第146話
始業式とクラスのホームルームを終え、今日の学校での予定は終わり。
俺と梨蘭は、諏訪部さんと一緒に駅前の喫茶店に来ていた。
といっても、なんかずっとモジモジしてるんだけど……。
どうしたもんか。そう思っていると、梨蘭が肘でつついてきた。
「ちょっと暁斗。これどういうことよ」
「いや、俺が聞きたいんだけど」
本当、どういうことだ?
梨蘭も理由はわかってないみたいで、困惑中。
うーん、どうしよう。
頼んだコーヒーがいい感じに冷めてきた頃。
諏訪部さんが、深呼吸をして思い切り頭を下げてきた。
「さ、真田くんっ、久遠寺さん! あの時は助けてくれて、ありがとうございました!」
…………。
「「どの時?」」
「ええっ!?」
いや、全く心当たりがないというか。
俺らが諏訪部さんを助けた? なんのことだ?
「あっ、そうか。あの時は暗かったし、髪も解いてたから……そ、それなら、これでどうです?」
諏訪部さんは意を決して、三つ編みを解いた。
フワッと広がるダークブラウンのゆるふわパーマにより、いつものかっちりした印象から、一気にふわふわ系美少女に変わった。
そしてこの髪型、覚えがある。
梨蘭も思い出したのか、「あっ」と声を上げた。
「もしかして、あの時の……!」
「あれ、諏訪部さんだったのか……」
「はい。改めまして、助けてくださり、ありがとうございました」
ぺこり。綺麗なお辞儀に、俺と梨蘭も思わず頭を下げてしまった。
でも、髪型ひとつでここまで印象って変わるんだな……びっくりした。
夏休み終盤。公園で暴漢に襲われていた女性。
それがまさか、諏訪部さんだったなんて。
と、諏訪部は興奮したような、焦っているような感じでテーブルを乗り出した。
「さ、真田くんっ。スポーツもすごくできて、優しくて、カッコイイと思いますっ。颯爽と現れた時も、キック1発で暴漢を倒した時も、すごく、すっごくかっこよかったです……!」
「お、おう。ありがとう」
こんなにキラキラした目で、こんな風にべた褒めされたの、初めてだ。
な、なんかちょっとむず痒いな。恥ずかしい。
「むぅ……!」
おいやめろ。脇腹つねるな。
てか、こいつが大っぴらに威嚇しないの、珍しいな。いつもだったら、テンパってギャーギャー騒いでるところだけど。
……あ、そうか。夏休みで感覚がマヒしてたけど、今の俺達って付き合ってること秘密にしてたんだっけ。
だから梨蘭、こんな静かに抵抗してくるのか。……なんか面白い。
俺の脇をつねってくる梨蘭は、無理に笑顔を作って諏訪部さんに話し掛けた。
「そ、それで委員長。お礼の為にコイツと私を呼んだのかしら? それなら、もう気にしなくてもいいわよ」
「そ、そうだ。俺も偶然その場にいたから助けたけど、本当に偶然だから」
いたたたた。脇痛い脇痛い脇痛い。
毛細血管がいっぱい詰まってるとこ、脇って叫んでやろうか。
……このネタ通じる方が無理か。
「だから、この件はこれで……」
「い、いえ! 恩人がこんなに近くにいるのに、何も恩を返さないのは諏訪部家の恥でございます! 諏訪部の者として、それだけは譲れません!」
す、諏訪部さんの圧が強い。
って、この言い方……もしかして諏訪部さんって、いい所のお嬢様とか?
なんでウチのクラス、いい所のお嬢様多いんだよ。梨蘭だったり、璃音だったり、寧夏だったり。ひよりも玉の輿で次期社長夫人だしさ。
「それにあそこに真田くんがいなければ、私はあの暴漢の慰み者にされ、一生心に傷を持って生きていくことになっていたでしょう。もしかしたら、傷に耐え切れず自殺してしまっていたかも……。そう考えると、真田くんは私の人生の恩人なのです」
「重い重い重い。話が重い」
確かにその可能性はなきにしもあらずだけど、その発想力はかなり重すぎる。
俺、マジであの時あそこにいてよかった……。
「そこで、夏休みの残りの間に必死で考えました。どうすれば、この大恩を返せるのかと。私の人生を守ってくれたお方に、どのようなものを差し出せば対価に見合うのかを」
「ちょっと待った!!」
話が重すぎるし、なんか差し出すとか不穏なワードが聞こえたし!
ほら、周りのお客さんもなんかドン引きしてるよ! つか、俺のことを「女の敵め……」って目で睨んでるよ!
「す、諏訪部さん、落ち着いてくれ。諏訪部家っていうのが何か知らないけど、俺は君が諏訪部さんだから助けたんじゃない。もしあそこにいたのが運命の人や別の女の子でも、俺は迷わず助けにいった」
「暁斗……」
あ、ようやく脇から指を離してくれた。よかった、地味に痛かったんだよ。
「な……なんとお優しいお方。まさに慈愛の心に満ちた、聖人君子のようなお方なのですね、真田くんは……!」
そんなうっとりした目で見ないで。また梨蘭の脇つねりが再開しちゃうから。
「しかし、それだと私の気が済まないのですが……」
「うーん……じゃあ1つ。1つだけ、諏訪部さんがこれなら恩を返せるってやつでいいよ。それでこの話はお終いね」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」
あ、これもしかして悪手だったか? 諏訪部さんの目が一層輝きを増したような。
諏訪部さんは手をもじもじ動かし、俺と梨蘭をチラチラ見ると。
「そ、それでは、次のお休みの日に我が家へ招待したいと思うのですが、よろしいですか……?」
なんて言い出した。
……それだけ、か? つまり、食事がしたいってこと?
「あ、ああ。それなら……」
「待ちなさい、暁斗」
今度は梨蘭が止め、耳元に口を近付けてきた。
「これ、何かあるとしか思えないわ。まずは委員長のおうちのことを聞いた方がいいかもしれないわよ」
「そ……それもそうだな。ありがとう」
不意に香って来た梨蘭の香りに思わずどもってしまった。
けど、なんとか気持ちを持ち直すと、諏訪部さんに向き直る。
「えっと……つかぬことをお聞きしますが、諏訪部さんのご実家って何をしているご家庭で……?」
「あ、申し訳ありません。そうですよね、いきなり家に呼ぶだなんて、怪しいですよね。安心してください、全うな職業ですので」
そんな前置きをされると、逆に不安になるんですが。
諏訪部さんは鞄の中から小さいカードケースのようなものを取り出し、そこから一枚の紙を取り出した。
そして、改めてぺこりと頭を下げた。
「私のおうちは、不動産屋さんなんです」
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