第198話

「あれは梅雨の時期。ちょうど今日みたいな雨で、2人で公園のベンチに座ってたわ」



 そうか……だから座って雨を見てると、妙な気持ちになったのか。


 梨蘭も当時のことを思い出してるのか、憂いを帯びた目で空を見上げる。

 まるで吸い込まれそうなほど綺麗な緋色の目に、つい見とれてしまった。



「確か、寧夏たちの件が終わった日だったわね……」

「寧夏の政略結婚を阻止して、2人の交際を後押ししたやつか」

「ええ。その帰りに公園に立ち寄ったの。ほら、家の近くにある大きな公園よ。休憩スペースに屋根がある」

「ああ、あそこか」



 確かにある。

 遊具が充実してるし、大きな広場もある。

 子供には当然、親子連れにも人気の公園だ。



「そこの休憩スペースで、寧夏たちのことを話してたわ。その時はまだ私は素直じゃなくて……素直な2人が、羨ましいって話をしたの」

「あれは素直というか、欲望に忠実なだけだろ」

「それもそうね」



 愉快そうに笑う梨蘭。

 でも……そうだな、あの素直さは確かに見習わなきゃな。


 素直……素直?

 うん? この言葉も何か引っ掛かるな……なんだっけ。


 …………。



「あぁ、そうだ……あの2人に感化されて、梨蘭は素直に……」

「! 思い出したの!?」

「い、いや。思い出したというか、思い浮かんだというか」

「そう……まあいいわ。なら、あの時を再現しましょう」

「……再現?」

「ええ。私たちの思い出を再現するの」



 梨蘭はより一層俺に近づくと、ぺしっと頬を叩いた。



「何すんだよ」

「動かないで。あの時と同じことしてるの」



 えぇ……これなんか恥ずかしいんだけど。


 ぺしぺし。ぺしぺし。いや叩きすぎだ。

 今度は耳をもみもみ。あの、マジでこれ恥ずかしいんだよ。



「恥ずかしい?」

「ま、まあ」

「あの時の暁斗も、恥ずかしがってたわ。ふふ、可愛い反応するのね」

「か、からかうな」

「からかってないわ。本音よ」



 余計タチ悪いわ。


 梨蘭に触れられて全身が熱くなる。

 心の底から幸せが湧き上がり、気分がポワポワする。


 と、そっと俺の頬を両手で包み込んだ。



「り、梨蘭……?」

「動かないで。ここからが本番だから」

「お、おす……」



 梨蘭はそこまで力を入れていない。

 それなのに、まるで金縛りにあったかのように動けないでいた。

 うっとりとしたような、蕩けたような顔をする梨蘭。

 その表情を見ていると、頭の奥の違和感が大きく膨らんだ気がした。


 そうだ。あの時もこんなシチュエーションだった。

 雨の中の公園で、こうして梨蘭に迫られたんだ。


 梨蘭の呼吸や心音がよく聞こえる。

 息が肌をくすぐる。


 そして。






「暁斗……好き」






 ──キス、された。


 まるで鳥がついばむような軽く、淡く、優しいキスだ。



「好き、大好き……昔も、今までも、これからも……ずっとずっと、大好きよ」

「…………ッ」



 記憶が無くなってから、初めてのキス。


 直後、俺の全身に衝撃が走った。

 それにより、脳の奥で引っ掛かっていた違和感が、一気に流れる。




 せき止められていたものが。

 我慢していたものが。

 溜まりに溜まった何かが一気に解放されたような、そんな感覚。

 今まで感じたことのない感覚に、体が硬直した。




 そうだ、そうだよ。

 俺、あの時梨蘭と気持ちを確かめあったんだよ。

 梨蘭から告白されて、本当の気持ちを伝えられて……。




 どうして俺、こんな大切なこと忘れてたんだ……!



「暁斗……? ねえ、暁斗?」

「……した……」

「え?」

「……思い出した……全部!」



 全部、全部! この半年の記憶が一気に!


 惚けている梨蘭を抱き締め、抱っこする。



「え、えっ……!?」

「梨蘭とのキス! これがトリガーだったんだよ! あはは!」

「ちょ、おちつ……んんっ!?」



 嬉しすぎて再度梨蘭にキスをする。

 いきなりのことで、体を硬直させた。

 けど直ぐに状況を飲み込んだのか、目尻に涙を溜めて俺の後頭部に腕を回した。



「んっ……んぁっ……ぷはっ。もぉ~、心配かけんじゃないわよぉ……!」

「ごめん。ごめんな、梨蘭」

「ばかぁ、あほぉ、すきぃ……!」

「ああ。俺も大好きだ」



 笑顔で涙を流す梨蘭。

 俺もそんな梨蘭に笑顔を返し、またキスをする。


 梨蘭との気持ちを確かめるように。

 梨蘭への愛を確かめるように。


 当時と同じく、雨音が俺らを祝福する歓声に聞こえた──。

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