第196話
◆
「それで暁斗。今まで色んな人から話を聞いて、何か引っかかるところとか思い出せそうなことはある?」
「残念ながら、さっぱりだ」
土曜日の朝。飯を食い終え、俺らはウッドデッキのベンチに腰をかけていた。
天気は生憎の雨。
だけど梨蘭が、どうしてもここがいいと言って聞かないんだ。
屋根付きウッドデッキから雨空を見上げる。
雨、嫌いなんだけどなぁ。
でも、なんだろう。ベンチに座って雨を眺めてると、何か大切なことがあったような……そんな気がする。
頭の片隅に何か引っ掛かっていると、梨蘭はそっと嘆息した。
「そう……どうやったら記憶って戻るのかしら」
「さあな。医者も時間をかけてと言っていたし。気長に待つしかないさ」
まあ医者曰く、何か衝撃的なことを体験したら記憶が戻る可能性はあるらしい。
日常生活を送っていて、そんな衝撃的なことなんて起こる方が珍しいけど。
「それもそうね。それじゃ、気長に私達の今までを話しましょうか」
「お手柔らかに」
コーヒーを飲みつつ、梨蘭の話しに耳を傾ける。
「そうねぇ。先に夏休み中お話ね。付き合ってからの方が、色々思い出もあるし」
「ああ」
夏休みか。高校生活最初の夏休みの記憶がないのは残念だけど、どんな生活をしていたのやら。
「そうね……まず、想像以上にアンタは怠惰だったわ」
「あ、そこは変わってないのか。よかった〜」
「よくないわよ! アンタの宿題やらせるのに、どれだけ大変だったと思ってるの!」
オカンみたいなこと言うな、こいつ。
「あれ? でも俺、夏休み中に宿題終わらせられたんだな。なんか意外だ」
「そりゃ、色々考えたもの。夏休みが終わるまでノーイチャイチャだったり、終わったらおっぱい揉む? とか聞いたり」
「なんだと……!?」
え、つまりあれか? 夏休みの宿題を終わらせた俺は、梨蘭のその豊満でたわわなやつを揉んだのか? 揉みしだいたのか!?
俺だって男子高校生だ。性欲も不純もそれなりに自覚している。
が、そんな理由で梨蘭を襲うとか……幻滅したぞ! いや俺なんだけど!
「まあ、暁斗は拒否したけどね」
「ですよね!?」
あー、よかったぁ。
俺、そういう誘いには乗らないと思ってたけど、ちゃんと断ったんだな。ふぅ。
「夏休みの宿題は、私の徹底管理の元で終わらせたわ。直ぐサボろうとするから、大変だったけど」
「だろうな。俺だし」
「胸張るんじゃないわよ」
じとーっと睨まれた。ご、ごめんて。
「それに海ね。寧夏の家の別荘に泊まって、みんなで遊んだわ。私たちと、寧夏たちと、璃音たちね」
「寧夏の家、超金持ちだもんなぁ。海に別荘とか普通に持ってそう」
「ええ、とんでもなく凄かったわよっ。あんな経験、後にも先にもないわね……!」
当時のことを熱く語る梨蘭。
こんなにはしゃいだ顔をする梨蘭、久々に見たな。
…………ん?
はて、俺はこいつのはしゃぐ顔なんて、今まで見た事あったかな……?
……あ、違う。それ半年前の記憶じゃない。
これ、この半年間の記憶だ──。
「暁斗? どうし……キャッ!?」
「り、梨蘭。いいぞっ、もっと話してくれ! なんかこう、お前の笑顔を見てると、思い出しそうなんだ!」
「わっ、わっ、わかっ……! ち、ちかいっ、顔、近いぃ……!」
「あ、ごめん」
興奮しちゃって、ついうっかり距離が近くなった。
ふぅ、落ち着け、俺。
「ま、全く。ドキドキさせるんじゃないわよ、ばか」
「ごめん。それで、どうだったんだ?」
「そうそうっ。それで、私がイヤリングを落としちゃって……あっ、待ってて!」
と、急に家の中に戻ると、しばらくして何かを持って戻ってきた。
「ただいま!」
「おかえり。……それは?」
「アネモネのイヤリングよ。暁斗がこれをプレゼントしてくれたの」
へぇ。やるな、俺。センスある。
梨蘭は小さいアネモネのイヤリングを耳につけ、淡い微笑みを浮かべた。
「このイヤリングをつけて海に入ったの。それではしゃいでたら、海に落としたの気付かなくてね……」
「え、でもそれ……」
「うん。暁斗が見付けてくれたのよ」
見付けて、て……海の中、こんな小さなもの見つけたのか、俺?
どんだけ無茶してるんだよ……確かに琴乃に怒られるわ。
そっとイヤリングに触れるように、優しく梨蘭に手を伸ばす。
ピクッと体が反応するが、直ぐに手に擦り寄ってきた。
「ふふ。幸せよ、私。こんなに想ってもらえて」
「……そうか」
「ええ。だって、赤いアネモネの花言葉って、『君を愛す』ですもの」
「え、知らない」
「でしょうね。これをプレゼントしてもらった時も、知らなかったみたいだし」
俺、花言葉とか興味ないから……いや、恥ずかしいな。
梨蘭がそっと俺の肩に頭を乗せる。
不思議と心地いい。なんだろう、この心地よさは。
少しずつ、雨が強くなる。
前に、梨蘭と2人きりの雨の日もあったような……そんな気がした。
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