいならば、湯浴みまではさせられないらしい。まぁ、ルクレツィアが来る前にしており、以降汗をかくような運動もしていないため、必要もないけれど。

 部屋を出てすぐ左――マリエルの部屋へ。


「失礼いたします」


「ようこそいらっしゃいました、『陽天姫』様。『星天姫』様が中でお待ちです」


「邪魔をする」


 アレクシアに続いて、ヘレナも部屋の中へと入ってゆく。

 ここに来るのは初日以来だが、特に内装などは変わっていない。せいぜい、調度品が二つ三つ程度増えたくらいのものか。ヘレナの部屋のように何も置いていないがゆえのシンプルではなく、適度に調度品や細工品の置かれた内装は、単純に美しい、と思えるものだ。

 何より値段は気になるけれど、そこまで聞く必要はあるまい。

 そんなマリエルの部屋の中央、一人掛けのソファへ、マリエルは座っていた。


「ようこそいらっしゃいました、お姉様」


「すまないな、突然邪魔をして」


「いえ。とんでもありませんわ。お姉様がいらっしゃるというならば、全ての予定を投げ捨ててでもお迎えいたします」


「……いや、それはさすがに予定を優先してくれ」


 さすがに、ヘレナのせいで予定を狂わせるわけにはいかないだろう。

 だが歓迎されているようだし、これはすぐに本題に入ってもいいかもしれない。


「マリエル嬢は、今夜は予定があるだろうか?」


「いえ、特にございませんが」


「では、私と共に食事をしないか? フランソワとクラリッサも誘おうと思っているのだ。新たに私の弟子になった三人に、親交を深めてほしいと思ってな」


「まぁ!」


 マリエルは、そう手を合わせて笑顔を見せる。


「それは嬉しいですわ。では、あたくしは何をご用意いたしましょうか? 皇室御用達の料理店ならば、幾つか伝手がありますわ」


「……いや、気持ちは嬉しいが」


 あ、とそこで気がつく。

 そういえば後宮の料理番に用意してもらわずとも、マリエルに材料を準備してもらえばいいじゃないか、と。

 ちょっとした茶会に、皇室御用達の菓子店から何か仕入れてくるぐらいなのだ。食材くらい提供してもらったところで罰は当たるまい。


「今夜は、私が作ろうと思っているのだ」


「……え」


「私が手ずから、料理を作ろうと思う。まぁ、鍋だがな」


「お、お、お姉様、が……?」


 マリエルは、震えていた。

 アレクシアといい、マリエルといい、随分と失礼な反応を見せるものだ。それほど、ヘレナには料理という言葉が似合わないのだろうか。

 まぁ、それを口実に断るというならば、それでいいだろう。


 だが、マリエルは。

 歓喜の笑顔を、そこに浮かべていた。


「お、お姉様が手ずからあたくしにお食事を作ってくださるなんて! マリエルは帝国一の果報者でございます!」


「……あ、ああ。いや、それほど」


「では材料など何を準備させましょう!? 市場の食材全てを買い占めろ、というご命令でも構いませんわ! リヴィエール家の全力を持って揃えてみせます!」


「いや、肉と魚、それに海老と葉野菜くらいがあればいいのだが」


「承知いたしました! 一級品を揃えておきますわ!」


 どうやら先程の震えは、ヘレナの料理の腕に対する疑問というわけではなく、純粋に嬉しかったからのようだ。

 何故それほどまでに嬉しいのか分からないが、それでも嬉しく思ってくれる、というのはへレナとしても喜ばしい。

 だが。


 何故、そこまで鼻息荒く興奮しているのだろうか。

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