第78話

 竜宮院の家を後にし、リーザさんは道場へと帰っていった。

 雨が上がり、雲の隙間から夕日が射し込む中、梨蘭と共に住宅街を歩く。


 そんな中、梨蘭が「それにしても」と口を開いた。



「赤い糸で結ばれてるからって、みんながみんな幸せって訳じゃないのね」

「……そうだな」



 寧夏も政略結婚させられそうになった。

 そして竜宮院も苦しんでいる。


 運命の人と赤い糸で結ばれているとは言え、必ずしも自分の思った通りの未来を手に入れられる訳じゃない、か。


 うーん、重い。


 話の重さにげんなりなう。

 と、目の端に俺をチラチラと見る梨蘭が映った。



「……どうした?」

「んぇ!? べ、べべべ、別に……」

「何か言いたそうだったろ」

「……言わない。……これを言っちゃうと、私って嫌な子になっちゃうから」



 何だそりゃ。



「今更何を言おうが、俺が梨蘭のことを想う気持ちに変わりはないぞ」

「……? …………!? ばっ、ばばばばば馬鹿! な、何恥ずかしいこと平気で言ってるのよ!?」

「……恥ずかしいことか?」



 自分が思ったことを素直に言ってるだけなんだけど。

 って、わかった、わかったから鞄を脚にぶつけてくるな。


 梨蘭はむーっとした顔でそっぽを向いた。相変わらず何に怒ってるのかはわからない。

 でも、ちょっと子供っぽい仕草をする梨蘭にときめいてるのも事実だ。

 好きな人の表情がコロコロ変わるのを見ると、幸せになれるんだな。また新しいことを知った。


 と同時に、こうも思った。



「……あの2人には悪いけど……」

「何よ?」

「……赤い糸で結ばれてる俺達が、こうして一緒にいられるのって……実はすげー幸せなことなんだなって思ってな」



 そう。世の中には寧夏の父親や、竜宮院の母親のような人もいる。

 それを考えると、俺と梨蘭は色んな人に祝福されている。

 これがどれだけ幸せなことか。



「……実はさっき、私も同じことを考えてたの」

「そうなのか?」

「うん。でも、それを口にしちゃうと……今大変な璃音のことを考えてない、嫌な子って思われちゃいそうで……」



 ああ、だからさっき言いづらそうにしてたんだな。

 何と言うか……。



「梨蘭って、実は優しいよな」

「んな!? んな、んなっ、なあーーーん!?」

「落ち着け」



 語彙力が消失してるぞ。


 前から、梨蘭は律儀で、いい奴だとは思っていた。

 でもそれだけじゃない。

 相手のことを考え、相手の気持ちになり、相手を心配できる。そんなのやろうと思ってできることじゃない。

 梨蘭が本当に優しいから、できることなんだろう。


 だけど。



「そこまで考えなくてもいいと思うぞ」

「え?」

「竜宮院は、さっきのことを聞いて怒るほど、度量の小さい奴か?」

「……ううん。多分璃音は、笑って同じことを言うわね。『私、そんなに小さい女に見える?』とか言って」



 さすが親友。よくわかってる。



「だから、大丈夫だ」

「……何だか悔しい。私より璃音のことを知ってるみたいで」

「客観的に見ただけだぞ」



 俺が想像できたんだ。梨蘭も、少し考えたらわかることだろう。


 そのまま歩くことしばし。梨蘭の家に向かう道中、例の公園に行きついた。

 雨上がりでもう日も暮れるから、公園には誰もいない。



「暁斗、時間ある?」

「え? ああ。大丈夫だけど」

「来て」



 俺の返事も待たず、梨蘭は公園の屋根付きベンチに向かって歩いていった。

 雨の中、初めて梨蘭とキスをした場所。

 そんな思い出のある場所に、否が応でも体が熱くなる。



「隣、座って」

「……ああ」



 言われるがまま、梨蘭の隣に腰掛ける。

 西日が公園を照らし、水たまりを反射して幻想的な風景を映し出していた。



「暁斗」

「なん……んんっ!?」



 突如、視界いっぱいに広がる、目を閉じた梨蘭の顔。

 口を何かで塞がれている。

 柑橘系の香りが俺の鼻をくすぐり、俺の指に指を絡めてきた。


 そう──キスだ。


 数秒か、十数秒か。長く、短い時間が終わり、唇が離れた。



「……やっぱり私、嫌な子だわ」

「……え?」

「璃音が苦しんでる中でも……私はこうして運命の人と一緒にいて、キスをして、幸せを感じてる。本当はやめなきゃいけないのに……やめられない。んっ」

「っ」



 また、キスされた。

 ついばむようなキスではなく、互いの唇が溶け合うような……甘く、濃密なキス。


 そのキスに、体のこわばりも徐々に溶けていく。

 梨蘭の腰に手を回し、少しでも体を密着させようと近付く。


 そして、示し合わせたかのように互いの舌がぶつかり、深い、絡め合うキスをする。

 飽きることなく。貪るように。


 互いの唇を離したのは、それから数十秒後のことだった。



「はっ……はっ……はっ……」

「ふぅ……ふぅ……」



 息が上がっている。

 顔が赤く、目も潤み。

 明らかに、これ以上を求めているような顔をしている。



「梨蘭……」

「暁斗……ん」



 小さくうなずく梨蘭。

 生唾を飲み込み、ゆっくりとその胸に手を伸ばした……その時。遠くから親子連れの声が聞こえてきた。

 多分、雨が上がったから公園に遊びに来たんだろう。


 だけど、そのおかげでお互いに正気に戻った。



「あー……帰るか」

「そ、そ、そうねっ。帰りましょ」



 急いでカバンを背負い、逃げるように公園を後にした。


 もしあそこで親子が来なかったら……いや、誰にも邪魔されない場所だったら。

 俺達は、あのまま……。


 チラリと梨蘭を見る。

 梨蘭も俺を見ていたらしく目が合い、慌てて目を逸らす。


 気まずい。けど……幸せを実感できる。

 そんな矛盾した気持ちを胸に、帰路に着いたのだった。

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