第159話
翌日、土曜日。
ついに今日、俺は家を出て梨蘭と同棲を始める。
長いようで、短い家族との生活から自立し……新たな生活の第一歩を踏み出すのだ。
諏訪部さんの手配した引っ越し業者に頼み、部屋の荷物をトラックに詰め込んでもらう。
さて、俺もそろそろ自転車で移動しようかね。
「じゃあ父さん、母さん、琴乃。もう行くよ」
「うん。気を付けてね、暁斗」
「今度様子を見に行くから、ちゃんとやるよの」
「わかってるって」
あれだけの広い家を綺麗なまま維持できるかわからないけど、やれるだけやらなきゃな。
父さんと母さんに肩を叩かれる。
と、ちょっと離れた位置にいた琴乃がちょこちょこと近付いて来た。
「……行ってらっしゃい」
「……ふふ。ああ、行ってきます」
寂しそうにする琴乃の頭を撫でると、少しだけど朗らかに笑った。
「行ってらっしゃい」と「行ってきます」。
そのやり取りだけで、いつでも帰ってきていいと思える。
だけど、いつまでも名残惜しんでいることもできない。
みんなに手を振って、新居に向かって自転車を漕ぎ出した。
まだ暑さの残る空気が頬を撫で、心に空いた穴に風が吹き込んでくる。
それでもこれからの新生活に期待が膨らみ、寂しい気持ちはない。
自転車の車輪が道路と擦れ、心地のいい振動が手に伝わってくる。
そのまま走ること20分ちょっと。
高級住宅街を抜け、数日振りに俺と梨蘭の新居にやって来た。
既に俺と梨蘭の荷物を運んだトラックは到着していて、先に着いていた梨蘭があれこれ指示を出して運び入れている。
自転車を下りて押していると、俺に気付いた梨蘭が近付いて来た。
「暁斗、待ってたわ!」
「悪い、ちょっと遅れた」
「本当よ。時間厳守は信用を得るための必須条件なんだからねっ」
「といっても一分くらいだぞ」
「一秒の遅刻で数億の商談が破談になることもザラよ。気を付けなさい」
「お……おす」
さすが律儀を体現したような存在。時間に関しても律儀だ。
俺も業者さんの手伝いをし、軽いものや俺の使っているパソコン類の入っているものは自分で運び。
1時間もしないうちに、全ての荷物を運び終えた。
さて、ここからは荷解きになるが……。
「部屋、どうする? 寝室は一緒として、個室は分けた方がいいだろ?」
「そうね……暁斗はどこがいい? 先に選んでいいわよ」
え、そう言われると困るな。
でも、そういうことなら遠慮なく決めさせてもらおう。
1階は梨蘭と話し合い、来客用と家族が来た時用に残すことに。
となると2階だが。
1つ1つの部屋を見て回り、悩みに悩んだ末に。
「じゃ、この書斎っぽい部屋で」
広さにして約15畳。右側の壁に執務机と高級そうな椅子があり、反対側の壁には一面の書架が並んでいて、1000……いや、数千冊の本を入れても問題なさそうだ。
中央にはクリスタルガラスの座卓と、休憩しやすそうなソファー。
窓際には読書用のリクライニングシートに小さな丸机がある。
窓を開けるとバルコニーがあり、広い庭を見渡せるようになっている。
「うん、ここがいい」
「やっぱりここにしたわね」
「なんだよ。そのわかっていたとでも言いたげな感じは」
「アンタの性格を考えたら、こういった書斎に一目惚れするって思ったのよ。好きでしょ、こういう場所?」
はい、好きです。超好きです。
だってかっこいいじゃん、書斎。ここでワイングラス(に入ったグレープジュース)を片手に本を読むとか、すごくかっこいいと思う。
……思うよね? え、思わない? あ、はい、俺だけですか。そうですか……。
「じゃあ私は隣の部屋にするわね」
「隣って、確か何もなかったけど……家具とかどうするんだ?」
「パパが買ってくれるって」
毎回のように思うけど、世の中のパパさん娘に激甘じゃない?
俺はそんなことはないようにしよう。
……無理だな。妹の琴乃でさえ、めっちゃ可愛いんだ。それが娘だったら、多分同じようなことをすると思う。
自分の部屋が決まり、その中に荷物を詰め込んでいく。
本もラノベと漫画、それにトレーニング本をいくつか。
それもまだ数百冊くらいで、全然空きがある。これもいつか埋められるように、読み漁るか。
机周りには学校の教材とパソコンを置く。
これだけで、なんかできる男感が出るな。実際は宝の持ち腐れなんだろうけど。
高そうな椅子に座って、ぐるりと周りを見渡す。
広い。すごく広い。
多分、この部屋とかリビングで梨蘭と一緒に勉強することになるだろうから、この部屋は基本的に読書する空間になるんだろうけど。
それでも、広すぎるな。
思えば俺って、体を鍛えることと読書くらいしか趣味がない。
コレクターってわけでもないから、本以外集めることもしなかったし。これを機に趣味を増やしてみるのもありかもしれない。
机の上の時計を見ると、もう夕方になっていた。
どうりで腹が減るわけだ。梨蘭はどうだろう。
部屋を出て隣の部屋をノックする。が、返事がない。どこ行ったんだ……?
……ん? くんくん。うまそうな匂い……あ、まさか!
急いで階段を下り、リビングに入る。
と、そこには。
「あ、暁斗。下りてきたわね。もうちょっとでお夕飯できるから、机の上準備してもらえる?」
──ピンクのエプロンをして、フライを揚げている梨蘭がいた。
可愛い。可愛すぎる。いかにもな新妻感。否、これぞ新妻といった見た目だ。
「……ここが理想郷か」
「何馬鹿なこと言ってんの?」
そんな冷めた目で見ないで。悲しくなるから。
「ほら、もうできちゃうわよ。今日は暁斗の好きなから揚げね」
「お、マジ? よく知ってたな。俺の好物。あ、琴乃に聞いたのか?」
「違うわよ」
梨蘭は揚げたてのから揚げをクッキングバットに乗せ、少し頬を染めて呟いた。
「何年、アンタのこと見てきたと思ってるのよ。ばか」
「────」
衝撃が体を貫いた。
やばい。これはやばい。
梨蘭って、こんなに可愛かったか……? え、こんな状態で俺、これから同棲始めるの?
生唾ごくり。ど、どうなるんだ、この生活っ。
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